62. 【番外編】執事のセドリックとメイドのコニーの事情 11/25
「コニー」
翌朝、邸内の廊下で、セドリックがさっそくコニーを見つけて歩いてきた。
普通に用事を言いつけたかっただけ、の可能性もなくはなかったが、今までセドリックに、何かを頼まれたことは一度もない。何なら顔を合わせたことすら、なかった。
周りに人の気配はない。釘を刺すなら今だ。コニーは先手を打った。
「マイヤー様」
「セドリックだ」
刺すはずの釘が曲がった気がした。
「・・・セドリック様」
「ああ」
「もし私用のご用件でしたら、業務時間内は受け付けいたしかねます」
業務時間外に来られても困るのは困るが、仕事は仕事。給金をいただいている以上、業務時間内は業務を行う。私用に時間を潰さない。これはコニーのポリシーだ。
「わかった」
セドリックは小さくうなずいて、すれ違うように歩いて行った。つまり、やはり私用なのか。
コニーは、姿勢良く歩いていく後ろ姿を眺めた。
***
その日の晩、仕事終わりに応接室に呼ばれたコニーは、さすがに「結婚を申し込む」と繰り返されることはなかったが、セドリックから、立候補するから結婚相手として考えてみてくれ、と願われた。
ここは、あの応接室だ。
さすがに今、リネン室にあるあの小部屋で誰かが盗聴しているとは思わないが、この部屋は、いるだけで何となくぞわぞわする。早く話を終わらせたかった。
「どうしたんですか。あの流れで、どうしてそうなるんですか」
セドリックは、自分はどうせ家を出る身だから、貴族対応は不要だと言った。だからコニーも、もう不敬は考えずにそう尋ねた。
「どうして」
セドリックは繰り返して、小さく首を傾げた。
「一言で言うとチープな言い回しになるが、たぶん一目惚れ、というやつなんだろう」
「一目惚れ」
照れることも躊躇することもなく真顔で言われて、ついコニーも繰り返してしまった。セドリックはうなずいた。
「こんなことは初めてだから困惑はしているが、俺は自分の勘を信じている」
コニーもこんなことは初めてで、困惑している。
何の宣言だ。自らもまだ困惑の中にいながら、プロポーズしたのか、この男は。された側の身にもなってほしい。あと何、その『自分の勘』に対する根拠のない自信。
「コニーにすでに相手がいるというなら戦うつもりではあったが」
戦うのか。そこは身を引くではないのか。
「いないということだったから、いかせてもらった。でもさすがに今すぐ返事というのは早急だった。すまない」
「もしかしてそれ、テスさんに言われましたか」
「そう」
セドリックはうなずいた。素直か。
何だろう。テスの前にお座りするセドリック犬が「待て」をされている光景が浮かんでしまった。
セドリックは嘘をついていないし、裏もない。素直に勘に従っただけなのだ。
そう、判断できてしまった。コニーは気が抜けて小さく息をついた。
「お気持ちはありがたく受け取りますが、今はまだ結婚を考えられる状況ではありません。変に気を持たせてお待たせすることはできませんので、立候補は取り下げていただいてもかまいませんか」
言い方は疑問形だが、事実上きっぱりと断った。
セドリックは今はただ、『勘』に一時的に惑わされているだけだ。
一目惚れなど信じない。
セドリックはコニーを知らないし、コニーはセドリックを知らない。
じゃあ互いを知るためにまずはお付き合いから、という選択肢は、庶民同士、貴族同士ならあるかもしれなかったが、跡は継がないとはいえ、セドリックは伯爵子息。『やっぱりムリ』となっても、コニーからやっぱりこの話はなかったことに、とは言えなくなるだろう。
そもそもマイヤー伯爵が結婚を許すかどうかも・・・いや、許さなくともセドリックなら、そんなことはおかまいなしに、コニーがうなずきさえすれば結婚してしまいそうな気が、もう既にする。
(あれ)
セドリックのことは知らないのではなかったか。コニーは動揺した。
もうすでに相手のペースに乗せられているような感覚。
「いや、かまう。理由が今結婚を考えていないということだけなら、立候補は取り下げない」
しかも、お断りをお断りされてしまった。
「いえでも、お付き合いもしない、と私は言っているんですよ」
友人関係というならまだ枠もある気はするが、セドリックはそれを望んでいない。
「今はその状況じゃないということなら、コニーが結婚を考えられるようになるまで待つ。俺はコニー以外と結婚するつもりがないから、結果そういうことになるだけだが」
口説かれているはずなのに、一片の甘さも感じない。どきどきはしているが、これはそういうどきどきではない。話の先が見えない緊張感によるどきどきだ。
「その時は、来ないかもしれません」
冷たく言い放っても、セドリックはぴくりとも動揺しない。
「それでもかまわない。日常的にからむような真似はしないつもりだ。ただ定期的に意思確認をしに来るから、迷惑ならその時に言ってほしい」
(ずるい)
恋愛的にはまったく甘くない、業務報告のようなその提案の仕方。
もし熱っぽく口説かれていたら、コニーは間違いなく切り捨てていただろう。それを、封じられた。
コニーの「付き合いません」と言ったその言葉を尊重して、付きまとわないと宣言したことも。
迷惑だと思った時に「NO」と言え、と返事を先延ばしにさせたことも。
言えなくなった。今「断る」、とは。
コニーは小さく息をついた。
「わかりました」
コニーの答えに、セドリックはわずかに口角を上げた気がした。
***
セドリックは、言葉通りにまったく寄り付かなくなった。軍の仕事が忙しいのかもしれなかったが、帰宅しているのかどうかもわからない。要するに、顔すら合わせることのなかった、以前の状況に戻った。
契約期限が来て、コニーがマイヤー家を辞す時が来ても、セドリックに会うことはなかった。
コニーは、そのことに正直ほっとしていた。このままフェイドアウトしてくれてもいい、とさえ思っている。
セドリック個人がどうこうという話ではなく、コニーの根本的なところに問題がある。もともと結婚そのものに、消極的なのだ。
コニーは生まれが生まれで、育ちが育ちだ。どちらかというと、一般的ではない。
事情を何も知らない誰かを好きになることも、好きになってもらうことも、たぶん難しい。
かといって、事情を知っている人間を結婚相手として考えられるかというと、考えられない。どうしても、仕事相手として見てしまう。機密情報をやりとりする間柄で、心を預けるのは難しい。
結婚は、きっと難しい。一人で生きていこう。
そう思っていたところに、ルネの作品に出会った。
そこからは、とても所帯を持てるような金遣いではなくなっている。稼ぎのほとんどは、推し活に消えている。
結婚しないつもりで、自己責任とばかりにやりたい放題やっている。もはや結婚『しない』というより、『もういいや』の領域に入りつつあった。
結婚することで行動を制限されるのなら、結婚など、しなくていい。
セドリックはコニーの推し活を知らない。
今後知らせるつもりもない。
もし知ったら、セドリックはそれでも、コニーと結婚したいというだろうか、
考えて、少しだけ胸がちくりと痛んだが、気のせいだと思うことにした。




