60. 【番外編】執事のセドリックとメイドのコニーの事情 9/25
ロレインが、シグルドに薬とすり替えて毒を飲ませていることは、コニーが気が付いてはならないところだ。紹介で入ったとはいえ、信頼を得るほどの日数を、まだ勤務していない。言ったとて、信じてもらえるかどうかはわからない。だからそれについては触れなかった。
ロレインが、マイヤー伯爵夫妻も呼んでいると嘘をついて、セドリックを応接室に呼び出していることだけを伝えた。
「本当にロレインがセドリックを? あんなにシグルドのために頑張ってくれていると思っていたのに・・・」
コニーの話を聞いて、マイヤー伯爵夫人は動揺していた。
同席させられて内輪の話を聞かされたゲーアノートは、微妙な顔をしていた。巻き込まないで欲しいんだが、と顔に書いてある。コニーは無視した。
「コニー。セドリックは、応接室に呼ばれてるんだね?」
マイヤー伯爵は落ち着いていた。
「はい。個人の呼び出しではなくご家族を、と言伝を受けていらっしゃいますので、行かないということはないと思われます」
「うーん、そうとも言い切れないのがセドリックなんだけどね。私としては、『家族の一員として』行っていてほしい気持ちはある」
そう言って、マイヤー伯爵は苦笑した。
コニーとしては、セドリックは兄の婚約者の呼び出しに、もし単独だったなら応じなかっただろう、と言ったのだが、マイヤー伯爵は、両親と距離を置こうとしているセドリックが、『マイヤー家』の呼び出しに応じてくれているといいのだが、と言っている。
この局面で、心配するべきはそこではない。
コニーがたどり着きたい着地点は、ロレインの浮気疑惑ではない。毒殺未遂容疑だ。
シグルドが緩やかに自らの命を絶とうとするのを止めるために、コニーは動いている。
時間はない。
メイドの領分からは逸脱するが、はっきり言うか。いやでも。
逡巡している間に、マイヤー伯爵がコニーの心を読んだかのように、少し顔を引き締めた。
「とはいえ、セドリックがどう動くにせよ、これはマイヤー家として早急に対処すべき案件だね。よく知らせてくれたね、コニー」
「!」
伯爵家の当主が庶民の新人メイドの言うことをすぐに信じたこと、礼を言ったこと、早急に対処すると言ったことに、コニーは驚いた。少し、表情に漏れ出てしまったかもしれない。
マイヤー伯爵は、それに気分を害することもなく微笑んだ。
「コニーが嘘を言っているとは思わないよ。君は王家の承認状持ちのメイドだ。うちかロレイン嬢を陥れるメリットもない。それに何より、私はテスのことを料理人というよりは、友人だと思っている。その友人が紹介してくれた君を信じている、というよりは、単純にテスを信じているんだな。納得してもらえたかい?」
「し、失礼いたしました」
コニーは恐縮して詫びた。
コニーが貴族に対して抱いているある種の偏見を、マイヤー伯爵に見透かされたような気がした。
マイヤー伯爵はゆるりと笑んだ。
「さて、何とかしないとね。まだシグルドにもセドリックにも言ってないんだが、うちの応接室は、特別仕様なんだよ」
***
応接室の両隣の部屋は、人の居住に使用していない。それは、互いの部屋の会話が漏れ聞こえないように、との配慮からだ。
というのは建前で、マイヤー家の場合、遮音壁に囲まれた応接室の隣、リネン室の中には、なぜか鍵付きの小部屋があった。部屋イン部屋、だ。
リネン室のドアと応接室のドアは、同じ廊下の線上には配置していない。それは、応接室まで来客を案内する動線と、従業員が仕事で通る動線を同じくしないためだ。
だから、もし応接室にセドリックが向かっていたとしても、行き会う心配はなかった。
リネン室を就業当初に案内された時、おかしな作りだな、とコニーは思っていた。だが、隠し部屋というほどでもない。そもそも隠れていない。鍵付きの倉庫自体は貴族の家では珍しくもないから、必要があれば開けてみようかな程度の認識だったが、まさかその部屋が、入ってみると存外に広く、何が保管されているでもなく集音機だけが鎮座しているとは、コニーも予想していなかった。
マイヤー伯爵が連れてきたのは、マイヤー伯爵夫人、第三者であるゲーアノート、そしてコニー。
報告だけしたら解放されるものと思っていたのに、ゲーアノートだけではなく、コニーも巻き込まれた。
これも、コニーは予想していなかった。鍵付きの小部屋の内部。これはマイヤー家の機密事項ではないのか。
証人候補として仕方なく連れてこられたゲーアノートはともかく、いいのか、新人の短期契約メイドにこんなものを見せて。
「知り合いから買ったんだ。すごいんだよ、これ」
マイヤー伯爵が集音機を指して、小声で言う。
コニーはこれが、暗部仕様の集音機だと知っている。何ならコニーも持っている。
知り合い、ってまさか、テスさんじゃないですよね?
うっかり言いそうになって口をつぐんだ。
マイヤー伯爵は手慣れた様子で、応接室側の壁際に設置された集音機のスイッチを入れた。
かすかに、身じろぎするような衣擦れの音はするが、これはロレインがたてている音だろう。
声は聞こえない。
約束の時間にはまだ早い。セドリックはまだ来ていないようだった。
それほど時を待たずして、ノックは鳴った。
セドリックが来たようだ。
もちろんメイドはいない。ロレインが立ち上がってドアの方へ行く音がした。
「お待ちしておりました」というロレインらしき声が小さく聞こえ、ソファに座る、きしむ音が続く。
よくできている、とコニーは感心した。
応接室の四方を防音壁で囲むのは、一般的によくある造りだ。それはもちろん、応接室内でする会話が外に漏れないようにするためだが、マイヤー家の場合、応接室を囲むのはそれより強い、遮音壁。
集音機がなければ応接室内の音は聞こえないが、外の音も、応接室にいる人間には聞こえない。
つまり応接室にいる人間が、外で盗聴している人間の気配に気付けないようにするための造りだ。
実際、まあ多少の動揺もあるのだろうが、セドリックはこちらの気配に気付いていない。
「シグルド様は、もう長くないかもしれません」
話は急に始まった。ふと横に目を遣ると、マイヤー伯爵の表情は変わらなかったが、マイヤー伯爵夫人の顔がぴきりとこわばっている。それはそうだろう。『嫡男が死にかけだ』と、その婚約者が言っているのだ。
「シグルド様は、心身ともに弱っていらっしゃいます。私はもう、辛いのです」
セドリックが一言も発しないまま、ロレインの話は続く。
「シグルド様を、重責から解放して差し上げませんか? 私も、及ばずながらお手伝いいたします」
(いやいや)
これは完全にアウトだ。
何かしらの働きかけはしてくるだろうなとは思っていたが、ここまであからさまだとは思わなかった。
シグルドに対する、完全な裏切り行為。
第三者であるゲーアノートの証言は、さぞかし役に立つだろう。
問題は、セドリックの反応だった。
「あなたは」
入室して初めて発したセドリックの言葉を、ロレインが遮った。
「名前で呼んでください、セドリック様」
マイヤー伯爵夫人の形相が変わっていくのとは対照的に、マイヤー伯爵はゆるりとした笑みを崩さない。どちらが怖いかというと、マイヤー伯爵の方が断然怖い。
ぱし、と軽い衝撃音が聞こえた。おそらく、セドリックが手を振り払った音。
「呼べない。あなたは俺にとって、兄の婚約者でしかない。名前すら、覚えていない」
セドリックの硬い声が響く。
明確な拒絶だった。意図的にこの言葉をチョイスしたのだとしたら、たいしたものだとコニーは思う。
状況は状況だが、令嬢に想いを寄せられて、「名前も知らん」などと、およそ貴族の対応ではない。
悪魔の所業だ。相手を叩きのめして、立ち上がる隙さえ与えない。
「私は最初から、最初にお会いした時からセドリック様がよかったの。ほめられた行為じゃないとわかりながら、それでも思いきって話しかけてみたら、あなたは私にとても優しく接してくれたわ。そんなの、もしかしたらあなたも同じ気持ちかもって、思うじゃない! 私は、あなたのために!」
「俺のために?」
ああ、ロレインの爆発ゲージが溜まっていってる感。
セドリックはなだめるどころか、煽るような言葉を投げつけている。
わざとか? 天然なのか?
「そうよ、私はあなたの願いを叶えてあげようと思っただけよ。生まれるのが少し遅かっただけで、シグルド様に爵位を取られるあなたの願いを」
「俺は爵位が欲しいと思ったことは、一度もない」
ロレインの言葉を遮ったセドリックの静かな一言が放つのは、部屋の外にいてすら感じる、ぴりぴりと肌を刺す怒り。
マイヤー伯爵は笑みを深くしてゲーアノートに振り向くと、小さくつぶやいた。
「ちゃんと聞いたかい?」
ゲーアノートは無の表情で、小さくうなずいた。
(こわ)
マイヤー伯爵は、温厚なだけの男性ではない。やはり貴族なのだと、コニーは思い知った。
通報者の安全は確保されなければならない、と、コニーはその後すぐに解放された。
この件の関係者として扱われないよう、マイヤー伯爵が配慮してくれた形だ。それならもう少し早く解放して欲しかった、とは、言えるわけもない。
ゲーアノートが、シグルドが毒物による中毒症状だとマイヤー伯爵に進言したことで、事態は一気に動いた。
後で何か差し入れよう、とコニーは思った。
アリッサは、コニーの要望通り、解雇にはなったもののペナルティーが科されることはなかった。
テスに一言、物申したい。
セドリックが邸にいる時は、夜、マイヤー邸の旧訓練場でテスが指南をしている、と聞いていた。
今回の依頼には「裏の」調査は含まれていなかったし、コニーはあえて、そこには近づかないようにしていたのだが。
セドリックにはもう、今回の件にコニーが関わっていたことを知らされているだろう。
だからもう。
(今さらだし)
と、コニーは旧訓練場に向かった。




