6. 違和感
テスは朝が早い。
姫との会話の後、俺が厨房に行くと、もうテスは仕込みなのか、何か作業に入っていた。
「早いな、テス。いつもこんなに早いのか?」
すでに鍋に湯気がたっている。夜明けとともに働いている勢いだ。
テスは小太りの、おいしそうな料理人だ。ふくりと笑うと、ああこいつが作ったものはうまいよな、と食べる前から思えてしまう。
「今日はいつもより少しだけ早いです。姫様が昨日ミルク粥を召し上がらなかったので、食べていただけそうなものが作れるかなと」
コニーも姫様って呼んでたが、テスも姫様呼びになってるな。俺のせいか。
「ありがとう。さっき姫が起きて、少し話したんだ。味が強くなくて、水分の多いものなら食べられそうだって言ってた。粥でいけそうな感じだったぞ。あと、何かくせのない果物があったら一緒に出してやってほしいんだが・・・今うちに在庫あるか? なかったら俺が」
市場に行って買ってきてもいいぞ、と言おうとしたが、テスはまたふくりと笑った。
「旦那様と同じことを考えて、昨日桃と白ぶどうを買っておいたんです」
「準備がいいな」
クライン国民が体調が悪い時に食べる代表格の果物だ。昨日のうちに、姫が目が覚めたら出してくれるつもりで買っておいてくれたんだろう。本当に気が利く。
「皆様の分もありますので、朝食に出しますね」
うちは基本みんなで一緒に食べる。
姫だけに出しても誰も文句は言わないだろうが、姫は恐縮するだろう。
なんかそんな気がした。
だから、この配慮はたぶん当たってる。
「俺あんまり体調崩すことないから、果物は久々だ。楽しみだよ。あ、今後コニーも住み込みになる予定で、今朝も早く来てくれると思うから、人数に入れておいてほしい。材料費とか調理器具代とか、足りないようなら遠慮なく言ってくれ」
俺が言ったら、テスは目が線になるくらいの満面の笑みになった。
「コニーさんのことはセドリック坊ちゃ・・・、あ、セドリック様から聞いてます。姫様の食事のこともあるし、もう上乗せでいただいてるんです。買いたいものが買えて、作りたいものが作れて、皆様がおいしいと喜んでくださる顔が直接見られる。私はいい職場を紹介してもらいました」
紹介というか、セドリックが両親の許しも得ずに勝手にテスに直接打診して引き抜いた、というのが実情だ。あとセドリックが坊ちゃん呼びされてる。
「楽しく働いてもらえてるなら何よりだ。姫の体調が戻るまでは少し手間をかけるが、よろしく頼むよ」
「手間ではないですが、承りました」
俺は厨房を離れた。
コニーへの住み込み依頼、テスへの必要経費増額対応。
セドリックが俺の予想以上に執事の仕事をこなしている。
***
朝食は、全員で摂ることができた。
コニーによると姫はむしろそのことを「いいのですか?」と喜んでいたらしく、となると、騎士のカーターも従わないわけにはいかない。
「・・・・っ」
姫が、テーブルに載せられた目の前の食事を見て固まっている。
俺たちの朝食はパンにオムレツ、サラダとスープと、テーブルの真ん中にどん、と盛られたカットフルーツだったが、姫の食事はミルク粥とはちみつを垂らしたヨーグルト、隣に添えられているのはぶどうすら皮をむかれて一口大に切られた、果物の盛り合わせだ。
固まる姫が気になって、誰も食事に手が付けられない。
「食べられそうですか?」
俺がそう尋ねたら、姫は何か言おうと口を開いたがまた閉じて、ぽとりと涙を落とした。
え。泣いた? 泣いてる?
今度は俺たちが固まった。
コニーからはなぜか非難のまなざしが。ぷすりと俺に突き刺さる。
え、俺じゃないだろ、今の。
「エルシェリア様」
カーターが遠慮がちに呼びかけた。
名前呼びか。
と一瞬思ったが、王女殿下、とはここでは呼べないよな。奥様、とも言いづらいだろうし。
呼ばれた姫ははっと我にかえったように、涙を指でぬぐった。
「も、申し訳ありません。あの、こんなにまでしていただいて、ありがたくて」
いや、王女ですよね、あなた。行き倒れてたところを助けられた旅人じゃないですよね。
本当に、どんな生活を送って来たんだ。
「食べられ・・・ますか?」
2度目の声かけはさすがに躊躇する。
「はい」
姫は言って、手を組み合わせて目を閉じて祈りを捧げた。ウィデルの食前の祈りなんだろう。
スプーンを手に、ミルク粥をすくって一口。何となく固唾をのんで見守る俺たちの視線を気にかける様子もなく、もう一口。またぽとりと涙が落ちた。
「おいしいです。おいしいです、とても」
姫のその声に、同じ食卓につくテスがふくりと笑う。
「食べよう」
俺が言って、みんなの朝食がやっと始まった。
いつもはマナーなんて気にしないから雑談しながら食べているが、姫と騎士が静かに食事をするのにつられて、みんな黙って食べていた。でも、全然悪い空気じゃない。
姫は、完食した。
***
執務室。
姫と騎士はコニーに任せて、俺とセドリックはいつも通りの業務だ。
家と土地と爵位をもらったことに対する諸手続き的なことは、あと少しで一段落する。そうしたら、もう少し時間に余裕も出てくると思う。
何枚か書面に目を通して書き込みを入れた時、ふいに思い出した。朝食がわりと衝撃的で、少し記憶が飛んでいたようだ。
「セドリック」
ペンを置いて声をかけたら、直角向かいの机で同じく書類整理をするセドリックが、手を止めてこちらを向いた。返事はないが聞く体勢だ。
「暗部が使ってた、紫の粒が入った錠剤の毒薬、あれ何だっけ」
「どうした急に。ドグルだろ」
セドリックは書類の束をたててとん、と揃えるとそれを机の脇に置いた。
そうだ。ドグルだ。よくすぐ名前が出てくるな。
「そうそう。あれのプラシーボ、作れないか」
「どうした急に」
セドリックは驚く様子もなく繰り返した。
「姫が肌身離さず着けてるロケットペンダントに2錠、入ってるんだ。万が一のために、すり替えておきたい」
自害のためなら遅効性である必要はない。だとしたら、あれは俺用なんだろう。
「確認事項がある」
頭のどこかが痛そうな感じで顔をしかめたセドリックの言葉に、俺はうなずいた。
「何だ」
「あの子が肌身離さず着けてるロケットペンダントの中身を何でお前が知ってる。あと、何ですり替える必要がある。抜き取ってしまえばいいだろう」
セドリックはそんなものは作れない、とは言わなかった。軍にいた頃から、そういう伝手を持っているのは知っている。
「昨晩、生存確認で一瞬寝室に入った。眠ってる彼女の脇に、ピルケースタイプのロケットペンダントが置いてあったんだ。その中身を確かめた。どういう意図であれを持ってるのか、確認したい」
抜き取ってしまうのは簡単だが、それだと、姫が気付いた時に、こちらに不信感を抱くだろう。
「これは何だ、と問い詰めれば済む話じゃないのか」
何でそうしない? って顔をしてセドリックが言う。
そういうところじゃないのか、お前。ご両親にやんちゃ認定されてる所以。
「姫のあの感じが演技だとしたらたいしたもんだが、そうは見えないんだよ。俺の暗殺を命じられてるにしても、こちらに対する警戒心が薄い気がするし」
脅えることはあっても、これから俺を殺そうとしているようには、どうやっても見えない。
まだ腑に落ちない顔をしているセドリックに、俺は続けた。
「問い詰めてしまったら、姫に非があってもなくても、俺に決定的に恐怖心を抱いてしまう。まだ姫の口から自発的な意思を何も聞いてない。だから、できれば、それは最終手段にしたい」
むざむざ殺される気はもちろんないが、現時点で姫を追いつめたいわけでもない。
涙を落としながら、おいしいと言ってミルク粥を口にしていた、あの姫を。
俺の言葉に、セドリックはふん、と鼻白んだ。
「女を簡単に信用したら痛い目に遭うぞ」
何があった、セドリック。
「信用っていうのとは、ちょっと違うかな」
俺は小さく首をかしげた。
嘘じゃない。信用は、まだできない。それほどまだ知り合ってない。
あえて言葉にするなら、一番近いのは興味だろう。予想外の行動をとり続ける、隣国の王女への興味。
どのみち、俺が何回殺されかけたとして、俺からは姫を手にかけることはできない。
優しい感情なんかじゃなくて、単純に国際問題になるからだ。ウィデルに戦争の大義名分を与えることになってしまう。
むしろそれ目的で、ウィデルが姫をけしかけている可能性すらある。
姫が俺を殺すことはたぶん難しい。失敗して逆に姫が殺されるのを前提に、ウィデルが俺の暗殺を姫に命じているのだとしたら、もういたたまれない。
ただ、自発的であれ、命じられたのであれ、俺を暗殺する目的で姫がここに来ているのだとしたら、俺は少なくとも3年、命を守る行動をとるしか防衛手段がない。
セドリックの思考が、同じところに到達したらしい。呆れたように小さく息をついた。
「プラシーボは用意する。ただ、気を付けろ。あの子はそれなりの教育を受けてる」
「やっぱりお前もそう思ったか」
俺はうなずいた。
寝室でとった礼も、朝食の時の祈りも、カトラリーの使い方も。
一般的に王女がどういう教育を受けるものなのかは知らないが、少なくとも基本的な礼儀やマナーについては教育を受けている。セインが言ってたみたいに「ろくな教育を受けさせてもらっていない」わけじゃない。
セドリックが姫のことを「あの子」って呼んでるうちに、見極めないとな。
3年もあるのか、3年しかないのか、俺には判断がつかなかった。




