54. 【番外編】執事のセドリックとメイドのコニーの事情 3/25
その晩、自分から行ったことのないシグルドの部屋のドアを、セドリックは初めてノックした。
入室を許され、久々に見る、ベッドに横たわる兄の顔は、最後に見た記憶の兄とは別人だった。
頬は痩せこけ、顔色も良くない。
「久しぶり、セドリック」
シグルドは、弱々しく笑った。
セドリックは、何と返せばいいかわからなかった。
そんな言葉をかけてもらえる想定ではなかった。
お前のせいでこんなことに。
そう言われるために、ここに来た。
セドリックが謝るのは、何か違う。でも、シグルドには自分を罵る権利がある。そう思って、ここに来た。
シグルドは、婚約者に殺されそうになって、その婚約も破棄となった。
その詳細は、セドリックより先に、両親から聞かされている。ロレインの暴走の一端は、セドリックの存在にある。
罵っていい。そう、思っていたのに。
「なぁ、セドリック。僕はこんなだから。お前が爵位を継がないか?」
何の前置きもなく穏やかに言われ、セドリックは動揺した。
「いえ。医師の見立てだと」
「うん、聞いているよ。この症状が、何によるものか」
シグルドを苦しめているのは、病気ではない。毒による中毒症状だ。そして、解毒は可能。
そう聞いているのなら、もう寝たきり生活からは近いうちに解放される、と、知っているはずだ。
「何が起こっていたのかも、全部聞いている。・・・驚いたよ」
まさか、婚約者に殺されようとしていたなんて。
と、続くのだろう、とセドリックは思っていた。だが、違った。
「あんな優秀なメイドが来て、あっという間に解決してしまうなんて、思わなかった」
まるで、いたずらをしたことがばれてしまった子供のように、はは、とシグルドは笑った。
笑った、その違和感に、セドリックは背筋が冷える心地がした。
それは、つまり。
「あなたは、毒を飲まされているとわかっていて」
絞り出した声は、少しだけ掠れた。
「嫌だなぁ、セドリック。昔みたいに兄さんって呼んでほしいな。シグルドでもいいよ。・・・ああ、うん。ロレインが何のために、何をしようとしていたのかは、知っていたよ」
シグルドは、天蓋を向いて、穏やかに笑っている。
「なら、どうして」
推測はできている。でも、推測は推測でしかない。答えを、聞かなければならなかった。
シグルドは、笑んだまま、セドリックを見た。
「ちょうどいいから、乗っかろうと思って。利害の一致、ってやつだよ。長男に生まれたってだけで跡を継がなきゃならない、そのことに僕はもう、疲れていたんだ。ロレインが僕を病死と称して毒殺してくれるんなら、僕は誰にも責められることなく解放されるし、ロレインは、邪魔な僕を消して、セドリックと伯爵夫人の座を手に入れられる」
「でもそれは」
もう来ない未来。いや、違う。
あり得ない未来だ。
「うん。ロレインも僕も、失敗した。ロレインはもう表舞台には立てないし、僕はこの運命から逃れられない。替わってくれ、って言っても、替わってくれないんだろう?」
シグルドは再び視線を天に戻した。
セドリックは即答した。
「替われません」
ラルフを見ていて思う。適材適所というのは、あるのだ。
「弟だからというのは関係なく、俺には人の上に立つ資質がありません」
伯爵位を継ぐのは、シグルドの方が適している、と思う。少なくとも、自分よりはずっと。
シグルドは苦笑して、小さく息をついた。
「そういう言い方は、ずるいよ。僕にだってそんな資質はない。僕は、セドリックより先に生まれたというだけの」
「すみません。ずるかったです。言い方を変えます。先約があるので、家は継げません」
セドリックは、シグルドの言葉を遮った。
生まれてこの方、シグルドとこんなにちゃんと話したのは初めてだ。それに、こんなに強引に、家族に対して自分の意見を通すのも初めてだった。
先に生まれたというだけで押し付けることになるのは若干申し訳ないが、セドリックは、この家に自分の居場所を感じない。
結局、資質がどうこう、というのは建前で、要するに、単純に、跡を継ぐのが嫌なのだ。
シグルドは、怒ることなく、驚いてただ目を丸くした。
「先約?」
「はい。今いる隊の上司に、一生ついてこいと言われています。なので、家を継ぐことはできません」
怖ろしいほど幼稚な理由をぶっこんだ、という自覚はある。
しかもそれを言った本人に、その記憶はないかもしれない。それでも、利用させてもらうことにした。
ここは何があっても引けないところだ。
たとえ泣き落としで説得されても、応じるつもりは毛頭ない。
でも、痩せ細った兄を前に、俺は嫌だからお前がやれ、とは、さすがに言い辛かった。
「一生ついてこいと言われて、ついていくことにしたのかい?」
シグルドはまだきょとんとしたような表情だ。
「ええ、まあ・・・」
そこまでのやる気はないが、まあ今のところ、隊を辞めるつもりはない。
濁したのを、照れているのだと解釈されたらしい。
シグルドは苦笑した。
「セドリックのそんな顔、初めて見たよ。・・・しょうがないね。僕は失敗しちゃったし。ここから逃げ出す勇気も、セドリックみたいに知らない所に飛び込んでいく勇気も、自分で自分を終わらせる勇気もない。生きながらえてしまったからには、結局ここにいるしかないんだろう。・・・治るまでには、まだ少しかかるそうだ。たまには、顔を出してくれるかい?」
それは、「僕が跡を継ぐ」という、宣言だった。
「はい。・・・まだ一応、この家に住んではいますので」
シグルドが結婚したらすぐにでも兵舎に移ろうとしていたなどとは、言えるはずもない。
「父上と母上には、内緒だよ」
弱く笑んで、シグルドは唇に人差し指を当てた。
何を、とは聞かなかった。
シグルドが、ロレインの画策を知りながら自ら乗っていたということを秘密にしてくれと言っているのは、さすがにわかった。そんな念を押されなくとも、セドリックは両親と話をすること自体ほとんどない。でも、『秘密を共有しよう』と兄に言われるのは、少し懐かしくもあり、悪い気はしなかった。
「・・・もちろんです」
セドリックは、共犯になることを了承した。
セドリックはシグルドの部屋を後にして、邸の裏の、今は使われていない訓練場に向かった。
約束していた手合わせ、テスには少し遅れると伝えてある。
少しと言ったが、わりと時間が押している。テスが怒って帰ることはあり得ないが、待ちくたびれてすねている可能性はある。いつもより手合わせがハードになるかもしれないことを覚悟した。
『セドリックに、一生ついていきたいほどの上司ができたらしいよ』
シグルドが世間話的に発したこの何気ない一言が、両親に「うちの不思議次男を真人間にしてくれたのは上司」という認識を根付かせることになるのだが、そのことを、ラルフも、シグルドも、セドリックも知らない。
本編「4. 小さな疑惑」、ラルフがセドリックの両親に謎の感謝をされるエピソードの回収となります




