47. エル爆誕
雲間から陽が射して、辺り一面積もった雪が、それを乱反射させている。
きらきらと光の粒が舞って、目を細めていないとまぶしいくらいの、幻想的な光景だ。
クラインでは、めったに雪は降らない。
だから、俺の雪体験は、ウィデルとの国境、行く手を阻んだあの積もりに積もった雪の壁が、最初だった。
今回の道行きで、暗い、重い、冷たいとしか思えなかった雪に対するイメージが、一気に塗り替えられる。
新しい国の始まりに、ふさわしい景色だ。
「よかったよ、大惨事になってなくて」
俺は血痕一つない美しい雪景色に、感嘆と安堵のため息をついた。
「何の話だ?」
セドリックが首を傾げる。
「ニルスが来てお前に迎えに行ってもらっただろう。お前が手っ取り早く、取り巻く兵を片付けてるんじゃないかって、ちょっと心配してた」
「その必要がなかっただけだ」
必要だったらやってた、みたいな言い方はやめてくれ。
「兵は、ニルスを侵入者だとはみなさなかったのか?」
ニルスが来るのはめちゃくちゃ早かった。もしかして、ニルスと兵たちは顔見知りだったとか。
セドリックは、相槌程度の軽いうなずきを返した。
「なんか通行証みたいなのを、ニルスが持ってたんだよ。あれだろ、『エイデン様』にもらったんだろ。それを見せたら、兵はニルスを通した」
ああ、なんか言ってたな、『エイデン様』。ウィリアムの弟なんだっけ。
この件に関しては、何がどうなってるのか、まったく話の流れが読めていない。ニルスが戻って来たら、帰り道にでも聞いておいた方がいいだろうな。
セインが言ってた通り、近衛は、頼んだらすぐに馬車が出られるように準備してくれた。
中に入って待っててもよかったが、外の気温は、もう体感でわかるほど寒さが緩んでいる。
耐えられないほどの寒さじゃない。
せっかくのこの景色を堪能したくて、外で待っていることにした。
離宮の外にいるウィデル、いや旧ウィデルの暫定政権の兵たちは、何か指示でもされてるんだろうか。俺たちに対してもう敵対することはなく、いや敵対どころか少し距離をとって、貴賓を警護するみたいな感じになっている。
そう、『感じ』なんだよな。素人みが隠せてない。
ウィリアムは、茨の道を選んだ。
クーデターを起こす時にそっぽを向いた連中をまとめ上げて、共和制と貴族政治を両立させるなんて、考えるだけでも面倒くさい。
法整備からして、今真っ白な状態だ。
現実は、めでたしめでたし、では終わらない。
「お待たせしましたラルフ様!」
聞こえた声に、俺はぎょっとした。
振り向くと、離宮から出てきた、ニルスに姫抱っこされたエルシェリア王女と目が合った。
「お待たせしました」
雪で滑らないように、慎重に歩いてきたニルスは、いい顔つきになっていた。
全部うまくいったんだな? なんて、聞くまでもない。
「せっかくだから、もう少しゆっくりしててもよかったのに」
俺が想定していたより随分早い。
野営地に帰れば、2人きりになれる場所も時間も限られる。邸に戻るまで、それは続くだろう。
エルシェリア王女はにっこり笑った。
「大丈夫。やれることはやったから」
ごふっ
ニルスが変な咳をした。
頑張れニルス。
馬車まであと少しだ。エルシェリア王女を落とすんじゃないぞ。
「あっ、敬語を使うんだった。『大丈夫です。やれ」
「言い直さなくてもいい。伝わった」
俺はエルシェリア王女の言葉を、多少強引に遮った。
危険だ。これ以上はニルスの命に関わる。
「すごいわ。堂々と外にいる」
エルシェリア王女が、ぽつりとつぶやいた。
幽閉されていた、とはいえ、幼少時にエルシェリア王女は離宮の外でセインと会っている。
回数は少ないにしても、春の女神の力を借りて、見つからないように外に抜け出すことはあったんだろう。
「逃げ出そうと思ったことは、なかったんですか」
思わずの俺の問いに、エルシェリア王女はむぅ、と難しい顔をした。
あ。聞いちゃいけないセンシティブ案件だったか?
「申し訳ありません、踏み込んだことを」
慌てて謝った俺に、
「敬語は禁止です」
エルシェリア王女がかぶせてきた。
「はい?」
聞き直した俺に、エルシェリア王女は繰り返した。
「敬語は禁止です」
いや、聞き取れなくて聞き返したんじゃないから。
「私はラルフ様のお邸で働くニルスのこ、婚約者で、同じくラルフ様のお邸で働くメイドのエルです。旦那様が、メイドに敬語を使ってはいけません」
そういう設定になったのか。
あと自己紹介で、自分の立場よりも先にニルスの婚約者がきたか。よっぽど嬉しかったんだな。
ニルスを見ると、申し訳なさそうに苦笑している。
うん、わかってる。止められなかったんだよな。いいよ、この設定でいこう。
俺が了承の意を込めてうなずくと、ニルスもうなずいた。
「わかった、エル。話はこの後ゆっくり聞くよ。帰ろう、野営地に」
俺は待機している馬車を指さした。
こっちを見ていた兵たちが、胸に手を当てて、敬礼をしていた。
***
「逃げ出そうなんて、思ったことはなかったわ。あ、敬語」
馬車に乗り込むなりエルシェリア王女は、いや、エルはそう言って唇を両手の指で押さえた。
「いや。ここではまだその設定使わなくていいですから」
俺もその方が話しやすいし。
「じゃあ、馬車を降りるまでね? ・・・ニルスとシェリがいたもの。逃げる必要なんてなかった。だって逃げたところで、どこに行くの?」
これは、さっき俺が聞いた問いの答えだ。
エルは言動が幼く見えても、考え方は年齢より大人びている。自分の現状と立ち位置を、正確に把握していたからこその、答え。
「クラインで暮らすことについては、問題はないですか?」
クライン国籍ではあるが新しい戸籍を取得して、シェリに名を譲ってくれるのであれば、エルは自由だ。正直、ニルスと好きな場所で好きに暮らしてもかまわない。庶民として暮らすなら一生困らないだけの王女手当を、すでにセインからもらっている。それを手渡せば、2人はどこにでも行ける。
「私にとって、ニルスとシェリのいる場所が、私の居場所。そこがたまたまクラインで、あなたのお邸だということよ。最初は手間取ると思うけど、ちゃんと教育を受けて働くわ。よろしくね? 旦那様」
エルは少し首をかしげるようにして、にこりと笑う。
これだけ順応性の高い王女は、世界中探しても他にいないだろうな。
「よろしく。エル」
俺はうちに新しく増えた従業員に笑みを返した。
「春の女神。近々、新しい管理者が国民に説明をすると思う。その時に、国民にわかりやすい演出をお願いしたいんだが」
俺は斜め上を向いて、春の女神に問いかけた。
野営地にたどり着いてしまうと、人の目があるからこういう話もしにくくなる。
今ならエルもいるし、ちょうどいい。
『演出?』
姿は見えないのに、訝し気な感じが伝わるのが不思議だ。
「体を光らせるとか、何でもいい。盟約の管理者は確かにこいつだと、わからせる演出。国民が信じてついてこないと、国は存続しなくなる。それは女神の望むところではないだろう」
『演出とやらは構わぬ。だが管理者の行動を追ってはいない』
演出はしてやってもいいが、そのタイミングがわからない、ってことか。
「ラルフが説明の行事に参加すればいいのよ。本当は管理者権限はもう移行しているけど、国民の前で移行するふりをして、光が移るみたいな感じにしたら、それはもうわかりやすいんじゃない? ユン様にも『はい今』ってお願いできるし」
「・・・」
それは、想定以上に俺が前面に出る話だ。確かに、俺が矢面に立つとは言ったが。
「どっちみちお前の名前は、盟約を結んだ初代として説明に入ってくるんだろう? なら実体がその場にあった方が、わかりやすくはあるな」
セドリックが、俺に追い打ちをかける。正論だけにいらっとする。
これは、俺のおせっかい。しても、しなくてもいい。わかってる。
でも、茨の道だとわかってそれでも背負い立つウィリアムに、エールくらいは送りたい。
「はー。わかった。春の女神、その時がきたら、お願いする」
「ユン様、私からもお願いします」
『応じよう』
盟約の明文化も、しないといけないしな。こき使うって言われてるしな。
ここには、たぶん度々来ることになるんだろう。
思えば不思議な縁だ。俺、一応この国を敗戦に追いやった戦勝国の『英雄』なんだけどな。
春の女神にはまた、相談しよう。話せばわかる女神だ。
春の女神とは、クラインにいても会話はできる。夏の神の加護があるから力の介入はできないが、会話は可能らしい。だからこそ、エルがクラインに行くことの許しをもらえた、っていうのはある。
その後、ニルスに『エイデン様』のことを聞いたりしていると、
「ね、カーテン開けてもいい?」
エルが言った。
外に興味があるのは当然だ。でも今、辺りに人の気配がしている。
太陽の光が射して、少し気温がやわらいだおかげで、街に人が出てきたんだろう。
「少しだけなら」
エルは容姿端麗だ。たぶん、この大きな馬車自体も目立っているだろう。
見られて困ることはないが、衆目をわざわざ集める必要もない。
エルはうなずいて、本当に少しだけ、カーテンを開けた。
「すごいわ。広いわ。人がいっぱいいる」
馬車はけっこう進んでいる。時間的に見て、もうすぐ野営地に着く。離宮を抜け出すことはあっても、こんな所まで来たことはなかっただろう。
初めての景色に、エルがくいいるように外を見つめている。
今向かっているのは野営地だが、野営地を出てクラインに入ったら、きっとびっくりするんだろうな。
ちょっと微笑ましくなる。
「ねえニルス。あれは何?」
エルが指をさしている。
ニルスはカーテンの外をのぞいた。
のぞいてすぐ、なぜか真顔で俺を見た。
「ラルフ様。野営地の方角で、火事ではなさそうですが、煙が数本たっています」
俺は反射的に立ち上がった。
「先に行って確認してくる。セドリック、護衛頼んだ」
返事を待たずに、俺はドアのカギを開けると馬車を飛び降りた。




