44. 決断
「ニルス!」
息を切らせて部屋に入って来たニルスを呼んだのは、もちろんエルシェリア王女だ。
「え?」
バートンの声がした。
何の「え?」だ。
駆け寄るニルスに、立ち上がれないエルシェリア王女は、這うようにして、少しでも早く近付こうとした。
「エルシェリア様」
慌てたようにかがみ込んだニルスに、エルシェリア王女は躊躇なく抱きついた。
「ニルス・・・! 本当に生きてた・・・!」
いや俺、嘘はついてませんけど。
心の内でつぶやきつつ、俺は苦笑した。
そういうことじゃないんだよな。人から聞くのと、実際に見て確認するのとは全然違う。
ニルスは、がっつりしがみついたエルシェリア王女とは対称的に、おろおろと手をさまよわせている。
いいんだぞ。みんなにめっちゃ見られてはいるが。
「どういうことですか」
バートンがセインに低く唸った。
ん? セイン。まさか。
セインは動じることもなく、軽く肩をすくめた。
「クラインから送った抗議の書簡は、ウィデル王家に宛てたものだ。それをあなた方は勝手に盗み見た。その内容に関して訂正する義務が、こちらにあるとでも?」
強心臓か。
クラインにいる『エルシェリア』に、帰国を促す書簡を送ったのが暫定政権だと知ってなお、セインはシェリとニルスが生きていることを黙ってた。
俺がどう動くかの成り行きを、見極めるためでもあったんだろうが。
セインは、暫定政権だからといって一切の手を緩めていない。
触れないでおこう。
俺はニルスに目線を戻した。
「ニルス、どうしてここに? 何かあったのか?」
念のために聞いた。
テスとコニーがついてて、何かあったらもうそれはわりとどうにもならない事態だが、万が一シェリに何かがあって、それをニルスが知らせにきたのだとしたら。
その懸念は、早めに払拭しておきたい。
ニルスはエルシェリア王女にホールドされて立ち上がれないまま、俺を見上げた。
「エイデン様に会いました。それでクーデターが起こったことを知りました。私がニルス・カーターだと知って、エイデン様はすぐにエルシェリア様に会いに行った方がいい、と」
「エイデン様?」
「私の弟です」
俺の聞き返しに答えたのは、ニルスじゃなくてバートンだった。
どういう状況だ? 全然わからない。
「シェリは?」
あんなにエルシェリア王女に会いたがっていたシェリが、どうして一緒にいない?
「エルシェリア様がご無事なことが確かなら、ここに残る、と」
「・・・・ああ」
シェリは、自分の役目を果たすために、私情を抑えたんだ。
離宮での動きはシェリには伝わらない。だから、俺たちの邪魔にならないように、『エルシェリア』が動くことを控えた。テスとコニーを従えて、野営地の守りの役目もある。
一刻も早く、エルシェリア王女に会いたかっただろうに。
俺は服の上から左腕の組紐を軽く掴んだ。
俺も、自分の役目を果たす。
「来てくれて助かった、ニルス。エルシェリア王女は不調じゃないが、立てないんだ。今後の協議をするのに、場所を移したい。エルシェリア王女をお連れしてほしい。ニルスも協議に参加してくれ」
エルシェリア王女に触れることが許されるのは、お前だけだからな。
「・・・はい」
ニルスはうなずいて、やっと、エルシェリア王女の背に、宙でさまよわせていた手を優しく置いた。
***
お茶で一服したいところだが、テスもコニーもここにはいない。
ここに茶葉があるのかどうかもわからない。
離宮の食堂に、移動していた。
大きなテーブルと、人数分足りる椅子があるのがこの部屋だけだとニルスが言ったから、協議の場をここにした。
エルシェリア王女には、さっきまで背もたれにしてもらっていた毛布をクッションにして、椅子に座ってもらっている。
「疲れや空腹は、大丈夫ですか?」
俺が聞いたら、エルシェリア王女はにこりと笑ってうなずいた。
「ありがとう。まだ大丈夫」
隣に座っているニルスが、小さな袋を取り出してエルシェリア王女に手渡している。
あれ、テスのクッキーだな。
まあ、無理はしていないだろう。エルシェリア王女の顔色はいい。ニルス効果もあるだろうし。
何となく全員が席についたところで、向かいに座るバートンを見た。
表情は硬い。必要なのは茶より酒かもしれないな。
思ったが、それでも小さくうなずいたから、俺は話し始めた。
「まず一つ目。エルシェリア王女が神の愛し子だということは、徹底して伏せてもらいたい。エルシェリア王女には、クラインで何にも害されることなく、穏やかに暮らしていただきたいと考えている。そのために、俺が新王に起った」
俺が、矢面に立つために。
前ウィデル王権が倒れたこと、春の女神の加護が失われたことを、国民はもう肌で感じているだろう。そして今、加護は戻っている。そのことも、国民はほどなく認識するだろう。
新しい政権をたち上げるにあたって、国民に説明は必要だ。
その時に、神の愛し子が前ウィデル王権に代わって春の女神に加護を願い、新たに盟約を結んだのだと、言わないわけにはいかない。
その神の愛し子は、エルシェリア王女じゃない方がいい。
エルシェリア王女自身の負担にしたくない、というのももちろんあるが、俺個人的に、まだエルシェリア王女に打診してはいないが、シェリにその名を譲ってもらいたい心づもりがある。
偽りの名、前政権の元王女。ただでさえ背負うものが多くなるシェリに、「神の愛し子」の肩書きまで、背負わせたくはなかった。
「それは王命、でしょうか」
バートンは硬い口調で言った。
俺が王であることに納得がいってないんだと、外に滲みだしちゃったら駄目なんだよ、高位貴族が。
根が正直なんだろうな、この人。
「いや? 命令というより、俺の願いだ。シェ・エル・リラ・ユンとの盟約の1つでもある。『国民は、春の女神の愛し子たるエルシェリア王女の心身を害する一切の行為を禁ず』。だがエルシェリア王女は、今すでに法的にはクライン国民だ。暮らすのも、クライン。この盟約を、わざわざウィデル国民に知らしめて禁止するより、いっそ知らない方が関心も向かないだろう。それに、エルシェリア王女が神の愛し子だと知れれば、他国から狙われる可能性が高くなる。どちらかと言うとこっちの方が懸念事項だ。他国にとって、盟約なんか関係ないからな」
「・・・承知いたしました」
バートンはぴきぴきにこわばった顔で言った。
「盟約」って言葉がてきめんに効いてるな。
神との盟約は、そのまま神法につながる。
神法を犯せば、加護を失う。ウィデル王家みたいに。
この土地は、この国は、もともとの気候が厳しすぎて、加護なしに暮らしていくのは困難だ。
バートンは、今回身に沁みて知ったはずだ。その怖さを。
ああどうしようかな。迷うな。
バートンの、民を思う気持ちはたぶん本物だ。
侯爵っていう、すでに約束された身分でクーデターを起こすなんて、生半可な気持ちでできることじゃない。
他の貴族の賛同は、さほどは得られなかったんだろう。王宮を守る兵士たちは、寄せ集めたような素人ばかりだった。
エルシェリア王女を「国民」としてじゃなく「神の愛し子」として扱おうとしたのも、それが失った加護を取り戻すための、唯一の手段だと考えていたからだ。
悪い人間じゃない。いや、むしろいい人過ぎるんだ。
ただ為政者としてはどうか、って話。
まあでも。
このぐらいの堅物の方がいいのかもしれない。少なくとも、私利私欲に走ることはないだろう。
決めた。
俺は、二つ目の協議事項を口にした。




