40. 再会
シェリルは、待機する馬車の中で、細く束ねた刺繡糸を編んでいた。
これを組紐よりも幅広で、ほぼ布の形状に仕上げて、さらに縫い合わせてできる、腰に付けるキーケースをラルフのために作っている。
ウィデルまで来たものの、王宮には入れない。兄とともに、殺されたことになっているからだ。
ウィデルが偽物の王女と暗殺者の騎士を寄越した。その抗議を掲げてセインは国家間交渉に臨んでいる。ラルフはそれにまぎれて、エルシェリアの救出に向かっている。
自分たちが生きていると知られれば、元も子もない。
わかっている。わかっていてなお、連れてきてほしいと頼んだ。
旅に馬車が使えるという話になった瞬間、クラインで待つという選択肢は消えた。
でも、落ち着かない。落ち着かないから、何か集中できるものを、と布を編んでいる。
傍らに座っているコニーは、何も言わずにシェリルに寄り添ってくれている。
コニーは今は護衛だ。
自分など襲われる危険はないだろうに、とは思うが、エルシェリアが解放されるまでは、自分が『エルシェリア』だ。エルシェリアに許されれば、これからも『エルシェリア』として生きていく。
こういったことには、慣れなければならないのかもしれない。
落ち着かない理由は、もう一つある。
ウィデルに起こっている異変。天候不良はもちろんだが、帰って来た王都は、景色は確かに見覚えがあるのに、どこかよそよそしかった。まるで帰って来た気がしない。
それは、人通りがまったくと言っていいほどないからだ。
もともとクラインほど活気があるわけではなかったが、それでも温かく、人々の生活は息づいていた。
そのはずなのに。
「兄様・・・ニルスは?」
コニーと二人きりという安心感で、つい『兄様』と言ってしまった。コニーはそれを咎めることもなく、窓から馬車の外の一点を見つめた。
「馬たちを、怖ろしいまでのかいがいしさで世話してますね」
「・・・そう」
ニルスこそ、落ち着かないのだろう。何かをやっていないと、いろいろ変な方向に考えてしまいそうになるのは、おそらく同じなのだ。
「!」
コニーが立ち上がった。
「シェリ様。来訪者です」
コニーは、賊、とも侵入者、とも言わなかった。
「テスさんが対応しています。シェリ様も行きますか?」
「いいの? 誰?」
シェリルは立ち上がった。
「小さな泥棒さん、でしょうね」
コニーは気配を探るように一点を見つめた。
子供、か。
「行くわ」
自分にも何か、できることがあるかもしれない。
シェリルはコニーに連れられて、馬車を降りた。
***
「お願いだよ。見逃してくれよ」
「まずは言うことがあるんじゃないですか?」
シェリルがコニーの後について声のする方に向かうと、ふきんで後ろ手に両腕をくくられた子供が、樽の上にちょこんと座らされていた。
テスがその子供の目線に合わせて少しかがんで、話しかけている。
「テス。大丈夫?」
この状況でテスが大丈夫じゃないわけはなかったが、何があったの? と聞くのも何か違う気がした。
見ればわかる。
子供が、食料を盗み出そうとした。それをテスがつかまえて、子供であることを考慮して、緩く拘束した。
ここにあるのはその光景だ。
「ええ、私も食材も無事ですよ。シェリ様。どうしましょうか」
テスはシェリに判断を任せてくれた。そもそも、テスも子供を罰する気などないのだろう。
「ありがとう、テス」
シェリルは笑んでテスに言った後、脇にどいたテスに代わって、子供の前に立った。
かがまなくともそこそこ目線が合っているので、そのまま話しかけることにした。
「お腹が、減っているの?」
シェリルの問いに、子供は答えなかった。
泣きそうになるのを我慢しているからか、そっぽを向いて、子供は目を合わせない。
唇を噛みしめて、言葉が発せないでいる。
王都で、子供が盗み?
食料難が相当深刻化しているのだと、実感する。
もともとウィデルは豊かな国ではなく、食生活も質素な方だ。
でも、日々食べるものにすら困窮することは、なかったはずだ。
たった3か月ほど。
その短い期間で、王都はシェリルの知らない街になりつつある。
この天候で、物流が停止していることはもちろんあるだろうが、国家間交渉のカードとしての経済制裁、クラインの食料の輸出制限は、王家ではなく、国民に響いている。
「何か食べる?」
重ねたシェリルの言葉に、子供は耐えきれなくなったように、顔をくしゃくしゃにして泣き叫んだ。
「いらないよ!」
子供と初めて目が合った。真っ赤な目のその奥にあるのは、怒りではなく、焦り、悲しみだ。
「でも、くれるんだったら、母ちゃんに・・・」
「え?」
その時。
シェリルの視界の端に捕らえていたテスの姿が消え、コニーが子供からではなく、別方向の何かからシェリルをかばうように立ちはだかった。
「ちょっ! 待ってくれ! 俺に害意はない! その子を引き取りに来ただけなんだ」
少し先で、男の声がした。テスが拘束したのだろう。ただその声に、シェリルは聞き覚えがあった。
「コニー。私の知ってる人かも。行ってもいい?」
コニーは苦笑した。
「知ってる人の方がわりと問題なんですが」
「あ」
そうだった。シェリルは死んでいる設定なのだ。
ただ王家がそのことをセインの抗議の書簡で認識していたとしても、シェリルは別に有名人でも何でもない。王都の民にまで、周知はされないはず。
だがこういうことはどこでどうつながるかわからないから、コニーは慎重になっているのだろう。
「おや? あなたは」
テスの声がした。テスにとっても知り合いだったらしい。
「ん? テシー? テシーじゃないか。なんか雰囲気変わったな? 全然気付かなかった」
「お久しぶりです、エイデン様。拘束したまま言うのもなんですが」
テスはいつもと変わらない朗らかな声で言う。
何となく、言いたいことがいろいろある。
テシーって。偽名を名乗るにしても安易過ぎはしないか。適当過ぎないか。
それに、明らかに既知で、朗らかに丁寧な敬語で接しているのに、拘束は解かないのか。
シェリルがもやもやしながらコニーを見ると、コニーは視線に気付いてこちらを向いた。
同じ気持ちだ。
シェリルはコニーの目を見て確信した。
「先生ー!」
子供が叫んだ。
やっぱり。シェリルは、男の声に対する自分の記憶が正しいことを再確認した。
「たぶん、大丈夫。コニー、テスに、先生をこちらにお連れしてもらって」
拘束は解かないままでいいから、という含みを持たせて言ったのを、コニーは正しく汲み取ってくれたようだった。少し間を置いて「わかりました」と言うと、コニーはシェリルの側を離れた。
「あれ、あんたは」
テスに両腕を拘束されたままの男は、シェリルを見ると、やはり気付いた。
「あの時はお世話になりました、先生。おかげ様で、患者は全快いたしました」
シェリルは小さく礼をとった。
「いや、この状態で言われても。拘束ははずしてもらえないのかよ」
男 ーエイデンというらしいがー の不平は最もだったが、
「すみませんエイデン様。少々事情がありまして。もう少しこのままで」
テスがにこりと笑って制した。
「テ・・・テシー。先生とお知り合いなの?」
エイデンにはテシーと名乗っているようだから、シェリルも合わせた。
テスは笑みを深くして、エイデンを見つめた。
「ええ、まあ。世界の料理に触れる旅の途中で、出会いまして」
「世界の料理に触れる旅?」
聞き返したエイデンに、テスはさらに笑みを深くした。
目が笑っていない。
「あ、ああ。そうだな・・・」
エイデンは少し目をそらしてつぶやいた。
何か訳アリそうだ。触れてはいけない。シェリルは判断した。
「シェリ様こそ、エイデン様とはご面識が?」
テスの問いに、シェリルはうなずいた。
「あの水・・・熱の時に飲むといい、あの水のレシピを教えてくださったお医者様なの」
「ああ、普通じゃない水の」
うなずくテスに、エイデンがまた聞き返した。
「普通じゃない水?」
わからないのは当然だろう。名付けたのはラルフだ。
「あ、いえ。邸の主が熱の時に作ってお出ししたのですが、私の説明が悪くてそういう命名に・・さらにこれが邸で定着いたしまして」
あたふたと話すシェリルに、エイデンは口角を上げた。
「あんた、あの時よりずいぶんいい顔つきになったな。もちろん健康状態もだが、そういう意味じゃなく、な。ただテシーと一緒にいるのは解せないな。俺はその子を引き取りに来たただの医者だが、その子を許してもらうかわりに、多少の情報は提供できるかもしれないぞ。積もる話をしないか、テシー」
エイデンの誘いに、テスは穏やかに笑んだまま、少しだけ間を置いて、
「かまいませんよ。こちらはそれほど積もってはいませんけど、ね」
と、応えた。




