4. 小さな疑惑
姫がうちに来て初めての食事、夕食は、一緒に摂らないことになった。
いや、摂れないというか。
料理人は、王女が降嫁するとなって大急ぎで雇った。セドリックが、多少強引に実家から引き抜いてきてくれた。
マイヤー家に謝罪と感謝を伝えに行ったら、やんちゃな次男坊が真人間になれたのはあなたのおかげだと、逆に感謝された。あいついったい家でどんな位置付けなんだ。
真人間て。
とにかくそのおかげで料理人はもう家にいる。だから、料理がなかったわけじゃない。
屋敷内を移動中、コニーとすれ違った。その立ち話での報告で、姫がそういう状況じゃないことがわかったからだ。
「姫様はひどく消耗していらっしゃるようです。部屋にご案内してからお菓子とお茶をお持ちしようとしたら、食べられないからいいとおっしゃって。白湯だけをお飲みになりました。あの分だと固形物は受け付けないでしょう」
長旅の汚れがあるからと、湯浴みは姫の強い要望で入ったのだという。だがそれで体力を使い果たしてしまい、今は眠っているらしい。
「朝まで眠れるようなら、寝かせておいてやろう。途中で腹が減って起きるかもしれない。テスにミルク粥を作っておいてもらえるよう、伝えてもらえるか」
テスとは料理人の名前だ。
「承知いたしました。残念でしたね、初夜」
コニーが真顔で言うから、俺は脱力した。
「何の冗談だ。相手は子供だぞ」
初めて会った姫は、とにかく小さかった。そういう意味で付けられたあだ名ではないが、妖精姫というのがぴったりあてはまるような。細くて、もろくて、弱い印象だ。
俺の5つ下、20歳のセインを幼い時に助けたというから、彼女もセインと同じくらいか、少し下くらいの歳なんだろうが、いわゆる「そういう」対象には見られない。
いやそもそも、彼女も望んでないだろう。これは、彼女が望んだ結婚じゃない。
セインには白い結婚でいいと言われているし。
今のところは、様子見だと思っている。夫というより、保護者の気分だ。
保護者になったことはないが。
「姫様は子供ではありませんよ。痩せてはいらっしゃいますが、出るとこ出てましたし」
コニーの暴言に、俺はきり、と刺すような頭痛を感じて額に手をかざした。
「個人情報漏洩だ。気を付けてくれ」
「旦那様」
「何だ」
「胸派でも尻派でもないってことは、もしかして、少数派の腰派、ですか。あっまさかの足派?」
「今すぐ帰れ」
コニーは通いだ。いつもの帰宅の時間を、今もう少し過ぎている。
「ああそのことですが。先ほどセドリック様に、姫様に侍女がついてこなかったから、追加で侍女を雇うまででもいいからここで住み込みで働かないかと打診されまして」
確かに。コニーが帰ってしまったら、この家に姫以外の女性はいなくなる。
「いいのか? コニー。俺としては願ってもないが」
「いえ今日は帰りますけどね、さすがに。ただ、母は反対しないでしょう。そうすると、追加で侍女をお雇いになった時に、ここを追い出されるのも逆に困るんですけど」
「コニーがいいなら今後は住み込みで頼むよ。追い出したりしない。その分、給料も上乗せする」
「ありがとうございます。忘れないうちに契約書に残しましょうね」
しっかりしてるな。思わずふっと笑いが漏れた。
コニーが少し困った顔になる。
「何だ」
「そういう顔を、姫様に見せてあげてくださいよ。随分緊張されていたみたいでしたよ」
コニーが姫寄りだ。仲良くなったんだろうか。
「姫は、コニーから見てどうだ?」
尋ねると、コニーは苦笑した。
「私に聞くより、ご本人と話されるのが一番早いですよ。ただ侍女として、住み込みで働いてもいいと思う程度には、物腰が柔らかくて、庇護欲をそそられる方ですね」
庇護欲か。そういえばセドリックも「あの子」呼びしてたな。
「わかった、ありがとう。引き留めてすまなかった。テスには俺が伝えておく。セドリックに送らせようか」
外は陽が沈んで、もう暗くなりかけている。
「いえ。大丈夫です」
俺の視界の端、ちょうどセドリックが歩いてくるのが見えた。
「セドリック」
呼んだら、少しだけ向きを修正してこっちに歩いてきた。
「どうした」
「お前がコニーに打診してくれて助かった。住み込みで働いてもらうことにした」
「ああ」
セドリックは小さくうなずいた。
「今忙しいか?」
聞いたら、いや? と短く返って来た。
「もう暗いから、コニーを送ってやってほしいんだ」
「いえ大丈」
言いかけたコニーを遮って、
「いいぞ」
セドリックが応じた。
コニーは、半ば連行されるようにして帰っていった。
姫のいない夕食を、主と一緒に摂ることはできないと、騎士カーターには同席を辞退されてしまった。
まあ、そうなるか。
だとしてうち、従業員少ないから、食堂でみんなで食事をしてるんだが・・。
姫は、テスやセドリックと、今後はコニーも、一緒に食事を摂るってなったら、嫌がるだろうか。
カーターは、俺や姫と同席して食事をすることを、拒むだろうか。
家に人が増えるっていうのは、意外と難しいことなんだなと気付く。
軍にいた時は、食堂や野営で食事をする時は、上下関係はなく、みんな一緒だった。
そういうわけにはいかないか。だって、姫だもんな・・・。
明日から、一つ一つ話をして決めていかないといけない。
***
姫の部屋と俺の部屋の間の部屋が、一応夫婦の寝室ということになっている。
それぞれの部屋に鍵付きのドアがあって、廊下を通らず直接寝室に行き来できるようになっている。
姫の部屋にはベッドはない。だから、今姫は寝室のベッドで眠っている。
俺の部屋にはベッドがある。
それはもちろん、白い結婚を見越してのことだ。
だから今日は、俺の部屋で眠ろうと思っている。
今日も、だな。状況がどう変わるかはわからないが、まあ少なくとも当分はそうなるだろう。
夕食を終えて、眠る前。
結局姫は、一度も寝室から出てこなかった。
だから、ふと心配になってしまった。
一度も起きていないんだろうか。水差しは置いてあるとコニーは言ってたが、起きているが侍女もいなくて外に出られない、なんてことにはなっていないか。
熟睡しているならいいが、あの細い体で、飯もろくに食ってない。
うちに来てから、白湯しか口に入れていない。
死んで・・・はないよな、さすがに。いや、死んでなくとも、看護の必要な事態になってはいないか。
考え出すと、気になって眠気が飛んだ。
コニーがまだ住み込みでないことが悔やまれた。
確認できる人間が、現状俺しかいない。
仕方なく、俺は寝室に続くドアの鍵を、音をたてないようにして開けた。
静かにドアを開け、気配を消してベッドに近付く。
夜這いみたいで気が引けるが、手を出すつもりはないし、書面上とはいえ、一応夫だし。
誰にかわからない言い訳を心の中で並べたてながら、のぞき込んだ。
姫は、ぐっすり眠っていた。眠っていたことに、安心した。ちゃんと、規則正しく息をしてる。
何かから身を守るかのようにして丸まって眠るその姿は、ちょっと痛々しい。
生存確認ができたから自分の部屋に戻ろうと、向きを変えたその時。目に入ったものがあった。
サイドテーブルの上、薄闇にわずかに輝く何か。
目を凝らしてみると、それはロケットペンダントだった。
それ自体は特に珍しくもないが、その形が俺は気になった。
平べったくない。
写真を入れるためのトップは、たいてい薄く平べったい。
だがこれは、筒状のトップ。つまり、写真を入れるためのものじゃない。ピルケースだ。
軍で、暗部の女性が似た形のものを使っていた。だから、これがピルケースだと知っている。
姫は、何か発作を伴うような病でも持っているのか?
それとも。
俺は音がしないようにゆっくりとチェーンから持ち上げて、ロケットペンダントを手に取った。
自分の部屋に持ち帰って確かめたいが、姫を起こすリスクは避けたい。
闇に目が慣れてきたこともあるし、と、その場でロケットの中身を確認した。
薄紫の細かい粒が入った小さな錠剤が、2錠。
これが何かを、軍にいた俺は知っていた。
遅効性の、しかも少量で致死率の高い、毒薬だ。




