38. 奇跡?
翌日、午になるのを待たずに俺たちは国境にたどり着いた。
そこには、何とも言い難い奇妙な光景が広がっていた。
普通の国境だとこうはならないんだろうが、ウィデルもクラインも、神の加護を持つ国だ。
国境で、気候が線を引いたみたいに違っている。
ウィデルが、セインの言う通り加護を失っているとして、その暴力的なまでの冷気は、クライン国内に入ると途端に勢いを失くす。クラインは、夏の神に護られているからだ。
国境の大きな格子の門を隔てた向こう側は、昨日先遣隊が報告してきた通りに、真っ白な雪が積もりに積もって、道が見当たらないというより、雪の壁みたいに見える。
これじゃまず、役人が関所にたどり着けないだろう。
陽が中天にさしかかるこの時間帯でも、やっぱり関所に人の気配はないし、門が開いてもいない。
これを、除雪して進むのか?
格子門の向こう、吹雪は依然としてやみそうにない。道を開いた先から埋もれていって、途中で野営することも難しいんじゃないのか。そもそも、ウィデル全土でこの状態なのか。
「ニルス、ここから王宮まで、通常時、馬車でならどのくらいかかる?」
厳しい顔で祖国を見つめていたニルスは、俺の問いかけにはっと我に返った。
「雪がなければ半日もかかりません。雪があれば半日と少し、といったところですが、その基準はこの積雪量には当てはまりません」
何もなくても、そこそこの距離。
いやまず馬が、積雪の相乗効果で氷室みたいになってるこの環境に、耐えられるのか。
わりとポジティブ思考のはずのセインですら、「さあ行くぞ!」とはなっていない。
難しい顔で格子門の向こうを見つめている。
どうする。
『道を、開きたいか?』
突然耳元で聞こえた声に、俺は反射的に振り返った。急に動いた俺に、みんなの注目が集まる。
何だ?
みんなには、聞こえていない、のか?
『春の加護がない今なら、この地に干渉することは可能だ。道を開きたいか?』
また、聞こえた。
本能的な畏れに背筋が冷える。
何だ、これは。
思う一方で、どこかで納得してる自分もいる。
『神の愛し子は、神と言葉を交わすことができる、らしい』
セインが昨日言っていた言葉を思い出す。
いや、でも。俺の両親はクラインの没落貴族だった。俺がクラインで生まれたことはおそらく間違いない。クラインで、神の愛し子が生まれるなんて。
この声の主は、誰だ。
まさか、夏の神じゃないだろう。
『聞こえているだろう? 答えろ。道を開きたいか?』
気のせいかもしれないが、その声にはどこか面白がっている空気が感じられる。
「開きたい」
俺は問いに答えた。
本当にこの局面でそんな奇跡を起こしてくれるのなら、やってもらわないわけがない。
ただ。
「見返りは何だ」
念のために聞いた。俺はセインとの取引に慣れていて、見返りのない善意? は、いまいち信じられない。
『見返り! まさか愛し子に見返りを尋ねられるとはな! はは。いいな。さすが俺の愛し子だ』
「あなたは誰だ」
俺の愛し子。言い方がなんか、夏の神じゃないっぽい。
『俺は運を司る神。転じて勝負の神でもある。見返りは、そうだな。春の不機嫌を何とかしろ。俺は夏に借りがある。春がここの加護をなくすことを、夏は良しとしていない』
春、はたぶんウィデルの加護神で、夏、はたぶんクラインの加護神だ。
俺は昔から運がいいなとは思っていたが、この人、いやこの神のおかげでもあったらしい。
神って感じ、しないんだよな。それに、運の神なんて、聞いたことないし。でも。
神の愛し子、か。
驚きはしても、疑いはしない。声は、確実に俺だけに届いてる。
「やれるだけやってみる。道を開いてくれ」
俺の言葉に呼応するように、格子門の向こう、道を埋め尽くしてた雪が雑な感じに脇に押し除けられた。横に圧雪されて、道の両脇が壁みたいになっている。
力技か。融かすとかだと思ってたよ。
「ラルフ」
セインが驚きというより、少し呆れた感じで開かれた道を見つめている。
「なんか、俺も愛し子だったようだ。夏の神じゃないから安心してくれ。俺も混乱してる。説明は後にさせてくれ。雪はまだ降り続いてる。道がまた埋まる前に、早く行こう」
セインの決断は早かった。
「関所に侵入して格子門を開けろ。装備確認の上、すぐに出発する」
止まっていた時間は、急に動き出した。
***
そこからは、早かった。
道が雪で埋もれてたのは最初だけだった。国境は、地形的に吹き溜まりみたいになっていただけのようだ。民家が見え始めると、さすがに雪道ではあったが、通れないほどじゃなかった。
雪も降ってはいたが、吹雪にはなっていない。
馬も、何とか頑張ってくれた。
寒さは、寒いは寒いが、慣れてきたのか、吹雪いてないからか、最初ほどのきつさは感じない。
ただ、陽はまったく射していない。
3か月ずっとこれなら、ただでさえ育ちにくい作物が、育つことは難しいだろう。
辺りが暗くなってきた頃に、王都に入った。
これはニルスの説明から考えると、早い方だ。
もう夜だからなのか、寒さのためか、人の姿はまったく見ない。
しん、と静まった街。ただわずかばかりではあるが、灯りのともっている家もあって、誰もいないってわけじゃないんだと、少し安心する。
王都で、これか。
夜に王宮に押しかけるのはさすがにどうか、ってことになって、街はずれで野営することになった。
旅に出て、初めての野営。
テスが、やっと職務遂行できますよ、と嬉しそうに笑った。だよな。テスはずっと俺たちの師匠だった。
近衛も含めて、全員がいる食事の場で、国境で俺に何があったのかを話した。
下手に隠したら、帰国後にまた変な話がまわりかねない。クラインに反意はなく、国を興せるかもしれないがそのつもりはないことを明言した。
ただ、セインが箝口令を敷いた。
「セイン、運の神って知ってるか?」
神の愛し子の末裔で、加護を持つ国の管理者の家系であるセインなら、何か知ってるかも、と思った。
「いや.聞いたことないな。王城にある禁書庫に、もしかしたら文献があるかもしれないが」
セインも知らなかった。
あれから、声は聞こえてこない。
こっちから話しかけたら答えてくれるのかと思ってやってはみたが、返事はなかった。
そういうものなのか、あの神がそういう方針なのかもわからない。
エルシェリア王女は幼い頃から春の神と会話していたようだが、俺はこれが初めてだ。
神によっても、違うのかもしれない。
「シェリ」
シェリとコニーが歩いているのを見かけて、つい声をかけた。
コニーが心得たように、シェリが持っていた荷物も引き受けてくれる。
「ごめんコニー。すぐ帰すから」
言ったら、コニーはある一点を指差した。
「何だ?」
「ロマンチックな光景はありませんが、人気のないおすすめスポットです。旦那様と一緒なら、シェリに護衛はいらないでしょうし。ごゆっくりどうぞ」
ここではコニーも、同僚として「シェリ」と呼ぶ。
「ありがとう」
俺はシェリを連れ出した。
シェリはウィデルで、神の愛し子は特別な存在なのだと刷り込まれている。
俺のことを見る目が変わってしまうことを、俺は恐れていた。
コニーの指定したおすすめスポットは、確かに絶妙に暗がりで、辺りに人の気配がない。
2人きりで親密な話をしているのを、見られてたり聞かれたりして困るのは近衛に対してだけだが、俺がシェリに手を出している、なんていう噂を立てられるのは、困る。
明日、どうなるかはまだわからないから、慎重に動く必要があった。
「シェリ」
さっきから目が合わない。呼びかけたら、おず、とシェリは控えめな感じに俺を見た。
「俺は、変わらないよ。セインも言ってた。神の愛し子は、ただ神と言葉を交わせるだけで、他に何ができるわけでもない、って」
シェリはうなずいた。
「わかってはいるんです。ただ、国境の奇跡を目の当たりにして、やっぱり私なんかが」
俺はシェリを静かに抱きしめた。
「俺は、シェリがいい。俺は、心臓ばくばく言わせながらこんなことしてる、シェリの1番になりたいと思ってる、ただの男だよ」
少し固まっていたシェリの体の力が抜ける。
ためらいがちに、腕が俺の背中にまわる。
「ふふ、本当に胸がどきどきしてるのが伝わります。すごく、安心します」
涙声だったから心配になって顔をのぞき込むと、目が合った。潤んだ瞳で、ふわりと笑う。
「ラルフ様は、とっくに私の1番です」
微笑んだはずみで伝う涙を唇ですくい取ったら、シェリはくすぐったそうに身じろいだ。
「戸惑ってしまって申し訳ありません。ラルフ様はラルフ様だったのに。私の大切な」
見上げるシェリの顔が愛おしくて、俺はシェリが全部言い終わるのを待たずに口付けた。
でもシェリは、身を引くことなく受け入れてくれた。
『やるなぁ、さすが俺の愛し子』
何度話しかけても返ってこなかった声がやっと聞こえたが、この時俺はスルーした。




