35. 大切な
「うん?」
首だけ振り向く。
「あの・・・結局一緒に行くことになったので、当初の目的はなくなったんですが」
何の話だ。
俺は体をシェリの方に向き直した。
「ちょっと待っててください」
シェリは自分の部屋に駆け戻って、すぐに戻ってきた。手に何か包みを持っている。
「これなんですが。ウィデルでは、大切な人が長旅や戦地に赴く時、無事の帰還を祈って組紐を作るんです。ラルフ様がウィデルに行くことになった時から編み進めていたんですが、昨日、私も行かせていただけることになったので」
シェリが開いた両手には、ハンカチにふんわりと包まれたもの。
一緒に行くのに無事のお帰りを祈るも何も、ってことか。
「もらえないの?」
俺はからかうように首を傾げた。
シェリは『大切な人』って言った。
そのことが、俺をひどく浮つかせている。
「受け取って、もらえますか?」
シェリは包んでいたハンカチを開いた。
俺の髪色の浅葱と、瞳の色の紫紺、それにシェリの髪色の栗色と瞳のはしぱみ色の刺繍糸の細い束が、複雑に編み込まれて波みたいな模様が美しい、紐というよりは細い帯。
想像していたよりずっと、芸術品だった。
「すごいな」
姫をシェリと呼ぶようになったあの日から、まだ4日しか経ってない。
あの日から作り始めて、もうできていることになる。
よれることも、模様がずれることもなく。
「ラルフ様の利き手は右なので、左手首に緩く、くくりつけるんです。お戻りになるまでは、つけたままにしていただきたいのですが、お邪魔になりますか?」
「いや、大丈夫」
そもそも、クラインは暑いとはいえ、腕がそのまま出るような服装で旅をすることはない。ウィデルに入ればなおさら、組紐がぷらぷらして困るってことにはならないだろう。
いやもうこの際むしろ、邪魔になってもいい。
「じゃあ左腕を、出していただけますか?」
俺は素直に袖をまくって左腕を出した。
シェリが結んでくれようとするが、お互い立ってるから、ぶれてうまくいかない。
「座ろう」
ここは寝室だ。まだ寝たことはないが、一応俺のベッドでもある。シェリをベッドに促して、隣同士腰かけた。
「できました」
俺の左腕に、きれいな組紐が柔らかくかかっている。
幅がある組紐だから、ちょっとした腕輪に見えなくもない。
誰に見せるものでもないが、誰かに見せたいような、見せたくないような。
思わず口角が上がる。
「手を洗ったり湯浴みをする時もはずさないので、戻られたら切ってはずしていただいてかまいません。それをつけて戻ってきてほしい、という願いを込めたお守りです」
嬉しそうな俺の顔を見たからか、シェリもつられたように微笑む。
「もったいないな、切るの」
「でも、糸でできていますし、汚れてくるかと思います。それに無事戻られたら、切るのが決まりです。ラルフ様が望まれるなら、私いつでも・・・あ、でも、どこも行かないのに渡すのは逆に不吉とされますから、別のものをお作りしますね」
いつでも。ずっと、そばで。
シェリは意識せずに言ったんだろうが、その言葉は俺の心にすとんと刺さった。
「もらう側は、何かする?」
クラインにはこんな風習はない。
聞いたら、シェリはぼっと顔を赤くした。
「いえあの、・・・お礼の、キスを」
聞かれるとは思ってなかったんだろう。わかりやすく動揺している。
ああ、かわいいな。
俺はためらうことなく口付けた。
「!」
シェリが驚いたように目を見開いた。
いや、そんな驚く? この流れで?
「嫌だった?」
ぴしりと音がするくらい固まっているシェリに、声をかける。
両想い、なんじゃなかったっけ。こんな反応をされたら不安になる。
「いえ、まさか口にくるとは・・・いえあの、組紐は『大切な人』の無事の帰りを願うものなので、家族だったり目上の方だったりもするわけで、なので、頬が一般的で、あ、でも恋人や夫婦なら口でも」
「嫌だった?」
何か言い訳みたいな言葉をまくし立てるシェリに、俺は繰り返した。
俺たちは、エルシェリア王女の許しを得られれば、だが、一応法律的には夫婦だ。そうでなくても、恋人ではあるはず。こんな反応をされたら、妙な罪悪感を抱いてしまう。
シェリは顔を真っ赤にしながらぶんぶんと首を振った。
「嫌なわけがありません! あの、嬉しくて、信じられなくて」
嫌じゃなかったようだ。俺は内心ほっとした。
「信じられなくて?」
何が? と首を傾げた俺に、シェリは苦笑した。
「ラルフ様が私を、その、想ってくださっている、っていうのが、いまだにちょっと信じられていなかったといいますか」
「さっきのは礼だけじゃないよ。もう1回する?」
俺が顔を近づけると、シェリはわかりやすく身を引いた。
「いえ、これ以上はもちません!」
何がもたないんだ。
ほんとに嫌じゃないんだよな? ちょっと傷つく。
シェリは、少し困ったように苦笑した。
「ウィデルを離れる時は、まったく想像もつきませんでした。私は、エルシェリア様の身代わりとして、何をされても文句は言えない敗戦国の人質だと、殺されても仕方がないんだという覚悟で、ここに来ました」
シェリの言葉に、俺はシェリが『エルシェリア』として初めてうちに来た日のことを思い出した。
目に見えるくらいに震えて、脅えて、硬い表情をして。
エルシェリア王女本人ではないからなおさら、それがばれることへの恐怖もあっただろう。
「でも、『英雄』は、ラルフ様は、噂とはまったく違う方でした。昨日フォルセイン殿下のお話をうかがってから、何度も考えてしまうことがあるんです。もし、私ではなくエルシェリア様が、最初からクラインにいらっしゃっていれば、と。そうしたら、今頃エルシェリア様は・・・」
解放されて、少なくとも離宮で暮らすよりは不自由のない生活が保証されていただろう。
うん、言いたいことはわかるよ。でも。
「シェリ、ごめん。厳しいことを言う。『もしも』って、ないんだよ。起こった事実は、過去は覆らない。国家機密だから、シェリが事前にこの婚姻の裏事情を知ることは不可能だったし、何よりシェリが身代わりで降嫁することは、ウィデル国王の王命だった。違う?」
「違いません」
「それに逆らうことは?」
「・・・」
答えのかわりに、シェリはわずかに目を伏せた。
「あんな書簡が届いたってことは、少なくともエルシェリア王女は無事だと俺は思ってる。もう公には『エルシェリア』は君だ。それをわざわざ呼び戻そうとするってことは、何か別の案件がからんでるんだと思う」
たとえエルシェリア王女が不治の病だったとして、ウィデル国王がクラインに嫁いだ『エルシェリア』を呼び戻して会わせてやろうなんて、考えるわけがない。
シェリも小さくうなずいた。
「それに、これは俺のわがままなんだが」
言おうかどうしようかちょっとだけ悩んで、やっぱり言うことにした。
シェリがこっちを向いて、首をかしげる。
「最初からエルシェリア王女が来てたら、俺はシェリに会えてなかったかもしれない」
王女付きの侍女としてシェリと出会ってる可能性はあったが、それだとこういう関係性にはなってなかっただろう。あと、そのコースだとたぶん、ニルスはクラインにくることはなかったはずだ。エルシェリア王女も俺の妻として暮らすしかないわけで。結局誰も幸せになってない。
ただ、『もしも』はない。これはただのシミュレーション。
「俺は、シェリが来てくれてよかったと思ってる。エルシェリア王女には少しお待たせしてしまうことになってしまったが、たぶん1番いい方向に向かってると思うんだ」
うなずくシェリの瞳が潤んでる。
「エルシェリア王女を迎えに行こう。お許しをもらえないと、俺、ここで寝ることもできないし」
神妙な顔をしていたシェリの顔が、途端に赤くなる。このくるくる変わる表情を見たくて、ついこういう意地悪をしてしまう。
「ガラス戸、直さないとな」
わざと話題を変えて言うと、シェリがそうだった、と顔を上げて俺を見た。
立ち上がりざまにもう一度口付けて、固まるシェリを置いて、部品を探しに倉庫へ向かう。
寝室を出る間際、ぽすりとベッドに倒れ込む音が聞こえて、俺はいたずらが成功したみたいな心地良さに、くすくすと笑いをこぼした。




