34. そういう意味?
テスは笑顔のままセドリックを2秒くらい見て、
「かまいませんよ」
さっきと同じテンションで言った。
かまわないのか?
過去は過去として、料理人でありたい、わけじゃないのか?
でも考えたら、セインは料理人の需要のためだけにテスも呼べ、って言ったわけじゃないだろう。
セインは、使えるものは容赦なく使う。
テスも、それをわかった上でウィデル行きを了承した。
どうしよう。そうなると俺の方が俄然興味がわいてきた。
セドリックは強い。そのセドリックが手合わせを願うほど、テスは強いってことだ。
テスは笑顔を貼り付けたまま。
「ただしセドリック坊ちゃん、手合わせごとに、私が勝ったらゴールデンドロップを1本、帰国後にいただきますからね。何せ私は、ただの料理人ですから」
ゴールデンドロップっていうのは、高級で有名な年代物の蒸留酒だ。
手合わせ代としては高くつくが、これはテスなりの線引きだろう。テス自身、もう軍に所属してもないし、セドリックとは主従でもなくなっている。うちで働く料理人としての、線引き。
でも、それもテスが勝ったら、だ。
セドリックが勝てば、無償ってことになる。
「そんなに強いのか」
思わず心の声がだだ漏れた。
負けるなんて思ってないから、テスはこんなことが言えるんだ。
「前に、言いましたでしょう?」
テスは俺を見て、ふくりと笑った。もう、テスのこの笑顔がおいしそうには見えない。
前? 言ってたこと、あったっけ。
「わかった。条件を呑む。テスも、坊ちゃん呼びはもうしないでくれ」
セドリックがふてくされたように言った。
あれ? この感じ。既視感を覚えて、俺は記憶を手繰り寄せた。
『またそんな憎まれ口をおっしゃって。私に傷一つ付けられたことはございませんのに』
ああ、言ってた。確かに言ってた。
テスがセドリックに、言ってたな。あれは、いつだったか。
そうだ、セドリックが婚約報告をした時だ。
今と同じように、坊ちゃん呼びされたセドリックが、テスに脅しみたいな言い方で、『次言ったらケガするぞ』ってすごんだら、『私に傷一つ付けられたことはございませんのに』、って。
テスは笑って、そう言ってた。
え。そういう意味?
セドリックは (憎まれ口をたたいたとしても)実際にテスに手を上げたことがない、って意味かと、あの時の俺は解釈してた。
違ってたようだ。物理的に、セドリックはテスに勝てたことがないんだ・・・。うわ。
「俺も・・・手合わせ願えないだろうか。セドリックと同じ条件で」
気が付いたらもう、そう言ってた。
別に俺は筋骨隆々でもないし、強さに憧れてるわけでもない。
でも、どっちかと言えば小太りで、普段の動きも機敏ってわけじゃないテスがどう強いのか、興味がある。軍生活が長いから、こういう興味はもうしょうがない。
「かまいませんが、旦那様はブレット様仕込みでしょう? 照れますね」
テスがてへ、みたいな笑いをした。
そうか。ブレットは暗部のトップだったとコニーが言ってた。つまり、ブレットとテスは、昔の上司と部下なんだ。いろんなところで、いろんなことがつながってる。
あと、俺は別にブレットに仕込まれてはいないからな。何回か手合わせをしてもらったことはあるが、それだけだ。ブレットから教わったのは、日常生活で必要なこととか、ちょっとした戦法や戦略、軍で上に行ったら必要になる貴族的なマナーやら、何やら。
そもそも俺は、ブレットが元暗部のトップだったってことも知らなかった。
たぶん、顔問題で、こんな目立つ暗部はいらんと判断されたんだろうな・・・
「コニーはいいのか?」
セドリックが尋ねた。ここで何でコニーが出てくる?
俺がコニーに目を遣ると、視線に気付いたコニーが苦笑した。
「テスさんは私の師匠なんですよ。あ、メイドのじゃないですよ?」
コニーは言い直したが、いや、さすがにわかるわ。あっちの方のな。
もしかしてマイヤー家で一時働いてたっていうのは、テスのもとで修行してたから、だろうか。
「私はシェリ様の侍女として行きますからね。遠慮します。近衛のいるところで目立ちたくはないですし」
ロザリンド様についてた時期があるって言ってたから、王家には知られてるもんな。
って。つまりコニーは勝ち負けは別にして、テスと手合わせできる力量を持ってるってことだ。
うち、実は戦力過剰なんじゃないだろうか・・・
思いながら、俺はテスの作ってくれた、いつも通りおいしい朝食を、また一口、口に入れた。
***
トビアスの店が開く時間を待って、買い物組はあわただしく邸を出て行った。
今邸にいるのは、俺とシェリとテス。
テスは今厨房で、今日の食事とは別に、旅用の野営料理に使えるらしい何かを仕込んでいる。
邸がこんなに手薄になるのは、シェリがここに来てから初めてかもしれない。
何もないとは思うが、警護上、シェリを1人にしない方がいいかもしれない。
ちょうど隣の寝室で気配がある。寝てはいないだろうから、様子を見に行くか。
と思っていたら。
がこっ
寝室の方向で、鈍い変な音がした。
俺は内鍵を開けて寝室に入った。
「シェリ?」
シェリは、バルコニーに続くガラス戸のところに立っていた。こっちを振り向いて、
「ラルフ様」
困った顔で言うものの、こっちには来ない。
「申し訳ありません。いいお天気だから、ちょっと開けてみたくなって」
ガラス戸を押さえている。はずれたか。
俺は近付いて、シェリが持ってたドアを引き取った。見ると、まるまるはずれてるわけじゃなくて、ヒンジが錆で壊れただけで、下の部分がずれてるだけだった。
この家、下賜されたものだから文句は言えないが、執務室にガラス窓があったり、寝室にバルコニーがあったり、大きなガラスを使った大きなドアがあったり、防犯上という意味ではわりと心許ない。
まあ、ありあまる戦力をもった従業員がいるから、普段は心配ないかもしれないが。
「申し訳ありません。長旅に出る前に、家を破壊するなんて」
シェリがしょんぼりしている。
破壊って。シェリにそぐわない表現に、ちょっと笑ってしまう。
「築年数いってるから、この家。経年劣化だな。金属疲労もあるだろうし。どっちにしても、ヒンジを替えればすぐに直るよ。ここはよく開けてた?」
シェリは「すぐに直る」の単語にほっとした表情になった。
「朝起きた時に、空気の入れ替えを兼ねて、晴れた日にはコニーが開けてくれて、たまにバルコニーに出ることもあって。私はわりとここが好きなんです。コニーは簡単に開けてくれていたので、私でも開けられるかと思っていました。申し訳ありません、壊してしまいました」
シェリが気に入っているなら、バルコニーがあっても悪くないか。現金なことを思う。
「壊したというより、壊れた、だな。部品さえあれば今すぐにでも直せる。たぶん倉庫にあるから、取ってくるよ。ガラス戸はとりあえずドア用の杭で固定するから、シェリ、それ取ってくる間だけちょっと持ってて」
ドアを開け放す時のために、ドアの下に挟む杭がある。さすがに寝室にはないが、俺の部屋にはある。
杭を持ってすぐに戻ってきて、ガラス戸をいったん固定する。
「もう手を離していいよ」
シェリに言って、部品を取りに、日用品や工具をしまってある倉庫に向かおうとしたら。
「ラルフ様」
シェリに、遠慮がちに呼び止められた。




