29. 静かな戦い
いた。
シェリ、コニー、ニルス。と、やっぱり第二王女、とその侍女。
俺は走って来たなんておくびにも出さないように、歩み寄りながら呼吸を整えた。
「シェリ、遅れてすまない」
なんか怖い顔をした第二王女と目が合いそうになったから、それとなく視線を逸らして、シェリだけに目線を向けた。
間に合ったのか?
なんとも言えない場の空気と、ゆっくり振り向いたシェリの、全力で安心したような顔。俺は心配になったが、コニーが動いてない。シェリの一歩後ろで控えた状態だ。
たぶん、間に合ってる。
そう判断して、俺はシェリに近づいて肩を抱いた。
からの、まるでたった今第二王女に気付きましたみたいな顔をして、改めて礼を取った。
「これは失礼を。ご挨拶申し上げてもよろしいでしょうか?」
俺は貴族としては子爵だが、一応『英雄』枠だ。もしかしたらそのまま話し始めても不敬は問われないかもしれないが、あえてルール通りに動いた。
「許すわ」
言われて顔を上げたら、少しばつの悪そうな顔をした第二王女がいた。
「公式行事にて遠目にご尊顔を拝したことは何度かございますが、こうして対面で、しかも公の場以外でお会いすることはなかったかと。ラルフ・ハリントン、この度子爵の位を賜りました。改めてご挨拶を申し上げます」
シェリに何を言ったのかは知らないが、第二王女には徹底的に俺に興味をなくしてもらう必要がある。
だから、わざとシェリの後に第二王女に気付いたようなふりをして、俺は王族に見合わない下っ端ですよと発言の許可を得て、個人的な婚姻の打診を受けたこともスルーして、貴族の薄い笑み全開で初対面のような挨拶をした。実際、個人的な会話はしたことないから、初対面てことで問題はないだろう。
効いたか効いてないかっていうと、どうやら効いてるようだった。
何か顔が赤くなってるが、俺の意図するところを察しての怒りなのか、羞恥なのか、何なのかはわからない。
ただ口をぱくぱくして、何か言おうとして、やめたような感じは見て取れた。
これ長引かせると面倒くさそうだな。相手が動揺してる間に早々に撤収する方がいいだろう。
俺はシェリの腰に手を回して軽く抱き寄せた。
「本日は、ウィデルと交渉を行う関係で婚姻にもご尽力いただいたフォルセイン殿下に、改めて妻を紹介させていただきたく登城いたしました。機せずして第二王女殿下にもご挨拶させていただくことが叶い、妻も僥倖でした」
わざと「妻」を連呼して、セインに会うために来たのに何でいるはずのないお前が通りがかってんだ、ってことを遠回しに表現した。第二王女からは名呼びを許されていないから、「第二王女殿下」と呼ぶのは、間違ってない。
さらに、言ってから、同意を促すようにシェリに微笑みかけたら、シェリもいつもみたいに真っ赤になることなく、淡く笑んで上品に小さくうなずいてくれた。
ちゃんと貴族の対応だった。『エルシェリア』を、ちゃんと演じてる。
ここまでやれば、十分だろう。
どれが効いたのか、全部効いたのかどうかもわからないが、なんかもう戦闘力ゼロになってるっぽい第二王女殿下を、もう一度貴族の笑みで見つめた。
「では、面会予定時刻が迫っておりますので、御前失礼いたします」
シェリと2人、礼をとって、俺たちは歩き出した。止められはしないかちょっとどきどきしていたが、大丈夫そうだった。でも、なんか視線はものすごく感じる。
これだけやってもまだだめか。おれは半分やけになった。たぶん生まれて初めて、自分の顔を有効利用することを思いついた。
「シェリ」
声をかけたら、エスコートした腕にかかる手がぴくりと動いて、シェリが俺を見上げた。
至近距離にいるから、アングルがものすごく小動物っぽい。
立ち止まると、シェリもあわせて歩みを止めた。
少しだけかがむようにして、口をシェリの耳元に近付ける。
「仲いいアピールするから、よけないで」
シェリの耳元にささやいて、意識的に深く笑んでシェリの額に口付けた。
すぐに角を曲がる。
悲鳴とも何とも言えない声が小さく響いて聞こえた。たぶん、第二王女の侍女だ。
うまく、いったかな。
「いったん止まりましょうか?」
少し歩いた先で、コニーが言った。
「そうしてくれ」
俺もダメージを負ってたが、シェリも同じくらいダメージを負ってた。
両手で顔を覆って羞恥に耐える俺と、真っ赤な顔が戻せないままよろよろしているのをニルスに支えられてるシェリに、コニーは苦笑して息をついた。
「肉を斬らせて骨を断つ? にしては肉を斬らせ過ぎましたね」
「ごめん、意図的に『エルシェリア』と引き離されてた。正式な伝令だったから、それに気付くのが遅れた。セドリックはたぶん第二王女に加担した奴の対処をしてから来ると思う。第二王女に何を言われた?」
第二王女の気配はもう去っている。もともとここは王家のプライベートスペースだ。室内に侍女はいるだろうが、衛兵はこの外周りにいるから、廊下に人の気配そのものがなかった。
「大丈夫です、ラルフ様。おかしなことにはなっていません。助けてくれてありがとうございます」
シェリは嬉しそうに微笑んだ。
さっきしてたみたいな貴族の笑みじゃない、まっすぐに向けられる笑顔についほだされそうになるが、質問に答えないってことは、わりと口にしたくないようなことを言われたんだな。
「コニー」
代わりに説明を求めたら、コニーは少し意地の悪い笑顔になった。
「旦那様と第二王女、婚約してたことになってましたよ。それが王命で引き裂かれてしまって自分はどうすることもできない、申し訳ないとは思わないのか、とシェリ様に身を引くよう強要してました」
「濡れ衣だ」
ちょっと意味は違うが、俺は反射的に吐き捨てた。そもそも婚約(の返事)をしていない。
それを回避するために今回の婚姻は成ったが、そのことは第二王女も知らないはずだ。それに制約があるから、まだシェリにも言ってない。この後セインがいる場で、説明しようと思ってたことだ。
「シェリ、とりあえず第二王女とは赤の他人だから」
わけのわからない誤解は早めにといておいた方がいい。思ってシェリに向かってそう言ったら、シェリはくすくす笑ってうなずいた。
「それは、見ていてひしひしと感じました」
「旦那様が来る前から、シェリ様はわかってらっしゃいましたよ。これは王命ですからできません、ってはっきり断ってらっしゃいましたし」
しかもなかなか皮肉が効いてましたよね、と笑うコニーにシェリが慌てて口止めをしている。
何て言ったんだろう。教えてくれそうにはなかったが、それだけ頑張ってくれたってことだろう。
「まああそこまでこてんぱんにやられて、まだ言い寄ってくるような根性は持ち合わせてないでしょう、基本的にはお姫様ですからね。自分の眼鏡にかなう婚姻相手が見つからなくて、焦ってるだけですよ」
笑い話じゃないぞ、コニー。
怖いのは、『眼鏡にかなった相手』にほぼ拒否権がないことだ。俺が何とかなったのはセインがいたからだ。しかも、安全な回避策じゃなかった。回避した先、不幸な婚姻になる可能性だって、あったわけで。
シェリに出会えたことは、俺にとってはものすごく幸運だった。俺は次の『眼鏡にかなった相手』に向けて、短く祈りを捧げた。頑張れ。
「あと、シェリ様に面と向かって敗戦国の人質、とも言ってましたね」
コニーの声が一段低くなった。
俺の体内の温度も、急激に下がった気がした。
シェリが、『それが自分の立場』だと言っていた、気に病んでいた、その言葉を。
よりによってクラインの王女が言うか。
「ごめん、そばにいてやれなかった」
落ち込んでいないか、心配になる。
シェリの髪はきれいに結われていたから、頭に手を置くのをやめて、頬に触れるだけにした。
「だ、だだ大丈夫ですよ? 私は傷ついていませんし、第二王女殿下に対しても怒りは覚えません。言われて当然だとは、もう思わないことにしていますし、ラルフ様が、邸の皆様がこうして守ってくださるので、私は大丈夫です」
赤い顔で、でも俺を見上げる視線は、揺らいでない。
すぐに真っ赤になるほど恥ずかしがり屋で、でも、芯は強くて。
あー。こういう感じを愛おしいっていうのかもしれない。
「見てませんから、ちゅーしちゃってもいいですよ?」
コニーの声に、何かが引き戻された。見ると、コニーだけじゃなくニルスもあらぬ方向を向いている。
「そんな気遣いは不要だ」
ただでさえ、額とはいえシェリとの初キスがさっきのあれだったんだぞ。
なんか一仕事終えた感がすごいが。
「行こう。本番はこっちだ」
俺はセインの私室の方へ歩き出した。




