28. 王女
シェリルは、コニーの案内で王城内を歩いていた。
ななめ後ろには、護衛としてニルスがついてきている。
3人だけだった。
入城の際だけ、チェックと言えるチェックがあったが、精通しているコニーがいてくれたおかげもあり、あっという間に手続きは済んだ。
セキュリティ上、監視を兼ねて案内がつくのだと思っていたが、これもコニーのおかげで顔パス。
『フォルセイン殿下の私室は存じております』
の一言で、案内がつけられることはなかった。
(もしかしてコニーって、ものすごく大物なのでは)
王城内の、しかも王家のプライベートスペースに、案内なしで放されるなどということがあるだろうか。
歩きながらシェリルが慄いていると、察したようにコニーが笑顔を向けてきた。
「そもそも旦那様が、セイン様のお気に入りですからね。軍部にいた、ということもありますし、いちいち案内はつけられないんですよ。私たちが旦那様の一行で、旦那様とセドリック様が一緒ではない理由も、旦那様たちが先に入城した際に話を通してくれていたみたいでしたしね。案内をつけてくれと言えばつけてくれたでしょうけど、シェリ様、緊張するでしょう?」
「も、もうしてます」
シェリルは言ったが、付け足した。
「でも案内の方がついてきていたら、もっと緊張してたと思う。ありがとうコニー」
「案内いりませんしね。実際」
なんてことない、という風にあっさりと言って、コニーはシェリルの隣を歩いていく。
「今、話しても大丈夫?」
マナー的に、という意味で、小声で尋ねた。顔は正面を向いたまま。
「大丈夫ですよ。まだもう少し歩きますし。人が通りそうならお知らせします」
コニーも小声で答えた。
「コニーは第二王子殿下の」
シェリルが言いかけたのを、コニーがわずかに固い声が制止した。
「シェリ様、申し訳ありません。邪魔が入りそうです。相手は第二王女。セイン様の妹君にあたります。普段こんな所を通るわけがない。これは、はめられましたね。何を言われても、笑顔で流してください。どうしてもの時は介入します」
いつもより早口で、コニーは必要最低限の情報を伝えてくれた。
姿はシェリルにはまだ見えないが、コニーは面識のある人間なら目に見えなくとも気配を察することができる。
きっと、近づいている。シェリルは気持ちを引き締めた。
普段通ることのない通路を通って、第二王女はフォルセインの面会に向かう『エルシェリア』に会いに来た、ということ。
しかもコニーのこの様子だと、好意的とは言い難い。
はめられた、というのは、ラルフが今ここにいないことを指すのだろう。
「が、頑張るから、なるべく見守っていて。コニーの立場もあるし、ラルフ様の管理責任も問われかねないから」
どうしてもの時、というのがどの程度のことを言っているのかは想像もつかないが、シェリルは今エルシェリアだ。
エルシェリア本人からの許しはまだもらっていないが、少なくとも今ここに、フォルセインに面会に来ているのはエルシェリアとして、だ。
何を言われるにしても、コニーとラルフは守らなければならない。
コニーの返事はない。
ちらりと隣を見ると、コニーは無表情で前を見据えていた。シェリルもその視線を追う。
その先、ちょうど角を曲がって、その第二王女と思しき女性と侍女が、こちらを歩いてきた。
シェリルは、『エルシェリア』とはいえ今は子爵家の妻だ。
廊下は広いが王族相手に正面きってすれ違うわけにもいかない。少し脇に寄って立ち止まり、目を伏せた。
コニーとニルスも従う。
「あら、王城の真ん中を、見慣れないのが歩いているわね」
少し距離を置いたところまで歩いてきて、第二王女も立ち止まった。すれ違ってくれる気は毛頭ないらしい。
あからさまに『王家のプライベートスペースを監視もつけられずに下位の者が歩いている』と揶揄されて、シェリルはわかりやすく向けられた敵意に背筋が冷える思いがした。
「顔を見せなさい」
許されて、シェリルはゆっくりと顔を上げた。
シェリルより少し背が高く、見下ろすようにこちらを見つめる第二王女と目が合った。
蜂蜜色の艶のある髪は、ゆるく結われて流されている。黒かと紛うほどの深い緑の瞳は、吸い込まれそうな眼力の強さだ。
目鼻立ちはくっきりしていて、自信に満ち溢れている。
第一印象は「華がある美貌」。でも悪意のまじるその笑顔は、どこか禍々しい。
シェリルは、エルシェリアやラルフといった「本物」を見慣れてしまっている。
顔の造形はもちろんのこと、その内から放つ輝きを、知っている。
この王女の笑顔は、造り物だ。
(戦わ、ないと)
コニーは事情を知っているようだが、説明は間に合わなかった。だがこの王女が『エルシェリア』を快く思っていないことだけは確かだ。
シェリルは意識して柔らかく微笑んだ。
「ご尊顔を拝し、恐悦至極に存じます。エルシェリア・ハリントンにございます」
名乗った瞬間、第二王女は舌打ちしそうな勢いで顔を険しくした。
「敗戦国の人質が」
小さく毒づくのが聞こえた。ぎりぎりシェリルに聞こえるような、もしくは聞かれてもかまわないというような声量。
以前のシェリルなら、怯えていた。
でも今は、ここにいるのが本当のエルシェリアでなくてよかった、とそちらの方が先に立った。
エルシェリアだったら、悪意にさらされて、きっと微笑みながらも傷ついていただろう。
もともと、シェリルにとってはラルフにそう罵られることを覚悟した、身代わりの結婚だった。
そのラルフは、「人質だと思ったことはない」と言ってくれた。
シェリルがいい、と望んでくれた。
「よく恥ずかしげもなくここに立っていられるわね。それとも、許しを請いに来たの?」
笑みを絶やさない、と決めていたのに、第二王女の言葉にシェリルはきょとん、としてしまった。
何の許しだというのか。戦争の、だとしても、それは今絶賛国家間交渉の真っ最中のはずだ。
ウィデル王家の血縁であるという以外、100%無関係だと知れている『エルシェリア』が謝って済むのなら、こんなに簡単なことはない。
「許し・・・ですか?」
思わず聞き返してしまった。
それが気に入らなかったのか、第二王女はますます怒りを深くした。
「あなたが『英雄』の妻を名乗っていられるのは、王命でウィデルとの取引材料にされているからだけにすぎないわ。もともとは、ラルフは私と婚約していたんだから」
「!」
シェリルがぴくりと反応したことに、第二王女は気を良くしたようだった。
「それを引き裂いて、あなたはやって来たの。申し訳ないとは思わないの? その許しを請いなさい、って言ってるの。正確には、身を引きなさいって言ってるのよ」
そうなの? と、一歩後ろに下がったコニーに確認したいところだが、今意識を他に逸らすことは許されない。
(でも)
シェリルは驚きはしたが、動揺はしなかった。
ラルフとハリントン邸の全員で、事前に今日のための打ち合わせをしている。
その流れに、第二王女の名前は一度も出てこなかった。
もし本当にラルフが第二王女とかつて婚約関係にあって、それを取り戻したいと考えているのなら、違う交渉内容でいくことも可能なはずだった。
それに何より、ラルフがそれを望んでいたのだとしたら、シェリルに『エルシェリアとして生きてほしい』とは言わないだろう。
言葉を尽くしてくれたあの時のラルフを、信じている。
シェリルは再び微笑んだ。
「恐れながら、これはクラインの王命にございます。そして私は正しく取引材料としての自覚がございます。それを私意で身を引くというのは、クライン・ウィデル両国にとっての利を害することになりかねません」
王命、取引材料。これは先ほど第二王女自らが発した言葉だ。それをわざわざ使った。
あなたが言ったのでしょう、と。だから覆すことはできない、と。
本当はそうしたいけどできないのね? と第二王女に揚げ足を取られるような空気は、一切出さないようにした。
できない。ただそれだけを事実として告げる。
第二王女は、まさか拒否されるとは思ってもみなかったのか、少し驚いたような顔をしていた。
が、少しずつ怒りの表情にすり替わっていく。
(失敗した?)
シェリルは、王女に悪意をぶつけられることよりも、ラルフに迷惑がかからないかが心配になった。
その時、第二王女の視線がシェリルをすり抜けて後方に移った。
「シェリ、遅れてすまない」
シェリルが振り向く前に、やわらかい声がかかった。
張り詰めていたものが急に解けたように、へたりこみそうになるのをシェリルはこらえた。
第二王女の視界に、すでにシェリルはいない。それを確認して、意識してゆっくりと振り返る。
ラルフが、シェリルだけを見て微笑んだ。




