20. 書簡
「今日の書簡だ」
いつも通り、セドリックが書簡の束を持って執務室に入って来た。
婚約発表をしてからのセドリックとコニーは、何が変わることもなく通常営業だ。
コニーが公私混同を嫌うからかとも思っていたが、今同じ邸内に住んでいるのに、勤務時間外も以前と何も変わらない。
休暇を取れと言っても取らないし、せめて互いの両親に報告くらいは済ませておいた方がいいんじゃないのか、なんてどっから目線かわからないような心配を俺がし始めた頃だった。
俺は、平和ボケというか、完全に油断していた。
「・・・・これ」
セドリックが一番上に乗せていた書簡に、俺は目を止めた。
明らかに質のいい紙。姫宛ての書簡。
手に取って裏を返すと、封蝋にはウィデルの紋章。ウィデル王家から、姫への手紙だ。
「検閲は?」
ここに来るまでにクライン王家の検閲は入っているのか。
セドリックはもし検閲されていたとして、わからないように元に戻していたとしても、その痕跡を見破ることができる。だから聞いた。
セドリックは軽く首を横に振った。
「封蝋が開けられた様子は見受けられない。重要な内容は含まれていないと判断したか、俺たちに任せて様子見するつもりか」
後者のにおいがぷんぷんする。俺は眉をひそめた。
でもまあ、俺がクライン王家でも同じ判断をするかな。
姫はウィデル王家に軽んじられていた。虐げられていたと言ってもいい。
ここに来て、姫に何かを命じる意図があったとしても、こんな書簡を送ったら、検閲されるだろうことくらいはウィデル王家もわかっているはず。
下手なことは書けない。
しかも姫がそれに従うかと言えば、それこそ何かを質に取られてでもいない限り、従わない気がする。
姫は、見た目よりずっと芯が強い。
この3か月、姫を見てきて俺はそれを知っている。
ここで俺が先に封を開けて読んでも、書面通りじゃないかもしれない。文面に暗号的なものが含まれていたとして、たぶん俺にはそれを読み取ることはできない。
あと俺が開封したら王家みたいに細工師がいるわけじゃないから、開封前の状態に戻す作業ができない。
セドリックも、見破ることはできても工作はできない。
姫宛ての書簡を先に俺が開封したとなったら、信用問題に関わる。
「検閲が入ったようだ」、と開封したことをクライン王家に押し付けることも可能だが、それをやったら、俺と姫の間の何かが壊れる気がした。
姫に、判断を任せるか。
要するに、俺は日和ってしまった。
俺が直接持っていこうかな、と思っていたところに、絶妙なタイミングでノックが鳴った。
「私です。掃除をしていたら、階段の端に破損したところを見つけたので、そのご報告に」
姫の声だ。
姫は、自分の名前を口にしない。
こういう時ですら、「私」って言う。
姫は、必要があればこうして執務室にも来るようになっていた。だから珍しいことじゃない。
家も、この家は新築じゃないから、というかむしろ築年数は経っている方だから、そういう破損があってもまったくおかしくはない。
にしても、姫のする話じゃないよな。
苦笑しながら、対応に行こうとするセドリックを手でとどめて、俺がドアを開けに行った。
「あれ、お一人ですか? コニーは?」
姫は髪をひとまとめにした掃除スタイルで、一人でぽつんと立っていた。
「今はシーツの洗濯をしているはずだ」
後ろからセドリックの声が飛んできた。
執事としてメイドの勤務状況を把握しているのか、婚約者へのストーキング成果なのかは微妙なところだ。
「です」
姫もセドリックの言葉にうなずいた。
「どうぞ。ちょうどよかった。俺も話があったんです」
俺が入室を促すと、少し首を傾げたまま、「はい」と答えて姫は入って来た。
「座ってください。どこの階段ですか?」
最初の頃は遠慮がちだった姫も、今はすんなりとソファに座ってくれるようになった。
「俺はずすわ」
セドリックが俺の返事も待たずに執務室を出て行った。
いや、階段の破損に関してはお前の範疇だろう。思ったが、気を利かせてくれたのかもしれないから、甘んじて受けておく。止める間もなかったとは、言いたくない。
「一番奥の階段です。あまり使用することもない階段ですが、端の方に破損というより、欠けているような箇所を見つけまして」
「ああ。経年劣化ですね」
俺はうなずいた。あまり使わない階段の端が欠けるなんて、耐久性がどうとかいう問題じゃない気がする。
「補修しますよ、俺」
補修材買ってくるかー、と思いながら軽い気持ちで言ったら、姫が目を丸くした。
「ラルフ様が? ご自分で?」
「いや、掃除から身支度から、全部ご自分でやられてる姫に言われても」
俺は小さく笑った。
普通に家の補修やら自分の部屋の掃除くらいは、ブレットの家で暮らさせてもらってた時もやっていた。ブレットもマーサも、俺がやると言えば笑顔で教えてくれた。
「接ぐよりはちょっと手間ですが、まあ普通に暮らす分には目立たないくらいには補修できますよ。見ますか?」
なんか興味津々そうだったから言ってみたら、姫はぱあっと表情が明るくなった。
「いいんですか?」
「見るくらい、もちろん」
俺がうなずくと、姫は「する時はお声かけくださいね」と笑顔になった。
最近、姫は感情を素直に出せるようになってきた。と思う。
環境に慣れてきたこともあるんだろう。
「ラルフ様も、私に何かお話が?」
ああそうだった。
俺はソファから立ち上がって、セドリックが俺の執務机の上に置いて行った書簡の束の一番上の封筒を手に取った。
「姫宛てに、お手紙が」
ソファにかけ直して姫に書簡を差し出すと、姫の顔が目に見えてぴしりとこわばった。
息をするのも忘れて、その書簡を凝視している。
これは、まずったか。
離宮にいた頃の記憶を、思い出させてしまっただろうか。
「姫?」
声をかけると、姫は我に返ったように、俺を見つめた。
「も、申し訳ありません。ちょっと、驚いて」
力なく微笑んで、繕うようにつぶやく声は、いつもより少しだけ低い。
驚いてる顔じゃないよ、姫。怖れがにじみ出てる。
「部屋に・・・戻って読みます。かまいませんか?」
声も、差し出された手も、わずかに震えてる。
「・・・もちろんです」
俺が書簡を手渡すと、「ありがとうございます」と小さく礼をして、姫は真っ青を通り越して白い顔で、急ぎたいのを抑えるような歩調で、執務室をあとにした。
***
そんなに分厚くない封筒。そんなに何通も中に入ってる感じじゃなかった。
部屋に戻って姫が読み終えるのに、そう時間はかからないはずだ。
俺は意味もなくそわそわしてしまって、セドリックが戻ってこないのもあって、他の書簡に目を通す気にはなれなかった。
何か姫にとって問題のある内容だったとして、俺に相談してくれるとも思えない。
あそこまでの反応をするのは、予想外だった。
やっぱり先に中身を確認しておくべきだったか。いや。
夫(しかも書面上だけの)とはいえ、妻のプライバシーを侵害する権利はない。
でも。いや。
動揺した姫を見て、俺も動揺していた。
姫の部屋を、訪ねてみるか・・・?
いや。迷惑かもしれないし。でももし、泣いてたら・・・?
姫の部屋に行こうとして、止まる。
いやまず落ち着け。自分に言い聞かせて、とりあえず執務机の備え付けの椅子に座ろうとして、窓の外からの太陽光に目をやられた。
もうすぐ午。クラインでも一番暑いこの季節。日差しは最近日に日に強くなっている。
まぶしさに目をすがめて、刺す光から逃れるように視線を下に向けた時に、窓の外、何かが動くのをとらえた。
「姫?」
執務室は、邸の2階、寝室よりも手前に位置している。
その窓から見える景色は、慣れないカーターの手入れだけでは追い付かない、ちょっと雑草でぼうぼうになりつつある庭園だ。
そこに、姫が小走りしていくのが見えた。
何で。
姫は、大きな麦わら帽子をかぶって、日陰で草刈りをしているカーターに近寄った。
手には、あの封筒の中身だろう、手紙らしき紙を持っている。
姫は手紙を、手を止めて振り向いたカーターに手渡した。目を通したカーターの表情が厳しくなる。
姫が泣きそうな顔をしてカーターに何かを言っている。
それを見て、俺は気付いてしまった。気付きたくなかった想いに。
何であそこにいるの、俺じゃないんだろう。
そう、思ってしまった自分に。
カーターは自然な仕草で姫を抱き寄せて、宥めるように頭をなでた。
姫も、抵抗することもなくされるがままになっている。
あー、困ったな。
俺は苦い気持ちでそれを見ていた。
姫が願うなら、白い結婚で3年通して離婚する。そう思ってたはずなのに。
書面だけでも夫であるその立場を、手放したくない、と思い始めてる自分がいる。
セドリックのことをどうこう言う資格は俺にはなかった。
俺は、姫が願ったとして、ちゃんと離婚を受け入れられるかどうか、自信が、もうなかった。




