17. 待て待て待て
俺の生活は落ち着いた。
権利やら税金やらの数々の書面はすべて通り、受理され承認された。
書類の行き来に時間がかかる遠隔地ならまだしも、王都にいて何でこんなに申請が通るのに時間がかかるんだと思ってたら、俺の場合、多重にいろいろあったせいで、承認の条件がなかなか噛み合わなかったせいらしい。ここにきて一気に承認がなだれこんできた。
本当に、俺は姫と結婚してるのか。
セインからそう聞いただけで、自分で手続きしたわけじゃないから実感もなくて、忙しさにかまけてあえて確認もしていなかったが、承認通知の1通に、俺自身の今の状態を端的に表した書面があった。爵位や、貴族としての家族構成なんかが書かれているそれには、『妻』の欄にきっちりエルシェリアの名前があった。
妻、なんだよなぁ、法的には。
なんてしみじみと書面を眺めていると、形だけのノックをして、返事も待たずにセドリックが執務室に入ってきた。
ノックの意味とは。
「今いいか」
それは聞くのか。俺は苦笑した。
俺が暇人になったことを、誰よりもセドリックが知っている。
「いいよ。どうした?」
「コニーと結婚する」
「は?」
俺が聞き返したのを、聞き取れなかったのかと思ったらしい。
セドリックはまったく同じ文言を繰り返した。
「コニーと結婚する」
いや聞こえてはいるんだって。脳内処理が追いつかなかっただけで。
「念のために聞くが、誰と」
「俺と」
セドリックは真顔で即答した。
ああそうだよな。他人と結婚するなら「コニーが結婚する」だよな。
いやちょっと待ってくれ。なんかまだ頭に入ってこない。
「お前らいつからそういう関係だった?」
全然気付かなかったよ、俺、そういうの疎いから。
「いや、今朝、婚約の了承をもらった。付き合ってたわけじゃない」
俺が疎いとか、関係なかった。
「待て待て待て」
何だかんだ言ってセドリックは伯爵子息だ。だからそういうのもアリかもしれないが、コニーの方はいいのか。
コニーの母マーサは、ブレットの家の通いのメイドだ。
俺もブレットの家で暮らさせてもらってた時にはお世話になった、気さくで笑顔が朗らかな、優しい女性だ。
あの感じからして、マーサが実は貴族の出、なんてことは、ないと思うんだよなぁ。
庶民感覚で言えば、『お付き合い』もなしに婚約なんて、逆にあり得ないだろう。
「マーサ、というかコニーの両親に了承は」
そういえばコニーの父親の話って聞いたことないな。思いながらも聞いてみた。
「当然これからだ。気が変わらないうちにがんがん押し進めるつもりだが、その前に王女に礼がしたい。でもお前がまた熱を出したら困るから」
「待て待て待て」
ぶっ込む量が半端ない。
どこからつっこんだらいいのか、もはやわからない。あと、1つ1つていねいに拾うべきなのかもわからない。
いやでも拾うべきだよな。逃げちゃダメだ。俺は状況把握ができていない。
「上からいこう。『気が変わらないうちに』って何だ。お前、コニーを丸め込んだのか」
もしあのコニーを丸め込めたんだとしたら、それはそれでたいしたもんだが、いやそうじゃない。コニーはうちの大事な従業員だ。
「丸め込んではいないが、もう何度も求婚して初めてのヒットだ。うっかり気の迷いってこともある。正気に戻らないうちに早急に押し進める必要がある」
「問題発言が多すぎる」
俺は大きく息を吸って、吐いた。
落ち着け俺。
俺まで正気を失いそうだ。
「セドリック、俺の言い方が悪かった。時系列で経過報告する形に変更してくれないか」
それと、立ったままだったセドリックをソファに促して、俺も向かいに座った。
本当なら祝い案件のはずなのに、何で何となく不穏なんだろう・・・
セドリックは、軍にいた時に副隊長として俺に報告するのと同じテンションで話し始めた。
「コニーとは、この邸に来る前からの知り合いだ」
マジか。
時系列で、とは言ったが、そこまで遡るとは逆に思ってなかった。
「コニーはここに来るまで、短期契約でしか働かないプロのメイドだったから、その関係で、一時だけうちにもいた」
そこで知り合った、ということか。セドリックも俺と同じく軍所属だったが、伯爵子息で家持ちだから、兵舎じゃなく家からの通いだった。
そこで俺ははたと気が付いた。
「もしかして、うちにも短期契約のつもりだったんだろうか。だとしたら意思確認しないといけないな」
俺はそもそもブレットの紹介でコニーに来てもらったし、コニーが短期契約専門ということも知らなかった。うちの雇用契約書は、どちらかが言い出さない限り自動更新される、長期契約だ。
セドリックはわずかに首を横に振った。
「いや、雇用契約書にコニーがサインをしている以上、それに納得してるってことだ。どんなに身分が高い家でも、コニーは嫌ならサインしないし、雇用されない。それでも引くて数多だったから、成立する話だけどな」
実はコニー、通常俺なんかには就いてくれないようなスーパーメイドだったらしい。
紹介してくれたブレットには感謝しかない。
コニーは確かに優秀だ。メイドとしての技能もだが、対人スキルが高い。
「だから俺は、あらゆるネットワークを駆使してその後のコニーの就業先を追って」
「待て待て待て」
続けるセドリックの言葉を、俺は急いで押しとどめた。
他人の俺が聞いてても怖い。コニーにはさぞかし恐怖体験だっただろう。
「それは犯罪行為だ」
硬い声で言う俺に、何で? というふうにセドリックは軽く首を傾げた。
「いや、異動先を追うだけなら犯罪行為にはならない。接触はしていないからな」
じゃあ何のために追ったんだ。その方が怖い。
「コニーは気付いてなかったのか?」
「いや、気付いてないはずはないな。言い寄る虫はすべて排除した」
ホラーだ。
セドリックのご両親、あなた方のお子さんは「やんちゃ」どころではありません。
俺のおかげで真人間になったとおっしゃったのは誤解です。
あとコニー、ごめん。セドリックを執事として雇ったのは、俺の判断ミスだったかもしれない。
うちに来たのは、コニーが先だ。
ただ『排除』といっても、さすがに存在を排除したわけじゃないだろう。そうだとしたら、事件になっているはず。詳しく聞いたら後悔しそうだから、深堀りはしないが。
「セドリック、もしかしてお前、俺の邸にコニーが長期契約で入ったから、執事として雇えって言ってきたのか?」
セドリックはうなずいた。
「まあそれもあるが」
あるんかい。
「お前こそもしかして、忘れてんのか?」
逆にセドリックに問われて、俺は軽く首を傾げた。覚えがない。
「何を?」
「酒飲み対決で負けた俺に、お前が『一生俺についてこい!』って言ったんだよ」
「知らん、いやごめん。覚えてない」
酒飲み対決したことは覚えてるんだが。飲み過ぎて、正直その後の記憶がない。
確かに軍にいた頃、セドリックと酒飲み対決をした。俺が隊長に、セドリックが副隊長になったばかりの頃だ。初対面の伯爵子息に『俺の上司だと納得させろ』と言われて、さすがに小隊のトップ2が就任したてで殴り合いするわけにも規範上いかないから、軍のいきつけの居酒屋で、酒の量で競うことにした。
あんなに飲んだのは生涯であれが初めてだった。俺とセドリックの対決のはずだったのに、なんか小隊のみんなも途中から飲みだして、なんかめちゃくちゃ楽しくなってきて、途中から記憶がなくなった。翌朝にみんなに俺の勝ちだと言われて、みんな仲良くなったしよかったな、くらいに思ってた。
ちなみに全員分の支払いを、俺の財布でされていた。
『一生俺についてこい』?
言うかな、俺そんなこと。お題が『俺の上司だと納得させろ』対決だったから、酔っ払いが上司アピールしたってことかな? 今思い返してもまったく記憶がない。
傾げたまま戻らない俺の首を見て、セドリックが小さく舌打ちをした。
いや、一応今は主人だぞ、俺。
「まあいい。コニーの懐に入り込めたし結果オーライだ。よしとしてやる」
「よしとするな。話が逸れたが、その話だよ。経過報告、続けてくれ」
俺の言葉に、またセドリックは副隊長のテンションに戻った。