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16. 普通じゃない水と規格外の姫

 それは、不思議な味がした。

 飲んだことはないのに、何となく覚えがあるような気もして、かすかに甘じょっぱくて、冷えた喉ごしが心地よくて、違和感なくごくごく飲める。

 喉が渇いていたのももちろんあっただろう、飲んですぐ、姫が言ってた通り、体にすっと染み渡っていく心地がした。


「がぶ飲みしていいものでもありません、たぶん。お腹がびっくりしても困ります。いったんこのくらいにして、もう一度休みましょう」

 俺がごくごく飲むのを、ほっとしたように少し表情を緩めて見ていた姫は、穏やかな口調でそう言った。

 おかわりは1杯までだった。確かに何も入っていない胃に、水ばかりというのもよくないだろう。


「あ、セドリックから熱冷ましを預かっていたのを忘れていました。お飲みになりますか?」

 姫が手のひらに乗せて差し出したのは、見覚えのある薬包だった。

 超苦いやつ。飲んだ後もずっと独特の生薬くさい香りが鼻に残って、数時間は何飲んでも食べてもその味しかしないやつ。


 でもよく効く。軍にいた頃はよく流通していたもので、1回だけ俺も飲んだことがあった。

 その時の記憶が強烈すぎて、俺は眉間にしわが寄っていたらしい。

「本当です。私が準備したものではありません。中にも何もまぜていません」


 姫は慌てたように言い募った。

 俺が顔をしかめたのが、薬の内容を疑ったように見えてしまったらしい。

 てか、さっきから何だろう。毒見だとか、何とか。

 本当に今さらなことだった。


 ロケットペンダントの中身は薬効のないものにすり替えさせてもらったが、それも最初の頃だったからで、今では姫に反意はないと見ている。王に命じられているにしては、ここに来てもう3か月経っているのに焦りも見られないし。何より殺意を感じない。


 命じられた殺害を望んでないとして、後ろめたい動揺も、姫には見られない。

 姫がよほどのプロなんだとしたら、それを俺が見抜けてないだけだが、俺の勘はわりとはずれない。

 ならあの毒薬は何だって話になるが、今のところ説明はつかない。いつかあのロケットの中身の意味を、聞ける日が来たらいいとは、思っている。


「姫、どうしました? 俺は別に姫のこと疑ってませんよ。そういえばさっき、忘れてた、っておっしゃいましたね。何か問題がありましたか?」

 熱で集中力がなくて俺も忘れてたが、そもそも姫が気になることを言うから、それについて聞こうとして、俺は起き上がろうとしたんだった。


『ラルフ様や皆様がお優しいので、私は自分の立ち位置を忘れていたんです』

 さっき、確か姫はそう言ってた。


 お優しいかどうかは姫の感じ方次第だから言及することもないが、何かあったから、姫は「忘れていた」何かを「思い出した」んだ。

 姫は、薬包をサイドテーブルに置いてうつむいた。

 それは、ここに来て最初の頃によくしていた仕草だ。


「ラルフ様、夢を見てうなされていました。フラッシュバックだと、セドリックは言っていました。ラルフ様も、ここで働かれている皆さまもお優しいから、私は、自分がラルフ様の心に傷を付けた敵国の人間で、人質だということを、忘れていました。本当は疎まれこそすれ優しくしてもらえるような立場ではなかったのに、それを忘れていたんです。だから、私が手渡すものに警戒するのは当然で、それを」


「待ってください、ちょっと待って」

 俺はまだまだ続きそうな姫の独白を止めた。何だそりゃ。

 あの水を飲んだせいか、ぜいぜいとせり上がるような熱い息は一時的にか治まっていて、最悪の状態の時に聞かなくてよかったと、俺は安堵した。

 『普通じゃない水』飲む前に同じこと聞いてたら、また歯止め効かなくて暴走してたかもしれない。


「俺は、姫のことを敵国の人質だなんて思ったことは一度もない。そう思われていたのだとしたら、むしろ心外です。それとも姫は、クラインとの戦争に何か関与してるんですか?」


「いいえ! いいえ。誓ってそんなことはありません」

 姫はがばっと顔を上げて即答した。そりゃそうだ。

 もしそうなら姫はここにはいない。

 下手に情報を持った人間を、無防備に敵地に送り込むほどウィデル王家も馬鹿じゃないだろう。


「なら姫が、この戦争に関して背負うものは何もない。ウィデル王家の血を引く王女であっても、です」

 幽閉同然だった姫が、こんな時だけ王族の責任を負う必要なんてない。


 姫の瞳が潤む。

 ちゃんと伝わってるだろうか、俺の言いたいこと。

 最初に会った時も、言い方を間違えてセドリックに怒られた。

 俺は女性に対する接し方を学んでこなかったから、うまく伝えることができないんだよ。


「責を背負うなどと傲慢なことは申せません。私には、その資格もありません」

 少しだけ震えた声で、姫は言った。

 資格? 資格って何だ。ウィデル王家の血はひいていても認められることがなかった、その境遇を言ってるんだろうか。

 俺は少し引っかかったが、姫の言葉はそのまま続いた。

「ただ、自分の立場を自覚しました。みなさまに優しくしていただいていることにかまけて、忘れてはならないんです」


 ああ、そうか。俺は納得した。

 姫は、俺が悪夢にうなされているのを見て、起こった戦争を、自分がここに来た経緯を、再認識しちゃったんだな。

 でもそれは裏を返せば、ここ最近は思い出さずにいられたってことだ。

 そのことに、俺は少し安心した。


「確かに、この(やしき)を一歩出れば、護衛なしには歩かせられない。姫がウィデル王家の者だと知られれば、いい感情を抱かないクライン国民は必ずいます。そういう意味で、『立場を自覚する』のは身を守る上で重要だ。でもあなたはこの邸に来てからずっと、ウィデル王女としての扱いを要求していない。だから俺たちも、そういう風には接してない」


 姫とはこのまま白い結婚で終わるかもしれない。

 だから、『あなたは邸の中ではもうウィデル王女ではなく、俺の妻なんです』、とは言えなかった。

 ただ、姫の本命がカーターではなくてセドリックなのだとしたら、3年後に白い結婚を理由に離婚したところで、想いが叶うかどうかは微妙なところだ。


 今のところセドリックに決まった女性がいるとは聞かないが、だからといって一応雇用主である俺の別れた妻と結婚する、とは考えにくい。いや、両想いならそういうの、関係ないか?

 胸がなんかちくちくする。俺はその違和感を、熱のせいだと思うことにした。


「邸の中に、姫を敵国の人質だと思っている人間はいません。今まで通り、邸の中の人間は信じてやってほしいんです」

 今まで通りに、疑うことも、疑われる不安もなく、穏やかな心持ちで暮らしてもらえれば。

 そう思って言った俺の言葉に、姫はくしゃりと顔を歪ませた。

 俺、また言い方を間違ったんだろうか。


「申し訳ありません! こんなことを、こんな時に、ラルフ様に言わせるつもりはありませんでした。このお邸にいらっしゃる方を信じていないわけでは、決してそんなことはございません。うなされるラルフ様を見て、ただ、私が勝手にショックを受けてしまったというか、その。こんなによくしていただける境遇には本来ないのだと」


「姫」

 姫は何かの拍子に『話し出すと止まらない』スイッチが入る癖があるようだ。俺は声をかけてそれを止めた。

 姫はどこかしょんぼりしたようにこちらを見つめている。

 こういうのは、困るな。かわいくて、困る。

 俺は、ただの王命でなった形だけの夫だ。思い上がるな。そう自分を戒めて、苦笑した。


「何度でも言いますが、俺はあなたのことを敵国の人質だとは思っていません。思ったこともない。で、姫もそれを信じてくれるわけでしょう?」

 姫はこくりとうなずいた。

「それは、もちろんです」


「なら、何も気に病むことはないはずだ。怯える必要も、かまえる必要も、罪悪感を覚える必要もありません」

「・・・」

 姫は何か言いたげに口を開いて、また閉じた。

 少し苦しそうな顔をしている姫は、俺が思っているのとは違う何かを背負っているように見えた。


 ちょっと前に、こんなことあったな。

 姫が何か言いたげな時に、俺はいつも口を挟んで機を逃してしまう。

 だから今度は黙って少し待ってみたが、姫から何か発されることはなかった。


「薬、飲みます」

 沈黙に耐えかねて俺がそう言うと、姫は「え」と小さくつぶやいて、我に返ったようにうつむき加減になっていた顔を上げた。


「早く体調を戻せば、うなされることもなくなります。ただ、この薬はよく効きますが、香りと味で心的ダメージを負うんです。だから、俺は飲むのを躊躇した」

「そ、そうなんですか」

 別に姫を疑ったわけじゃないんだよ。っていうの、ちゃんと伝わっただろうか。

 姫は小さくうなずいて、サイドテーブルに置いていた薬包をもう一度手に取った。


「あ、その前に、なんか食います。それ飲んだら数時間嗅覚と味覚が死ぬから、ものを食べるのが難しくなるので。テスに何か胃に優しいものを作ってもらえるよう伝えてきてもらえますか」

 はー。できることなら飲みたくなかったが、姫に俺がうなされるとこをこれ以上見せるわけにもいかないしな。仕方がない。


「あ、あの。お口に合うかはわかりませんが、私が作った丸鶏と野菜のスープをテスに厨房で管理してもらっていまして、よろしければそれを温め直して持ってきますが」

 やっぱコレ飲むの勇気いるよなー、なんて、そんなことを考えてたから、姫がおずおずと言うのを、俺はつい聞き流した。いや、聞き間違えた?

 私が作った? 作るの? 姫が? 料理を?


「あ・・・の、ラルフ様? 慣れたお味のものの方がよければ、テスに」

 呆ける俺に、焦ったように姫が言葉を足す。

「ああいえ、姫が? 作ったんですか?」

「はいあの、申し訳ありません。厨房の食材を勝手にお借りして、テスの手もお借りして」

 いや、そういうことじゃなく。


 王女、ですよね? あなた。

 でも掃除もしてるしな。

 「普通じゃない水」のことも知ってたし。

 マナーも、公用語の読み書きもできるし。


 何かもう何でもアリだな、この人。

 誰だ、「ろくに教育をされていない」なんて言った奴は。


「それ、いただいてもいいですか」

 日頃の感謝を込めて、ってことだろうが、俺のために作ってくれたことには変わりない。

 食べたくないわけがない。


「はい! 温め直してきますね」

 姫は嬉しそうに言って、部屋を出て行った。

 普通じゃない水は、薬みたいによく効いて、あんなに辛かったのが、すでに大分楽になっていた。

 ひどい脱水状態にあったようだ。

 熱はまだそれほど下がっていないようだったが、上半身を起こした姿勢になったせいか、あんなに何も口に入れたくないと思ってたのに、スープくらいならいけそうだ、と思っている自分がいる。



 姫が持ってきたスープ、というより煮込み? は、めちゃくちゃうまかった。

 確かに体調の悪い時にも食べられる優しい味ではあったが、普通の食事の時にでも全然いけそうだ。

 むしろテスに伝授してほしい。

 そう言ったら、テスは隣にいてアドバイスをもらいつつ作ったので、たぶんもう作れると思います、と姫は嬉しそうに微笑んだ。


 この味の余韻をぶち壊して薬の飲むのは嫌だと渋っていたら、テスに聞いて様子を見に来たセドリックに、「うるさい飲め」と力技で口に入れられた。


 味覚と嗅覚とおいしい余韻は死んだが、ひと眠りしたら熱は翌日にはもう下がっていた。

 あの夢は、たぶんもう見なかったと思う。

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