14. それはきっと熱のせい
お読みいただきありがとうございます!
今回、冒頭ちょっと辛い描写が入ります
俺は戦場に立っていた。
戦場といっても、平原や砂漠じゃない。そこは国境からほど近いところにある、人口よりも家畜の方が多いような、街というよりは村に近い場所だった。
人が暮らす場所が、戦場だった。
ウィデルの兵士は、その中心にある井戸に毒を入れ、畑を燃やした。
助けて。そう民に言われた。
ウィデル兵と直接戦闘も交わした。
見逃してくれ、俺は言われたことに従っただけなんだ。
そう言って縋るウィデル兵士を、無力化した。
被害を受けた民は救助したが、ウィデル兵士は放置した。
彼らがちゃんとウィデルの軍に回収されて介抱されたのか、俺は知らない。
できる限りのことはやったと思う。でもすべての民を助けられたわけじゃない。
前触れもなく侵攻されて、報せを受けて急行したものの、先に侵攻された、この村より国境に近い小さな村は、すでに壊滅状態だった。
積み上がる、モノとなった命。
衛生上の問題もあって、個人の識別もろくにされないまま、火葬することになった。
燃え上がる炎を、立ち昇る煙を、うつろに見つめる残された人たちに、「助けられなくてすまない」と謝ったら、責められるかと思っていたのに、「あなたに救われた者はたくさんいる」と感謝された。
感謝されることなんてないんだ。
俺はただ、逃げ出したかっただけなんだ。
英雄なんて呼ばれる代物じゃないんだ。
俺はただの臆病者だ。あの場所にいることが、辛くて怖かった。それだけで。
誰かのためじゃない。俺自身のために、こんな戦いを早く終わらせたかった。
怖かった。
村人に期待の目で見られるのも、ウィデル兵を斬るのも、常にある、自分の小隊を守れないかもしれないという不安も。向かい合わせの死も。
それを抱えて、毎日下す判断も。
気が狂いそうな日々を何とかしたくて、色々策を考えた。それがたまたまうまくはまっただけなんだ。
だから、英雄なんかじゃない。
もう放っておいてくれ。
頼むから、もてはやさないで欲しいんだ。
「っ」
俺は目を覚ました。
直前まで見ていたのは、戦後直後はけっこう頻繁に見てた夢だ。最近は、あまり見ることもなくなってたのに。
息が荒い。熱い。なのに、寒い。
苦しい。ああそうだ。熱出したんだった。
だから、か。
疲れてたり寝不足だったりすると、こういう夢を見がちだ。
「ラルフ様? お水、飲めますか?」
ふいに聞こえた声に、俺は大袈裟なくらい体をびくりと震わせた。
反射的に起き上がってかまえようとしたが、体は動かなかった。
「お、驚かせて申し訳ありません。私、です。まだ熱が下がっていません。どうか、そのまま横になっていてください」
姫が、動けずに寝たままの俺をのぞき込むようにしてそう言った。
こんなに近くに人がいて気付けないなんて。熱があるにしても、本当俺、だめになりかけてるな。
熱下がったら、鍛え直そう。
「姫。どうしてここに?」
尋ねた声は、自分でも驚くほどかすれていた。
ここは俺の部屋。間違いなく鍵をかけた記憶がある。
続きの間になってる寝室の鍵も、かけていたはずだ。
姫は、怒られた子供みたいにうつむいた。
「様子を見ようとノックをしたのですが、返事がありませんでした。心配になって、セドリックに開けてくださいとお願いしました」
何だそれ。
何かいらっとして、熱がさらに上がった気がした。
「姫がお願いしたら、セドリックが開けたんですか?」
ついとげのある言い方になってしまったが、息が荒いせいで、それほどきつい口調にはならなかった。
確かにこの部屋に見られて困るような機密文書は置いてない。そういったものは執務室に集約して、厳重に管理している。
しているが、その執務室の合鍵もまた、セドリックが持っている。
あいつ、他人の私室に「入れてくれ」と言われて、すんなり開けるような奴だったっけ。
こんな感じで執務室も開けられたらたまったもんじゃない。セキュリティが甘過ぎる。
あとどこに行った、俺のプライバシー。
「ち、違うんです! セドリックは悪くありません。あの、私が、その、ラルフ様の看病をしたいと申し出まして、頼み込んだと申しますか・・・」
セドリックをかばう姫が、湯気が出そうなくらい真っ赤になっている。俺より熱がありそうだ・・。
姫は、セドリックのことは最初から「セドリック」呼びだ。俺のことは、俺から言わなきゃまだ「ハリントン様」呼びだっただろう。
「仲いいんですね、セドリックと」
だめだ。熱のせいにはしたくないが、なんか今の俺、沸点が低い。普段なら言葉にしないところまで、するっと声になって出てしまう。
「え?」
姫が、驚いたような顔をした。さも意外だ、という表情。
あんな楽しそうに、内緒話をしてたのに。記憶の中のシーンがよみがえる。
だめだ、歯止めが効かない。
「あ、いや。それより姫。風邪だったらうつるかもしれないから、姫は早くこの部屋から出た方がいい」
このままでいたら俺、何を言い出すか自分でもわからない。
姫を遠ざけようとしてそう言ったら、姫は目に見えてしょんぼりした。
「コニーは、『旦那様は思春期によくなる病なので感染はしません』って言ってました。私が看病するのは迷惑ですか?」
いや、俺はもう思春期と呼べる年齢じゃないし、あとその時期によくなる病って何だ。てかコニーは何を知ってる。
「よくわかりませんが、たぶん俺その病じゃないと思います。それに、姫が迷惑だから言ってるんじゃありません」
熱のせいで、集中して物事が考えられないんだよ、今。
コニーが言ったことの意味を考えようとして、2秒くらいでぶん投げた。
「ご迷惑でないなら、看病させてもらってもいいですか? 私、ラルフ様にはいつも感謝していて、何かできることはないかと考えていたんです」
姫の言葉に、荒い息の間から苦笑が漏れた。
感謝、か。
いいのに。だって俺が姫のためにしていることは、セインからの『対価』だ。
姫が感謝するべきは、セインであって俺じゃない。セインに口止めされてるから、言えないが。
「頻繁にではないですが、よくある熱です。寝ていれば治ります。何かをしてもらうほどではないので・・・」
部屋にお戻りください。そう言おうとした俺に、姫が声をかぶせてきた。
「熱は! 熱は、高いととてもつらいのを知っています。ラルフ様の熱は、もう丸一日下がっていないんです。本当はお医者様に診ていただきたいですが、それが駄目なら、せめて私はラルフ様が何かを欲した時の手足になりたいのです。先ほど、起き上がれなかったのではありませんか?」
丸一日経ってる、ってことに衝撃を受けた。あと、俺が起き上がれなかったことに姫が気付いていたことにも。
「熱がある時は消耗します。何か食べるのは無理でも、お水だけでも、召し上がれませんか?」
こんなに熱弁する姫を見たことがない。だから、頑なに断ることができなかった。
「水、もらえますか?」
言うと、姫はわかりやすく顔をぱあっと明るくした。
「はい! あの、普通のお水とそうでないお水があるのですが」
普通じゃない水って何だ。怖すぎる。
「普通の水がいいです」
俺が即答すると、姫は焦ったようにベッド脇に近づいた。
「ちっ、違うんです! 言い方を間違えました! ただの水と、少し体が水分を吸収しやすいように整えた水があるんです」
「それは?」
「お水に砂糖と少しの塩をまぜたものです。薄いので、飲んでも何か味がついてるな、くらいにしか感じないと思います。それは普通のお水より体に入った時に吸収するのが早くて、脱水症状や体力が落ちている人に、お医者様が飲ませるものです」
そもそも医者にかかったことがないが、そんな話は聞いたことがない。
「ウィデルの医者は、みんな使ってるんですか?」
俺が聞くと、姫はこてり、と小さく首をかしげた。おーい。
「いえ。みんなかどうかは・・・。少なくとも街のそのお医者様は・・・あ、いえ、シェリルが対処法を聞いたそのお医者様はそうでした」
「ええっと。説明を」
何で水飲むだけでこんなことになってるんだ。
あんなにいらいらしてたのに。なんだかおかしくなってきた。
姫は、思い出そうとしたのか、右斜め上に目線を向けて少し考えていた。
「エ・・えっと、私が熱を出した時に、王家専属のお医者様は、シェリルが呼んでも来てくれませんでした」
「なぜ」
「非常事態とはいえ、離宮は限られた人間以外の出入りが禁じられていましたから。医師は男性でしたし」
聞けば聞くほど、姫の離宮生活はひどい話だ。死ぬほどの大怪我や病気だったら、どうするつもりだったんだ。
・・・むしろ、それで死んでくれることを、ウィデル王家は願っていたんだろうか。
「困ったシェリルが、街のお医者様に症状を伝えて、お薬をもらおうとしたようですが、患者を直接診ないなら処方はできないと断られまして。熱があるから行けないと言ったら往診に来てくれるとおっしゃってくれましたが、当然離宮に連れてくるわけにもいきません。途方にくれたシェリルは、せめて薬を使わない対処法を聞いたそうです」
「それが、その砂糖と塩をまぜた水だと?」
俺の言葉に、姫はこくりとうなずいた。
「他にも首の後ろを冷やすように、ですとか、汗をかいたら体が冷えるから着衣を換えるように、ですとか、いろいろ教えてくださ・・・ったようです」
「効いたんですか?」
「はい。なので、今回も熱が高いラルフ様にはいいのではないかと」
「じゃあ、それをいただけますか」
俺が言ったら、姫は嬉しそうに笑った。
「はい」
姫は、厨房に行ってきますと言い置いて、部屋を出て行った。