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俺は港の入り口でタクシーを降りた。
不穏な空気を感じたのか、タクシーは俺を降ろすとそそくさと走り去っていく。
遠ざかって行くテールランプに背を向けて俺は第三倉庫に向かって歩き出した。
第三倉庫の扉はこじ開けられていて、中に入ると青ざめた顔のボス達が待っていた。
「ボス、スリナーチは?」
「わからん。まだ来ていないみたいだ…」
「人を呼び出しておいて遅れて来るとはいい度胸だな。それとも怖気づいたのか?」
アントニオが軽口を叩くが、その顔は強張っている。
俺が口を開こうとすると、ガシャン!と大きな音がして倉庫の扉が閉まった。
怪しい気配に振り向くと既に俺達は取り囲まれていた。
「残念ながら俺達の方が先に来ていたんだよ。そんな中にノコノコやって来るとはな」
倉庫の奥の暗闇からスリナーチが姿を現した。
俺はボスを守るように立ちはだかると胸ポケットに手をやった。
「おい! やっちまえ!」
俺がコルトを取り出すより早く暗闇からマシンガンが火を吹いた。
よけた拍子にボルサリーノが弾け飛び、俺はコンクリートの床に倒れ込む。
そんな俺に容赦なくマシンガンの雨が降ってくる。
激しい痛みが身体を貫き、赤い血が床を染める。
それでも俺は何とか立ち上がりコルトを取り出すと、スリナーチに向かって引き金を引いた。
あちこちで銃声が響く中、俺はボスを守りながら引き金を引き続けた。
俺の撃った渾身の一発がスリナーチの頭に命中した。
それを見たスリナーチの部下達は慌てて逃げようとしたが、アントニオ達に一網打尽にされていた。
「へっ! ざまぁみやがれ!」
そう毒づいた途端、コポリと口から血が溢れた。
そのまま俺は床へと倒れ込む。
「レナート! しっかりしろ!」
ボスに助け起こされたが、既に身体に力が入らなかった。
ボス達が口をパクパクさせて何か言っているが、俺の耳には何も聞こえなかった。
それに何だかやけに眠い…。
薄れていく意識の中で、カルメンが俺に笑いかけてくる。
『ほら、レナート。一緒に踊りましょう』
そう言ってカルメンが踊り出す。
俺もそれに合わせてカルメンと踊った。
頭上にはアンダルシアの青い空が広がり、グラナダの歌が流れていた。
(カルメンシータ。ほら、アンダルシアに帰ってこれたよ)
(本当ね、レナート。嬉しいわ)
(これからはずっとここで暮らそう)
(レナート、愛してるわ)
(俺も愛してるよ)
ああ、そうだ。
メトロに行かなくちゃ…。
カルメンが待ってる…。
だけど、まぶたが重くて仕方がない。
ちょっとだけ眠らせてくれ。
ボス。
彼女に伝えてくれないか。
ちょっと遅れるかもしれないけれど、必ず行くからそこで待ってろよと…。
そのまま、俺は二度と目覚める事のない眠りへと落ちていった。
カルメンシータはメトロのホームの端でレナートを待っていた。
けれど、約束の時間になってもレナートは現れない。
待ち合わせの時間はとうに過ぎていたけれど、カルメンシータはそこから動こうとはしなかった。
すると、向こうの方で立ち話をする人々の会話が耳に入って来た。
「おい、港でマフィア同士の抗争があったってさ」
「まじかよ、それでどうなった?」
「何人か死者が出たらしいぞ」
「あんな奴らが死んだって誰も悲しみゃしないだろうよ」
「どうせならお互い潰し合ってくれりゃいいのにな」
嘲り笑いを聞きながら、カルメンシータはレナートに何があったのかを悟った。
「レナート…」
ベンチに力無く座り込み、カルメンシータは激しく咳き込むと口を覆った手のひらに血を吐いた。
カルメンシータが血を吐くのはこれが初めてではなかった。
カルメンシータの母親も何度か血を吐いた後で亡くなった。
「…私ももう永くないわね…。出来ればもう少し生きていたかったけれど…」
ポツリと呟きながらカルメンシータはお腹にそっと手を当てる。
ふと、誰かの足がカルメンシータの視界に入った。
「カルメン」
名前を呼ばれて顔を上げるとそこにはレナートが立っていた。
「…レナート?」
「遅れてごめん。迎えに来たよ」
「ああ、レナート」
カルメンシータは立ち上がると思い切りレナートに抱きついた。
「レナート、私ね。赤ちゃんが…」
カルメンシータが告げるとレナートは少し目を丸くした後、弾けるような笑顔を見せた。
「そうか。これからは親子三人ずっと一緒だ。さあ、行こうか」
何処へ、とは聞かなかった。
カルメンシータはレナートの胸にもたれるとそっと目を閉じた。
翌朝、メトロのベンチで息絶えているカルメンシータが見つかった。
その死に顔はうっすらと微笑んだままだった。
ー 完 ー