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その日を境に俺達は急接近した。
彼女の名前はカルメンシータと言った。
「長いから『カルメン』でいいわ」
「カルメンか。君もオペラの『カルメン』のように二人の男を手玉に取るのかな?」
「茶化さないで。そんな男なんていないわ」
少しからかってやるとムッとしたように軽く睨みつけてくる仕草が可愛かった。
最初はステージが終わって酒を飲むだけの付き合いだったが、いつしか外でも会うようになり、恋人同士へと発展していった。
「私はアンダルシアにある町で生まれたの。でも子供の頃に母は父の暴力に耐えかねて、私を連れて逃げたの。そこから転々としてこの町に辿り着いたわ」
ベッドに横になったまま、カルメンがポツリポツリと身の上話を始める。
「フラメンコは母から教わったの。母はヒターノ出身だったから…。でも永年の苦労が祟ったのか五年前に亡くなったわ」
俺の肩に頭を預けていたカルメンは顔を上げて俺に視線を合わせる。
「私ね。いつかアンダルシアに帰るのが夢なの。もう一度、あの青い空の下でのんびりと暮らしたいわ」
「そうか。いつかきっと帰れるさ」
本当ならば、そこで『俺が連れて行ってやる』と言うのが正解なんだろう。
だけど、俺はいつ死ぬともわからないやくざな男だ。
軽々しく約束出来る立場では無かった。
その頃、町では別のマフィアのグループが進出して来ていた。
小さな小競り合いがあちこちで起きるようになった。
「まったく忌々しい連中だな。あそこのボスはスリナーチと言ったか?」
その日も町の一角で小競り合いを起こしたという報告を受け、ボスは苦虫を噛み潰したような顔をする。
「ボス! これ以上奴らの好きにはさせておけませんよ!」
「ここは俺らのシマだとわからせてやりましょうよ!」
血気盛んな若い連中がボスに詰め寄る。
「…そうだな。これ以上、奴らをのさばらせるわけにはいかんな。さて、どうするか…」
椅子に座って腕組みをするボスにトマスが手を挙げた。
「ボス! 俺にやらせてくださいよ! 俺がスリナーチの首を取って来てみせます!」
トマスは俺と違ってこの組織の幹部の座を狙っていた。
ここで功績を上げて一気に上を目指すつもりらしい。
「そうか。だが、くれぐれも用心しろよ」
「任せてくださいよ。じゃ、ちょっくら行って来ます」
トマスは俺に向かってウインクをすると、意気揚々と出て行った。
その日、俺はメトロでカルメンと待ち合わせていた。
ダークスーツに着替えると、鏡の前でボルサリーノ帽をイキに被ってみせた。
つま先の尖ったイカした靴を履いたところで電話が俺を呼び止めた。
(誰だよ、こんな時に…)
無視して出かけようと思ったが、電話のベルは容赦なく鳴り響く。
(クソッ! ロクな用じゃなかったらぶっ飛ばしてやるからな!)
そう心の中で毒ついて俺は受話器を取り上げた。
「はい」
不機嫌さを全開に出した返事をすると、震えるボスの声が聞こえた。
「レ、レナート! た、大変だ! トマスの奴がしくじった!」
「何だって!」
トマスはスリナーチを付け狙っていたが、どうやら奴らの罠に嵌ったらしい。
『決着をつけよう』
スリナーチはそうボスに連絡してきたそうだ。
『今夜八時半、立ち入り禁止の波止場の第三倉庫に来い』
スリナーチの言葉を告げて電話は切れた。
(よりによって今夜かよ。しかも同じ時間とは…)
すぐにカルメンの部屋に電話をしたが、彼女は出なかった。
もう、メトロに寄っていく時間もなかった。
俺は額縁の裏に隠した金庫からコルトを取り出した。
弾は六発、ちゃんと入っている。
そう確かめたところで、俺は自分の手が震えているのに気が付いた。
(これは怖いから震えているんじゃない。こいつを絶対スリナーチの頭にぶち込んでやる)
コルトを左胸のポケットに仕舞うと俺はタクシーを拾い港へと走らせた。
(カルメン…。ちょっと遅れるかもしれないけれど、必ず行くからそこで待ってろよ)
俺は伝えられなかった言葉を心の中で呟いた。