湖
三人の子供は、大きな川の流れる丘までピクニックして、その自然のあまりにも雄大なことに感動した。ずっとここにはいられない代わりに、「心」を置いていくことにした。心は大切に隠しておかないといけないものだ。だから三人はそれぞれ丘の一番良いところを選んで心を仕舞うことにした。
ひとりは上流の湖に決めた。湖は透き通っていて、深く底まで見通せる。ここが一番良いところだと思って、湖のなかに心を仕舞った。
ひとりは滝の流れ落ちるところに決めた。滝は水を力強くして、なんでも押し流している。ここが一番良いところだと思って、滝のなかに心を仕舞った。
そうして最後のひとりは、下流の森のなかの、静かな沼に決めた。沼は流れがなく泥の厚く積み重なって濁っているけれど、多種多様な生物が生きている。ここが一番良いところだと思って、沼のなかに心を仕舞った。
子供たちは丘を下って街へ帰った。そうして街でたくさん勉強をして、社会のなかの、大人のひとりひとりになった。
五十年間も社会のなかで大人をやって、へとへとになって、久しぶりに出会った三人は、あの懐かしい丘のことを話しあった。子供の頃、あの場所に、それぞれ置いていった大切な心のことを話しあった。
三人の大人は丘を登った。過去に憧れて、いだたきまで登った。過去に焦がれて、それぞれが仕舞った大切な心を持ち帰ることにした。
上流の湖は相変わらず綺麗で透き通っていた。心もきっと綺麗なままだろうと思われた。が、引き上げた心はあせていた。深く底まで見通せる湖は、太陽の光線にも明澄だから、心は焼かれてしまったのだ。
滝の流れはいまなお力強かった。きっと心は鍛え抜かれて立派になっているのだろうと思われた。が、引き上げた心はつぶだった。なんでも押し流している滝は、荒いうねりと勢いの絶え間ないために、ずっと身をさらし続けた心は削られてしまったのだ。
下流の森は静かだった。そのなかの沼は流れがなくて濁っている。心が引き上げられたとき、それははじめ泥を纏っているために、汚れて見えた。辛抱強く待っていると、泥は少しずつ剥がれ落ちていき、泥のなかに住んでいた小魚とか甲殻類とか両生類などの生物もまた沼のなかへぼたぼた落ちた。そうして全部が離れてしまうと、心は昔のまんま、形も色も輝きも、なにも変わっていない。太陽の光線からも水の激しさからも、厚い澱みの堆積が、すっかり心を守ったのだ。
ひとりは思った、心のずっと綺麗でいられたのは、水の透き通って綺麗なのでも流れの力強いのでもない、泥の厚く穏やかなこの沼のおかげだ、ここが一番良いところだった。
ひとりは思った、ちいさな心はまわりを広くする、削られて角のなくなった心はきっと誰も傷つけない、こんなに立派な心になれたのは滝のおかげだ、ここが一番良いところだ。
そうして最後のひとりは思った、年功が積み重なって積み重なって、もう目のくらむ不確かな未来はない、見つめ続けた熱望はとうとう手中に掴んで燃え尽きた、老いさらばえてやり遂げてそれでもなお美しくあり続けられるのは、この心を満々と抱え込む、明澄な、湖の輝きのおかげだ、ここが一番良いところ。
それぞれが仕舞っていた心を取り戻してみて、ある者は安堵し、ある者は感謝し、ある者は誇らしくなった。そして誰もが子供の頃の心を思い出していた。
三人の老人は、大きな川の流れる丘を、ゆったりとした足取りで、帰るべき街へむけて下っていく。自然のあまりにも雄大なことに感動しながら。