Episode 1 謳歌と憔悴
梅雨入りと言われ始めた5月、連日の大雨が続く。全く寒くないのに湿気が多くて気持ちが悪い。
古いビニ傘を振って、水滴を落とす。
「おっはー!」 「おはよう」
下駄箱へ着いた矢先、上履きに手をかけると同時に今日も変わらず藍沢に声を掛けられる。藍沢嘉月。こいつとは中学の頃からの仲で、学校内では一番の旧友だ。互いに一緒に教室に向かうことが暗黙の了解である。ただし、わざわざ一緒に登校するように約束したりしない。
「おは~藍沢に、皇~」
俺と藍沢の間に割り込んで入ってきたのはバスケ部のエースで、図体のでかい但馬昴だ。
「おい但馬ぁ!お前はデブなんだから人と人の間に入ってくんなよぉ」
だるそうに藍沢が言う。だが、雰囲気は暗いわけではない、むしろ明るすぎて鬱陶しいものだ。
「残念だな俺は筋肉質でガタイがいいだけだ。お前は骨だな」
毎度恒例の言い合いだ。何度同じ台詞セリフを聞いたことか。
しかし藍沢に言わされている感があって但馬はそれに付き合ってあげているようにも見える。しかしお互いそういうキャラだから何も言わない。このやり取りも誰にも咎められない日課だ。
「そんなことないぞぉ!」
と藍沢は朝からバカでかい声を出しやがった後、筋肉ポーズをして見せる。しかしガリチビの体系では全く様にならない。
少しは鍛えたりしたらどうなんだろうか。チビなんだからガリガリだとモテないだろ?
「その朝から元気過ぎる力はどこから来るのかねぇ」
俺は2人に呆れながら教室へ向かう。
「皇が元気ないだけだよ!相変わらず朝は弱いんだね~」
煽るように藍沢が言うが全く、逆に通常運転で安心する。
そんなことよりお前が毎日踏んでる上履きのかかとの方が可哀相だな。
「余計なお世話だよ~藍沢。皇は夜更かし大好き人間なんだから、な?」
優しさでフォローしてるように見えて若干disっている。無論本人はその気でない。
ガラガラ
扉を開くと見慣れた光景。
「よぉ皇!」「おはよう皇くん」「皇おっはよー!」「克己くんおはよう。今日は少し遅かったね」
いつもの奴らが一番に駆け寄って挨拶してきた。
「おはよう。今日は藍沢に絡まれたから」と後ろにいる藍沢を指差す。
「俺のせいじゃねーし!但馬のせいだよ!」
見苦しい言い訳は誰も藍沢を信用していない。
「それはちゃうやろ藍沢」
それでも突っ込みを入れてくれる但馬は相変わらずだ。
「ふふっ、嘉月くんに昴くんおはよ!相変わらず元気だね~」
心優しい一軍女子の穂谷が2人に微笑む。その笑顔に微笑み返す2人。
それに対して各々挨拶を交わした。
キーンコーンカーンコーン
「あ、やば、座らなきゃだね」
「だな」
ぞろぞろと急いで席に着く。
「いない奴言ってけー」「田中さんと氷川ひかわくんまだいませーん」
俺はこんな平穏でくだらない日常が落ち着くしとても気に入っている。
___
俺たちA組のホームルームが終わったと同時にすぐに俺と藍沢はE組の教室に向かう。
E組はまだホームルームが終わっていないようだ。
「E組の担任ほんっと遅いよなぁ!」
「声でデケェって」
ノールックで藍沢の肩を殴る。
だがしかし実際にE組の担任は話が長くて、生徒からはあまり好かれない。扉の隙間から見える無精ひげの姿に少し苛立つ。悪気はないからこそ何も言えない。
E組に行く理由は、柊蓮樹というイケメンナチュラルサイコパス野郎に野暮用がある。漸くホームルームが終わったようで柊に声をかけた。
「よう柊。今日は部活行くか?カウンセリングなら送ってくけど」
「今日なし~、部活行くわ~」
こいつも朝が弱い、あくびをしながら気怠そうに話している。
「わかった。他のメンバーも呼んでおく」
「頼んだ~。ちな藍沢も今日来る?」
会話の対象がスムーズに藍沢へ動く。
「お願いとあらば出陣いたしますぜい!」
「おけ~、じゃ」「はいよー!」
そういってそれぞれのクラスに戻っていく。
柊は小学生の頃問題を起こして以来、カウンセリングに通っている。といっても簡単なテストを受けたり、その日あったことを話したりと結構気楽な雰囲気らしい。
俺も一度担当の先生と話してみたいものだ。柊がいつもお世話になってます、とな。
そして俺たちが所属しているのはオカルト研究会。通称オカケン。正式な部活ではないため、オカルト部ではない。研究会とは名ばかりの仲のいいメンツが集っただけの集いの場である。研究室もぼろい別館の一室だ。活動内容はほとんど決まっていないも同然だ。ただ、元々パソコン部が活動していた部室だったため、パソコンが自由に使えるという利点がある。
ちなみにオカルト研究会では現在高校三年生がいないため、俺たち二年生がトップだし、後輩も少ししかいない。
矢沢晴翔と言う印象強い奴がいるが、その話はまた今度だ。する気はない、理由は良くも悪くもやんちゃな奴であるからだ。
他にもいるが活動日には来ない。俺たちにとっては過ごしやすい部活だ。
歴代の先輩が自由放任主義が売りの先生に顧問を頼んだらしいので放ったらかしで気が楽である。
「但馬と氷川と、あと神々廻にも声かけなくていいのか?」
廊下を歩いていると隣の藍沢が言う。残りのオカケンのメンツだ。
「但馬はバスケ部の方が試合近いって言ってたし、多分来ない。氷川と神々廻は声かけるだけかけてみるか。まあ氷川は通常通り遅刻だけどさ」
___
午前授業が終わって昼休みになった。
通常通り、オカケン室でいつメンとともに昼食をとる。
「おぉ、氷川。何してるんだ?今日も遅刻か?」
オカケン室へいったら氷川怜陽が一人でいた。
「今日は朝からここにいる。みんなは?」
「ふーん、じゃあサボりか。みんなは後から来る。そういえばこの間氷川がアップしたイラスト反響良かったな」
氷川はネットでイラストやアートを手掛ける活動をしている。
「んね思った。結構適当だったんだけどな」
「ははっ、あるあるらしいな。結構時間かけた方が伸びなかったりって」
「うん」
「よーよーよー!元気してっか2人とも!」
勢いよく扉を開けて藍沢が入ってきた。
さっきまで一緒に居たろうが。なんなんだそのノリ。
「全員揃ってるね」
藍沢をフル無視した氷川が藍沢の後ろに全員がいることを確認。
「氷川が午前中いるの珍し」
「違うよ昴、今はもう午後だよ」
とツッコんだのは、なぜかまだ寝癖がついている神々廻丈だ。
「ああそっか、じゃあ通常運転か」
「いや。今日は遅刻してn(((「じゃあ食おうぜ―!」
おい藍沢言わせてやれよ。
かく言う俺も面倒なので氷川にフォローは入れない。
各々決まった位置があり、定位置に着く。
これがいつものスタイルだ。
ここで全員の詳細説明をするとしよう。
|藍沢嘉月〈あいざわかづき〉。アホだがバカではないお調子者のチビガリ。俺とは中学の頃からの仲。皆の元気の源?
図体のデカい|但馬昴〈たじますばる〉はバスケ部のエースとオカケンの兼部。
寛容で、気配りができ、勉強ができる。が、ちょい抜けてるところがある。モテる。
E組の|柊蓮樹〈ひいらぎれんじゅ〉。顔が良く、成績も常にトップだが、実際はただ何でもできる器用者のサイコパス。小学生で両親を殺しているため里親に育てられている。しかし意外と話の馬は合う。モテる。
遅刻魔の|氷川怜陽〈ひかわれいび〉はネット依存者。
だが自分が描いたイラストなどをSNSに投稿していて知名度はそれなりにある。ピアスが確か13個開いている中性男。
E組の|神々廻丈〈ししばじょう〉。人当たりがよく誰からにも好かれる。男子にモテる。寝癖が可愛い。性格はよくて、勉強は人並みにでき、運動もそこそこだが、体力がない。
明るくも暗くもない奴。
「今日部活来れる奴誰~!ちなみに俺と皇と柊は来ますよーう」
「今日暇だからいいよ」携帯いじりながら氷川がいう。
「僕も今日大丈夫だよ」神々廻がもぐもぐしながら言う。可愛い。
「あーごめん俺試合近いから今週パス。」
今朝予想していた通りだ。バスケ部との兼部でオカケンを優先するはずがない、ましてや試合だ。俺も但馬にはバスケを頑張ってほしい。
「てか但馬の試合見たいね~」柊が食い気味に言う。
あまり物事に関心がないと思っていたのだが、意外とそんなことはなく、友達の事となると興味深そうに振る舞っている。
「俺も見たーい!」
飯食ってる最中だというのにわざわざ席から立ち上がって藍沢が言う。ちなみにこいつの飯は菓子パンである。高校男子生徒がそんなもので腹が膨れるわけない。
「え!ん~別にいいけど、緊張しそうだな」
「まぁまぁ!応援しに行くだけだからさ~!行っていいよね!いいよね!?」
藍沢が但馬の顔にゼロ距離で圧をかけている。
但馬もそれに動じずに普通に会話している。
とても面白い光景だ。絵に描いて残したい気分になる。
「わかったわかった。じゃあ応援しに来て」
「いえーい!」「楽しみにしてるわ」「じゃあ俺早めに行ってボール全部つぶしておくね。」
要領のない会話だ。最後の奴はツッコみたくなるが、通常運転である。
「ボールは各学校が持っていくから大丈夫だよ」
「あぁ、そ」
そしていつもの他愛のないような会話が続いた。やはりこのメンツはいいな。
___
放課後、部室に着く。オカケン室の空調は既に心地の良いようになっていた。
別クラスの柊と神々廻が先にいたのだ、珍しい。
「こっち系の調査がまだだから、そのプロジェクトだときついかも」
「あ、確かにそうだね」
2人の様子を見ると文化祭で展示する神社の調査を進めている様子だった。
オカケンでは毎年、その名の通り超自然な事や怪奇的な事の調査を行い、レポートにして発表しているのだ。ほかにもイラストを描いて展示するという催しもある。
「結構進んでるいるじゃないか。難航してるって前は言っていたのに」
「蓮樹がほんとにすごいんだよね。何でもできちゃう」
「神々廻のここがあってこその芸当だ、後結構休み時間とかも使ってやってるしね~」と言いながら神々廻の頭をつつく。割と強めに。
2人のやり取りを見ていたら俺もやらなきゃと思い、担当しているレポートに取り掛かった。
藍沢と但馬とともに進めている制作だったのだが、不真面目と忙しい奴しかいないので全然進んでいない。だがまあ文化祭までにまだ5か月以上ある。全く以て焦る必要もないのだ。
「はぁ!涼しいー!」「え、寒ッ」
提出していなかった課題を出し終えた藍沢と氷川が入ってきた。
「遅い藍沢。俺たちの調査全く終わらないけどこのまま行ったら終わらないぞ」
「すまねぇ俺たちだけだよな…、てか氷川は終わってんの?」
といいながら俺の隣に藍沢が着席。
「僕のイラストはとっくに終わってる」
氷川は変わらずいつもの端っこの席に着く。
「だよね~」
あぁほんとにめんどくさい!って叫びたい気分だが頑張って抑える。
「ね~皇~、ちょっと恋愛相談乗ってくれやー」
「またかよ。そういうのは俺に聞くもんじゃない」
「今回の被害者は誰だろーなー?」隣で柊が野次を飛ばす。
「俺が好きになった人を被害者って言うな!いいよな~お前らは顔がいいからそれだけでモテるもんな~。特に柊なんて頭おかしいのに1か月に10回くらい告られるだろ~」
「頭おかしいは余計だよ。まあオカケンの内で一番モテるのは俺だな。2番目っつったら誰だろな~」
「否定しろ?2番は皇じゃね?でも但馬もモテるよな~」
いつも1番近くにいるはずの藍沢が馬鹿なことを言ってる。
「俺なわけないだろ。但馬はスポーツ万能で優しいんだからモテるのは必然だ」
「あいつこそスパダリだもんな~てかさ、神々廻はなんでモテないん?」
黙々と作業に集中していた神々廻に視線が集まる。
「ちょ、え!?いいからいいから、こっちやろ」
いきなり話を振られておどおどしている。癒しだ。
「神々廻は陰でモテるタイプだろ。まぁ俺たちの姫ポジにいるから、女子たちも関りずらいんだろう」勝手な俺の推測だ。
「姫扱いしてるおかげで女が寄ってこないのか。じゃあこれからも神々廻は姫だ」
クズはいったん黙れ。
「僕は男だよ。なに!姫って!」
「男の娘だろ~。姫で合ってるよ。てか神々廻丈の丈ってお嬢さまの嬢の字だろ~?」
柊が茶化す。ほんと人のことをいじめるのが好きなようだ。見てる方は楽しいからいいのだが。
「違うよ!!」
「よッ!お嬢!」変なノリに乗っかって囃し立てる。
「お嬢!お嬢!お嬢!……」藍沢も乗っかる。氷川は相変わらずスマホを見ている。
今日は神々廻に変なあだ名がついた日だった。
「で、藍沢、誰なんだ?穂谷?」
「え、なんで分かったのこわ。恐怖、ホラー」
藍沢は俺の事を変顔かというレベルの表情で見て身震いする。
「お前が分かりやすいんだよ、てかお前にしちゃレベル高いけど大丈夫か?」
「わかってるよ…。でも好きなんだ」
儚げに言う。ふざけてるのか分かりずらいが、これはふざけてる。
よくあることだ、だが乗っかってやらない。
「穂谷さん彼氏いるって聞いたよ」
ずっと黙って作業をしていた氷川が藍沢を軽くあしらう。
「え…、まじ?」
氷川がyesの意味を持って眉をひょいっと上げる。
「くぁwせdrftgyふじこlp誰か俺を殺してくれ…、」「おっけい」「あ、苦しい苦しい」
サイコ野郎が机に突っ伏せた藍沢の首を絞めた。
こうして今日もまたレポートと調査は進まずに時間が過ぎ、あっという間に下校時間だ。
部活の時間があったのに辺りはまだ明るい。特に用がなければいつメンと一緒に帰る。
どうせ通勤ラッシュで電車も混んでて、何か話せるわけでもないだろうに。
でも、こいつらといると心が浄化されたような、気が晴れたような気分になる。
普段生きた心地がしない生活を送っている俺にとって、何よりも価値が高い時間だ。
「じゃあな」「「またな~」」
最寄りに着く。
帰りたくない……。だが帰るしかない。
___
「ただいま」
そう言ってもいつしか「おかえり」という言葉が返ってくることはなくなった。
足早に自分の部屋へと逃げるようにして入る。ネクタイを緩めながらベッドに倒れた。
特にやることもないからぼぉーっとする。
部屋着のズボンに、胸元がよれよれのTシャツに着替える。
こうして逃げている時間も無駄だし埒らちが明かない。夕飯の時間だし、行くか。
「なに。帰ってたの?」
母の冷たい声は俺に向いているのだろうが目線はスマホにあるまま。
「うんただいま。夕飯は?」
「自分で勝手にして」
机には1000円札が2枚置いてあった。今日も。
「優香はもう食べたの?」
「…。」
食べていないようだ。1000円札2枚を持って、優香のいる部屋に行った。
「優香、ただいま」
「おかえり!お兄ちゃん遅いよ~寂しかった。」
げっそりとしてやつれていたであろう俺の顔を晴らした。
俺の中で、優香の存在が家の中で唯一の癒しだ。
「ごめんね。一緒に夕飯買いに行くか」
優香と同じ視線になるよう、かがんで話す。
「うん!」そう言いながら俺の胸に飛び込んでハグをした。あぁ。幸せだな。
うちの家は貧乏ではないのだが、両親と兄が人として終わっている。恐らく俺も。
だから家庭が崩壊しているのだろう。
妹の優香はまだ小学校低学年だ。
優香が生まれる前までは、俺を容赦なく殴り蹴りしていた兄貴と親父。それを止めようと必死になってくれた母。
妹が生まれてから箍たがが外れたのか、母はそれを無視をするようになった。
「どうして暴力を振るうの?」そう聞いても、日常の腹いせだ。と返ってくるので俺が何かしたわけでもない。だからそのうち妹にも手を出すだろう。
その時は俺がちゃんと守ってやる。そう心に決めている。
妹との夕飯の時間が終わった。今日も食べる量は少なめにした。
吐いてしまうから。けどその分お金が溜まる。一石二鳥じゃね?←違う
「おい」
兄貴に声を掛けられる。くっそ。
ともにいる優香に、「部屋に戻ってて」となるべく優しく、笑顔で言う。
妹は部屋に入っていった。行かないでくれ。
ドゴッ…ドンッ!ガッ、
「グホッ…ガッ!ゲホッ、カハッ!」
俺の肉体を殴る拳の音は鈍い音を出し、恐怖に怯える俺の荒い息はずっと頭の中を反芻はんすうする。
殴られている時はいつも友達や妹の笑顔が脳裏を埋め尽くす。
きっとそれだけが救いだ。良くも悪くもこんな時にこれでもかという笑顔が見えるなんて。
胸ぐらをつかまれて持ち上げられたら、大体次は顔面だ。
「どけ」
大嫌いな重低音の声が俺の鼓膜を揺らした。
強張っていた身体は震えが止まらなくなっていた。
「親父、」
兄貴でさえも親父の存在は脅威だった。
もとより親父が兄貴を虐待し、腹いせに俺が殴られている。
成長した兄貴は親父に対して反抗するようになったため、暴力の対象は反抗してこない俺に動いたのだ。俺も反抗できればいいのだが、対象が次に行きかねない。
兄貴は親父に辟易すると、爪を噛んで汗でしっとりしている髪を搔きむしり、自分の部屋へと戻った。
___
目が覚めると傍には俺に抱き着いたまま寝ている優香がいた。実にぐうかわだ。
というか気絶していた俺をベッドまで運んでくれたのか。
有難いが申し訳ないな。
軋むように痛む全身だが顔などの露出しなければならない所は当たらないよう粘っているから怪我が目立たない。
気絶するのは珍しくないが今日はいつもより長い時間気絶していたようだ。全身は汗でびっしょりだったが、優香を起こさないためにも風呂にも入らずそのまま眠った。