ざまぁされたポンコツ王子は、真実の愛を見つけられるか。
「エレシア・ニンフリバー 、貴様とは婚約破棄する!」
ざわつく周囲。俺はエレシアを見下し、隣にいるレイラを抱き寄せた。
エレシアは泣きそうな顔をして、それでも俺の婚約破棄を受け入れると去っていった。
俺がそんな婚約破棄劇をおこなったのは、二ヶ月も前のこと。
ノヴェリア王国の第一王子であった俺は、すべてにおいて驕っていた。
婚約破棄後の俺は、散々だった。
聖女である侯爵令嬢エレシアとの婚約。それを勝手に破棄した俺は、父上の怒りを買って王位継承権を剥奪された。
それだけでは済まず、危険な紛争地帯への出征を命じられてしまう始末。
しかも、王族としての指揮官ではない、末端の騎士としてだ。
ここで功績を上げなければ、王籍を抜くとまで言われてしまった。
ただの一騎士が、どうやって功績を上げろというんだよ?
レイラはその条件を聞いて俺の前から消えたかと思うと、翌週には別の男との婚約を発表をしていた。
たしかにレイラと俺とは正式な婚約をしていなかったが……酷すぎないか?
他に良い人が現れたからと、真実の愛を見つけたからと、この俺を簡単に捨てるとは……!
……いや、俺も同じか。
真実の愛を見つけたつもりで婚約を一方的に破棄し、エレシアを傷つけた。
傷ついた顔……していたな。
エレシアは体の発育が悪かったのか、十六歳にしてはかなり小柄で、女らしく強調する部分が圧倒的に欠けていた。
俺たちが婚約したのは、エレシアが十歳、俺が十五歳の時だ。
ガキだと思った。
頭が良く、聖女の力が使えるだけの、生意気なガキ。
俺のこなす仕事に、「ここが間違っております」と修正を言い渡されるたびに苛立った。
ああ、エレシアは頭がよかったんだ。俺がどれだけ頑張っても、彼女には遠く及ばない。そんなこと、わかっている。
バカな王子だと陰で噂されているのも知っている。
剣を習っても、どれだけ勉強しても、できる奴には追いつけなかった。
無能王子。きっとエレシアもそんな目で俺を見ている……。
そう思うと、我慢ならなかった。
なんでも簡単にできる奴らに、俺の気持ちはわかるまい。
どれだけ努力してもポカをやらかし、その度にエレシアが後始末をしてくれたのだ。この上ない、屈辱だった。
俺だって本当はポンコツなんかじゃなく、万能になりたかったんだ。
家臣に尊敬され、婚約者に愛され、すべての問題を鮮やかに解決し、国を平和に導ける偉大な指導者に。
だが現実はどうだ。
俺の苦しみがわかると言ってくれた女に、簡単に溺れてしまった。
愛されているんだと、こんな俺でも受け入れてくれる人がいるのかと、心の底から喜んでしまった自分を殴りたい。
俺を受け入れてくれる者など、ありはしないんだ。
血の繋がった父上ですら、危険な紛争地帯に俺を寄越すくらいだもんな。
功績を望むどころか、死んでいなくなってほしいと願っているのかもしれない。
ポンコツ息子がいなくなれば、危惧することがひとつ減る。その方が、都合がいいんだろう。
俺は、誰にも必要とされていない。
そう思うと涙が滲んできた。
俺はもうここで、死ぬだけの運命。死んで喜ぶ者がいても、悲しんでくれる人は誰もいない。
生きていても虚しいだけだとわかっているのに、それでも生きたいと願ってしまう情けなさ。
潔く死ぬこともできず、戦場で仲間たちと共に、必死に戦うだけ。
ただ死にたくない。死ぬのは怖かった。
「よ、クラッティ! なーにふさぎ込んでんだ!」
「グレゴリー」
まだ一応王族である俺の名前を気軽に呼ぶのは、同じ平騎士のグレゴリーだ。
いや、本当の名前はメディオクラテスなんだが。長ったらしいからと、勝手に略された。
「今日は敵を退けたんだ、祝杯だぜ!」
「一部を後退させただけだろ」
「そう言うなって! 俺たち騎士はいつ死んでもおかしくねぇんだから、いつだって少しでもいいことがあった時は、祝杯をあげるのさ!」
「干し肉とお湯でか?」
「それもオツだろ?」
「……戦場が、これほどまでに酷い状況で戦っているなんて、来てみるまで知らなかったよ……」
……いや、本当は知っていた。
幾度も戦場からの要請があった。その度に対処はしていたはずだったが、全然行き届いてなかったんだ。
エレシアが「これでは物資が足りないのでは?」と言うたびに、俺の決定に文句をつけるのか、国庫はいくらでも出てくる魔法の金庫ではない、たかだか紛争ごときのために金は出せないと意見を退けていた。
その結果が戦場で戦う者の士気を下げ、ずるずると長く厳しい戦闘が続くこととなってしまっている。
こんなに酷い状況だと知っていたら、俺だって……。
俺は戦場に来て、初めて手紙を書いた。
干し肉片手に、仲間と湯で祝杯をあげながら。
父上は読んでくれるだろうか。
愚息のいうことなど、聞いてくれないかもしれない。むしろ俺を殺すために、補給を断たれてしまうかもしれない。
エレシアが恋しくなった。
エレシアなら、きっと戦場にいる者たちに思いを馳せて、どうにかしてくれたはずだと。
彼女は今、どうしているだろうか。
手紙を書くと早馬で届けてもらい、二週間後には炊事軍隊が派兵されてきた。
まさか父上がここまでしてくれるとは思っていなかった俺は、激しく驚嘆した。
「これをメディオクラテス様にと」
派兵の一人に渡された、王家からの手紙。それを開いた瞬間、俺は胸が締め付けられるように苦しくなる。
文面は、俺の要請に応え、炊事部隊を編成したことを伝えるだけの内容だった。
だけど、この字を忘れるわけはない。
エレシアの書いた、美しく丁寧な文字。
俺に婚約破棄された彼女は、もう王城にいないのではないかと思っていた。
弟である第二王子の婚約者にでもなって、そのまま居座っていたのだろうか。
戦場では、なんの情報も伝わってこないからわからない。だから俺の醜聞も伝わらずに、仲間達は俺を受け入れてくれているわけだが。
早速料理を作り始めた炊事部隊を見る。いい匂いを嗅ぐと、途端にお腹がすいた。
エレシアがこの部隊を編成してくれたのかと思うと、ぎゅっと胸が詰まるような苦しさを覚えた。
そうだ、彼女はずっと炊事部隊の派兵を提案していた気がする。
当時は俺からも父上からも許可は出なかったはずだが。押し通してくれたのか。
まさか、俺のため……ではないだろう。
彼女は誰からの要請でも、真摯に対応していたのだから。反対ばかりする鬱陶しい男がいなくなって、さぞ仕事がしやすくなったことだろう。
補給路はしっかりと確保されていて、食材も今までとは比べ物にならないくらいに入ってくる。
炊事部隊の作る軍食は美味しくどこか懐かしく、否が応でも騎士たちの士気は上がっていった。
苦戦することも多かった戦いが、拮抗し始めた。
一進一退ではあったが、食事をとると『明日こそやってやろう』と皆で決起した。
俺はことあるごとにエレシアを思い出す。
なにしているだろうかと考えると、胸を掻きむしりたくなるような衝動に襲われた。
会いたい。会って一言謝罪したい。
命の危険に晒されながら戦い続けて、ようやくエレシアの偉大さに気づいた。
十歳で聖女の力に目覚め、たった一人で王城に連れてこられて教育を施されて。彼女はどれだけ心細かっただろう。
婚約者であるはずの俺にはガキだと蔑まれ、疎まれて。どれだけ悔しかっただろう。
そんな中でもエレシアは、驚異的な頭脳ですべてを学び終えると国政に携わり、人々のためにと動き始めた。
権力と戦いながら。
彼女が一番味方になって欲しかった人物は、おそらく俺だったはずだ。
なのに俺は、エレシアの敵でしかなかった。くだらないプライドで自分だけを守り、戦場で戦う者を危険にさらしたんだ。
それだけじゃない。
氾濫の恐れのある河川の拡幅事業を提案されたときも、そんなものは必要ないと無視した。
貴族だけでなく庶民にも教育の場を作って、国全体の知的成長と教養向上を促進すべきだと言われた時も。国民など、馬鹿でいいのだと一蹴した。王家のいうことを従わせるなら、無駄に知識などつけさせない方がいいと、真剣に思っていた。
でも、あれもこれも間違っていたんだろう……今はそう思う。
この騎士隊でも字を書けるのは、上官である貴族出身の者だけだ。
他の者は愛する家族に手紙を送りたくても書けないでいる。何度か頼まれて代筆したが、結局は家族に字の読める者がいないから意味がないという者がほとんどだった。
俺はエレシアから送られた手紙を見る。
いや、手紙とも言えない、ただの書類上の紙。
まだ二ヶ月半しか経っていないのに、やたら懐かしく感じた。
「エレシア……」
その紙を見ながら名前を呼んだ瞬間、なぜか書類が薄ぼんやりと光ってすぐに消える。
……なんだ? なにか聖女の力か?
もう一度書類に目を落とすと、さっきまでなかった文字が浮かび上がっていた。そこには──
メディオクラテス様、死なないで
と──。
俺はその文字を見た瞬間、男泣きに泣いてしまった。
どうしてエレシアはこんな言葉を書いて送ってくれたのだろう。
わからないが、俺はただ無性に嬉しかった。
グレゴリーが、「恋人からか!」と笑いながら背中を叩いてくれていた。
戦いは、それからも終わることなく続いた。
上の連中は、王家は一体なにをやっているのかと苛立ってくる。
敵と交渉するなりなんなりして、さっさとこの紛争を終わらせるべきだ。
犠牲者の数が増えていくだけで、一向に終わりの兆しが見えない。
俺も何人かの仲間を見送った。平和だったなら、未来のあった者たちだ。
こんなことはおかしい。なぜ争いが続いているんだ!
俺は父上にまた手紙を書いた。
医療物資が足りない、医療者も寄越してほしいと。
そしてこんな無益な戦いは早く終わらせてくれと。
しばらくして、医療部隊が編成されてやってきた。
その中には女性も何人かいて、彼女たちの貞操を守るための護衛騎士もいた。
平和に暮らしていたであろう彼女たちまで戦場に駆り出してしまったことに、罪悪感が募る。
「要請に応えてくれてありがとう。大変な生活になると思うが、君たちの命は必ず俺たちが守る」
医療部隊にそう声をかけると、一人の女性が振り向いた。
「ありがとうございます。騎士様たちのお役に立てますよう、誠心誠意努めさせていただきます」
サラリと流れる栗色の美しい髪。
しなやかに伸びる手足に、美しく実った胸。
なんでこんな綺麗な人が戦場に……。
「よ、よろしく……」
「なんだよクラッティ、さっそく目ぇつけてんのかー?!」
いきなり後ろからグレゴリーのゴツい筋肉が、ガバッとかぶさってきた。重い。
「違うって、挨拶してただけだ! お前こそ、医療班の女性に手をつけるなよ、グレゴリー!」
「わかってるって! で、お嬢さんの名前はなんてんだ?」
「おい、グレゴリー!」
「名前を聞くくらいいいだろー?」
……まぁ、確かに。
これからは仲間なんだから、名前を呼べないと不便だ。
「ふふ、私は、エレ……エリーゼと申します。戦場は初めてでご迷惑をかけることもあると思いますが、よろしくお願いいたします」
エリーゼ。めちゃくちゃ綺麗だ。
どこか、エレシアに似てる気がする。名前のせいだろうか。
エレシアが成長したなら、こんな姿になるのかもしれない。
会いたいな、エレシアに。
「あの……私の顔になにかついていますでしょうか」
「え、あ、いや……」
「いやあ、あんまり美人がきたんで緊張しちゃったんだよなぁ! あ、俺はグレゴリー、こいつはえーと、クラッティとでも呼んでやってくれ!」
「グレゴリー、今俺の名前を忘れただろう」
「最初から覚えてない!」
「胸を張るな!!」
俺がバシッとグレゴリーの胸板をチョップすると、エリーゼはクスクスと口元に手を当てて笑っている。
これは相当、育ちの良い娘だな。よくこんな戦場に来られたもんだ。
「ではグレゴリー様、クラッティ様、今後ともよろしくお願いいたします」
「こちらこそ」
「おう、任せとけ!」
その後、医療部隊が持ってきた俺宛の親書を渡された。
またエレシアが書いているかもしれないとドキドキして開けたが、そっけない父王の字が並んでいるだけだ。
バーソル族との戦いを終わらせたいなら、そうするために動け……と書かれてある。
炊事部隊と医療部隊を送るだけで問題が解決できるわけじゃないというのに。
俺に、なにができる?
ただの一騎士としてしか戦えない俺に、この紛争を終わらせろと?
……無理だ。こんなところにいたんじゃ、なにもできない。
戦闘は医療部隊が来てからも続いた。
治療しているところは決して見てはいけないと、エリーゼたちはテントの奥で治療をしている。
特殊な治療らしく、テントから出てきた者は驚くほど元気になっていた。
重傷者も命を取り留めることが多くなり、医療部隊が来てから死者はほとんど出ていない。
俺は食事を二人分もらうと、エリーゼのいるテントに向かった。
もう星が出ていて、今日の戦闘は終了だ。夜襲を仕掛ける元気がないのは敵も同じらしく、見張りは立てるが基本的に夜だけはゆっくりできる。といっても、昼間の戦闘でみんなくたくたなんだが。
テントの中ではまだ治療が行われているようで、俺はそれを待った。
「クラッティ様」
やがて出てきたエリーゼが、俺に笑顔を向けてくれる。
「お疲れ、エリーゼ」
「クラッティ様も、ご無事でなによりでした」
パンとシチューとサラダが載せられたプレートを渡すと、俺の隣に彼女は座った。
最初に「一緒にお食事しても?」と言われてから一ヶ月。今はもう当然のように彼女と一緒に食べることが多くなった。
エリーゼは、綺麗だ。
優しくて、朗らかで、気が利いて、温かみのある女性。
頭も良ければスタイルも抜群にいい。
十六歳だと言っていたが、もう婚約者はいるんだろうか。
食事を終えると、持ってきてくれたのだからと俺の分のプレートを取っていく。ありがとうとお礼を言うと、嬉しそうににっこりと微笑んでプレートを返しに行った。
俺は胸のポケットに仕舞ってある、一通の手紙を開く。
エレシアからの手紙。死なないでという文字はすでに消えている。
「エレシア」
その名前を呼ぶと、また文字が浮かび上がった。
〝メディオクラテス様、死なないで〟
エレシアは俺の死を望んでいない。そう思うだけで、俺の胸は熱くなった。
「どなたからのお手紙ですか?」
急に声をかけられて、俺の体はビクリと跳ねる。
「エ、エリーゼ」
「あ、申し訳ありません。お邪魔でしたでしょうか」
「いや、ごめん、大丈……」
「ほっほー、今日もラブラブだねぇ、お二人さん!!」
ちょ、グレゴリー、いきなり出てくんな。
「やめろ、そういうんじゃないっていつも言ってるだろ」
「そうだったそうだった、お前には〝手紙の君〟がいるんだもんな!」
「うるさい、ほんともう向こういけ、お前」
「わはは!!」
笑いながら去っていくグレゴリー。基本いい奴なんだが、たまに面倒臭い。
「手紙の君……恋人からですか……?」
心なしか、エリーゼの顔が曇った気がした。
「いや、違うんだ。俺に恋人はいない」
「じゃあ、どういう……」
「……元、婚約者だよ」
「元……?」
エリーゼはさっきとは一転、頬をほのかに染めた。
いや、元婚約者だからって、手は出してないからな。変な想像しないでほしい。
「す、好きだったのですか、その元婚約者のこと……」
「いいや」
今度はなぜか肩を落としている。どうしたんだ、今日のエリーゼは。
「好きとかは……正直考えられなかった。彼女は俺より五歳も年下だったし」
「そ、そんなの、大人になれば関係なくなります……!」
「そうだな。でも、当時の俺には考えられなかったんだ。ただ、優秀な彼女に俺は引け目を感じていた。どれだけ努力をしても、俺は彼女に敵わなかった。だからくだらない嫉妬をして、婚約破棄したんだ。最低だろう?」
「……」
俺の告白に、エリーゼは黙ってしまった。引かれてしまったかもしれない。手紙を大事に仕舞うと、俺は月を仰いだ。
「ただ、死なないでって書かれた手紙を見ると……ああ、俺は彼女のことを愛おしく感じているんだって、思うことがある。今さら、だけどな」
これが真実の愛なのかはわからない。寄せられた同情への、感謝の気持ちなのかもしれないし、エレシアを捨てた罪悪感からそう思おうとしているだけなのかもしれない。
「……その方、きっとクラッティ様の努力をわかっていたと思います……」
「それはないよ。俺はポンコツだったし」
「そんなことはありません! 学問も、政務も、剣術だって! 誰よりも頑張ってきたから、こうして今を生き抜いているのではないですか?!」
「エリーゼ……買いかぶりだ。俺がこの紛争で死んでも喜ばれるくらいで、誰も困ることはない人間なんだ」
「喜びません!! あなたが、死んだら……私も、その手紙の主も……泣きます……っ」
「……エリーゼ」
俺はまだ生きているというのに、エリーゼの目からはボロボロと涙が滑り落ちていく。
そうか……俺が死んだら、エレシアもエリーゼも、泣いてくれるのか……。
胸の奥から熱いものが溢れてくる。こんな俺でも、生きていてほしいと願ってくれる人がいる。それも、二人も。
「ありがとう、エリーゼ」
「クラッティ様……」
ああ、なにか心の中から温かいものが滲み出てくる。こんなにまで純粋な瞳を向けてくれるエリーゼを見ると、言葉にできない感情が、胸の内で燻っているのを感じた。
俺は、エリーゼのことが好きなんだろうか。
もう自分の気持ちに自信がない。真実の愛だなんて言葉を、よく軽々しく言えたものだと今になって思う。
エリーゼの瞳は潤んでいて……誰よりも美しい。
「ほらいけ!」
「抱きしめろ!」
「そこでキスだ!」
後ろの茂みからそんな声がして、俺は剣を持って立ち上がった。
「グレゴリー、ジェイムズ、ランソン!! お前ら覗いてるんじゃないぞ!!」
俺が声を上げると、いい歳をした悪ガキ三人衆が立ち上がる。
「俺はクラッティが死んだら泣くぞー!」
「僕もー!」
「俺もだー!」
蜘蛛の子を散らしたように、逃げながら叫んでいるグレゴリーたち。
……まったく。
「ふふっ」
後ろでエリーゼの可愛らしい声が聞こえた。
なんだか少し恥ずかしい。
「愛されていますわね?」
「……やめてくれ」
そう言いながら、口元がニヤけてしまう俺はおかしいだろうか。
あいつらの気持ちが嬉しくて仕方ないだなんて。
「私は……私も、クラッティ様のことが……」
「エリーゼ……?」
なにを言うつもりなのかと、ドクンと心臓が跳ねる。その、直後。
「敵襲だーーッ!! 戦闘態勢に入れ!!」
「なっ……夜襲?!」
夜襲にしては時間が早い。いや、そういうことじゃない。
みんなが一息ついた時間帯を狙われたのか。すぐ応戦に行かなくては。
「クラッティ様!」
「護衛騎士と合流し、後退するんだ! この前線基地は捨て……」
そこまで言った瞬間、男の大きな悲鳴が聞こえた。
まさかこの声は……グレゴリー?! 嘘だろ!!
俺は気付けば走り出していた。
さっき、あいつらが消えた方角へ。
そこではジェイムズとランソンが応戦していて、地面には胸に矢の刺さったグレゴリーが倒れている。
「グレゴリー!!」
「うっ、がふ……」
「クラッティ、グレゴリーを早く医療テントへ!!」
「わかっ……っく!!」
グレゴリーを早く運びたいというのに、敵がどんどん襲ってくる。
剣で応戦するも、助け出す余裕なんて与えてくれない。
このままじゃ、グレゴリーが……!!
「おい、グレゴリー! 死ぬんじゃないぞ!! 俺だって、お前が死んだら泣くんだからな!!」
「ぐは……は、は……」
なんて情けない笑い声出してんだよ……!
そんなグレゴリーなんて見たくないぞ、俺は!!
早く、早くグレゴリーを医療テントへ……!
「ここで治療をします!! どなたか、グレゴリー様の矢を抜いてくださいませ!!」
その声に俺はギョッとする。
エリーゼが護衛騎士を引き連れてやってきていた。危険すぎる。どうして後退しなかった!!
ずんずんやってくるエリーゼを守るように、護衛騎士たちは立ち回っている。
「ジェイムズ、ランソン! グレゴリーとエリーゼを守るんだ!!」
「「おう!!」」
ギンッと敵の剣が重くのしかかる。
豪の剣は流して払い、空いた懐へと剣を滑り込ませる。
俺に背を向けている奴はアキレス腱を容赦なく斬り、地面に突き倒す。
「ぐああっ!!」
剣戟の音を掻き消すような、グレゴリーの叫び声が響いた。
ブシュッと音がしたかと思うと、グレゴリーに刺さった矢が抜かれている。
血が噴き出し、助からないことを本能的に理解してしまった。
「グレゴリー! グレゴリーーッ!!」
「大丈夫です!!」
エリーゼの頼もしい言葉。だが、このままでは……
その瞬間、エリーゼの体が青白い光に包まれた。そして光は、グレゴリーの胸へと覆いかぶさっていく。
これは……聖女の治癒だ。
何度か剣術の稽古で怪我をした時に、エレシアから受けたことがある。
百年に一度しか現れないと言われる聖女が、同時に二人も存在していたとは……!
「う、はぁ、はぁ……!」
「治ったのか!?」
「ここまで重症だと、すぐには全快しません!」
聖女の治癒も万能じゃない。
すでに息を引き取った場合は傷を治しても戻ってはこないし、重症の場合は完治まで何日もかかる。
「グレゴリーを連れて逃げろ、エリーゼ!!」
「歩けますか、グレゴリー様!」
「な、なんとか……」
護衛騎士がエリーゼとグレゴリーを守りながら後退していく。
その間俺たちは時間を稼ぎ、十分だと判断した時点で俺たちも離脱した。
結果は大敗だった。
多くの仲間が死んだ。
だがこれだけの被害で済んだのは、グレゴリーたちがあのとき森にまで入り、敵を見つけたからだった。
本当は寝入ったところで夜襲を仕掛けるつもりだったんだろう。そうすれば、全滅に近いくらいの被害が出ていたに違いない。
グレゴリーが、ジェイムズが、ランソンが……そしてエリーゼが生きていてくれたことにホッとする。と同時に、みんないなくなっていたのかもしれないと思うとゾッとした。
前線基地は放棄し、後退せざるを得なかった。
兵站線は維持しているものの、ここに元と同じような露営は築けない。ほとんどの物を置き去りに逃げ出したんだ。物資が圧倒的に足りない。
どうするべきかを上官たちが話し合っている。
援軍の要請をしても、そうすぐには来ないだろう。追撃されたら俺たちは終わる。
夜襲が成功しなかった分、あちらにも被害が出ているだろうから、そうすぐには来られないと思うが。
空が、少しずつ白み始めた。
みんな一睡もできずに、疲れ切った顔をしている。
俺にできることはなんだ?
考えろ。
俺は曲がりなりにも王族だ。
みんなを救う手立てが、必ずあるはずなんだ……!!
仮設テントから、ふらふらとしながらエリーゼが出てきた。
夜通し治癒をおこなっていたのだから、倒れてもおかしくはない。
「少し休んだ方がいい、エリーゼ」
「そういうわけには……」
「君に倒れられると、次に奇襲にあった時には持たなくなる」
「……はい、お心遣いありがとうございます」
そう言いながら、エリーゼは休まなかった。
休む気持ちになれないんだろう。
エリーゼを……みんなを守りたい。
もう仲間を失いたくない。
そう強く願ったとき、一つの方法が頭を掠め、俺は上官たちに近寄った。
「俺がバーソル族と交渉してこよう」
王族面が気に入らなかったのか、明らかに嫌な顔をされる。
「なにをどう交渉するつもりだ?」
「相手の条件はできる限り呑む」
「勝手にそんなことが……まずは国王様にお伺いを立てなければ」
「必要ない。俺は父上に、紛争を終わらせるために動けという書面を頂いている。俺のやることは、陛下のお考えだと思え」
父上のサインの入った書面を見せると、上官は態度を変えて俺に敬礼をした。
「わかりました。仰せのままに」
今から王都へ連絡を取り、父上の承諾を待ってなどいられない。
今ここにいる王族は俺一人だ。
絶対になんとかしてみせる。エリーゼを、グレゴリーを、みんなを、無事に故郷に帰らせてみせる。
そのためなら、俺は──
「クラッティ……お前、なにする……つもりだ……」
腰の剣を外している俺を見て、グレゴリーが苦しそうに声を上げた。
「敵地に交渉に行ってくる」
「え!?」
声を上げたのは、グレゴリーを治癒しているエリーゼだ。
「丸腰で……行く気か……」
「交渉の場に剣は持っていけない」
「殺されに……行くような……もんだ………」
「そうかもしれない」
死に役というのは理解している。
うまくいく保証はない。殺されるだけならまだしも、捕虜になる可能性だって十分にある。
その時には王家に伝わる毒を飲んで、潔く死ななければならない。
「どう、して……」
「長い紛争で、こっちが疲弊しているのと同じように、あっちも疲弊しているはずだ。国力としてはノヴェリア王国の方が高く、むしろあちらの方が反撃に怯えているはず。交渉の余地はある」
「っく、俺が……一緒に……」
「いい、一人の方が身軽だ。気持ちだけもらっておくよ、グレゴリー。ありがとう」
死ぬならば俺一人でいい。余計なお供は連れて行かない。
「クラッティ様……」
「エリーゼ、グレゴリーを頼む」
「……はい……っ」
なぜか泣きそうになっているエリーゼを置いて、俺は仮のキャンプ地を出ると、元の前線基地へと向かった。
手を上げて敵意のないことを示すと、敵兵に身体検査をされて中へと連れられる。
バーソル族のリーダーだという人物の前に連れて行かれて、俺は無事に交渉の席に着くことができた。
俺はまず、ノヴェリア王国の王子であり、紛争を終わらせたい旨を伝えた。
元々この紛争は、民族間での摩擦が原因だ。
相手の要求は、ノヴェリア王国からの独立を認めること。同じバーソル族のいる国土を明け渡すこと。
地図に線を引かれ、五十七地区ある国土のうち、三地区分を持って行く気かと歯噛みした。だが、たしかに彼らの民族はその地域にまで及んでいる。
その昔、ノヴェリア王国がバーソル族を支配し取り込んだ分を、彼らは取り戻そうとしているだけだ。
俺がそれでかまわないと答えると、逆に驚かれて本当かと念を押されてしまった。
そのかわり、俺も条件をつけた。
今後はお互いに侵略しない、未来永劫続く不可侵条約を締結させること。
そして友好関係を築いていきたいと提案した。
不可侵条約に関しては合意してくれたが、友好関係を築けるかどうかはそちら次第だと渋い顔をされた。
だがそこまで絶望的な態度でなかったことに少し安堵する。
ノヴェリア王国にしてもバーソル族にしても、すぐに友好国になるのは無理な話だろう。
しかしこちら次第という言葉が聞けただけで十分だ。未来には可能性がある。
殺し合いをした分、恨みが積もりに積もっているので難しくはあるが、少しずつ融解していけばいいのだから。
とりあえずは二週間の休戦協定を結べた。
今追撃すれば全滅させられるのに、相手に回復や反撃の準備時間を与えるだけだというバーソル族もいた。もっともだと思う。
けれどバーソル族のリーダーは、その男を退けてくれた。
必ず今の条件で、ノヴェリア王国とバーソル民族との間で和平条約の締結式を行うと約束を交わした。
俺はどうやらバーソル族のリーダーに気に入られたらしい。
最後には「よろしく頼む」と握手を求められて、俺は握り返した。
彼が話の分かる男で本当に良かった。さすがひとつの民族を率いるリーダーだ。
俺も彼を見習いたい。
基地を出ると、和平の道を拒む者からの暗殺に気をつけながら、仲間の元へと急いだ。
「クラッティ!」
「クラッティ様!!」
俺の帰還を、仲間が喜んで迎えてくれる。
みんなの顔を見るとホッとして泣きそうになってしまったが、恥ずかしいのでグッと我慢した。
「ご無事で……ご無事で、本当に良かったです……!!」
「エリーゼ……」
ぼろぼろと涙を流すエリーゼに、俺は思わず手を頭に置く。
俺なんかのためにこんなに泣いてくれている。
なんて愛おしいんだ。
俺はなんでこんなに嬉しくて……そして悲しいんだ。
「クラッティ、様……っ」
わっと泣きながらエリーゼが俺に抱きついてくる。うわ、どうしよう。
ジェイムズとランソン、それにグレゴリーもニヤニヤしながら俺たちを見ている。
やめてくれ、反応に困る。
「えっと、エリーゼ……」
「あ、申し訳ございません……嬉しくて……っ」
パッと離れたエリーゼの目には、まだ涙がキラキラ流れ落ちていて。
その美しさに、思わず見入ってしまいそうになった。
「すまない……みんなに報告させてほしい」
そう言うと、エリーゼは恥ずかしそうに俺から離れる。名残惜しそうにも見えたのは、俺だけだろうか。
俺はみんなを集め、バーソル族との交渉であったことを話した。
ざわっと声が上がり、隣にいる者たちと目を合わせている。
「二週間、戦わずにすむのか!」
「いや、その先も……!?」
戦闘が終わる喜びと驚きで、みんな動揺しているようだ。
「この条件で陛下を必ず説得し、和平への道を選んでもらう。大丈夫だ」
俺は自分に言い聞かせるように言った。父上の反対にあえば、この話はすべて立ち消えてしまう。
休戦協定が明ける二週間後、また戦闘が繰り広げられることになるだろう。それだけは、絶対に阻止する。
「そんなの……国を売ってるだけだろ……!」
仲間のうちの一人から、そんな声が上がった。鋭い目つきで、突き刺すように俺を見ている。
「仲間が……!! あんなに死んでいったっていうのに! 国を明け渡して終わりにする?! じゃああいつらは、なんのために戦って死んでいったんだ!! お前はただの売国奴じゃないか!!」
男の叫びに、グレゴリーが「なんだと……」と痛む体を抑えて立ち上がっている。
「クラッティがようやく決着をつけてくれるんだろうが! お前はこのまま仲間が死に続けてもいいと──」
「やめろ、グレゴリー」
俺が止めると、グレゴリーは納得いかないという顔で振り返る。
「だけどよ……!」
「いい。売国奴となるのも、筋書き通りだ」
「……なに言ってんだ、お前……」
本当は黙っておこうと思っていたが、こうなっては言わないわけにはいかない。
俺は仕方なく口を開いた。
「俺は紛争を終わらせるために国土を売った。これは俺の独断であり、いくら第一王子だからと言って許されることじゃない」
おそらく、父上はこれを目論んでいたんだろう。
王子である俺が勝手に条約を締結し、紛争を終結させる。国土の三地区分を失ったことへの国民の怒り。その矛先を俺にすることで、売国奴として処刑し収束させるという筋書き。
「クラッティ、お前…………王子だったのか!」
そこか、グレゴリー。
「いや、ちょっと待て。それじゃあお前は……売国奴として処刑……?」
脳が筋肉でできているのに、よく気づいたなと体の大きなグレゴリーを見上げる。
何故だか少し笑ってしまうと、グレゴリーは逆に顔を歪ませた。
「そんな、そんなわけあるかよ……!! お前は、クラッティは、この紛争に終止符を打つ英雄じゃねぇか……! それなのに……!!」
「誰かがこの紛争に対する責任を取らなきゃいけないんだ」
「お前が望んで紛争を始めたわけじゃないだろう!?」
「国土を売った俺が適任なんだ。俺が処刑されれば、遺族の溜飲は下げられる」
「そんな、そん……っ!!」
グレゴリーは言葉を詰まらせて、大粒の涙を驚くほど流れさせ始めた。
ありがたい。俺のためにこうして涙してくれる人が……友が、ここにいることが。
「俺がここに来たとき、真っ先に話しかけてくれて嬉しかったよ。俺は今まで、友人と呼べる者がいなかったから」
「ばかやろう、友人なんかじゃねぇ……っ」
グレゴリーの言葉に、胸がズキリと痛む。
なんだ、そうか。俺が勝手に友と思っていただけで、グレゴリーにとっては──
「俺とお前は、親友だろうが……!!」
照れることなく放たれた言葉。俺は……
「なんだよ、泣かせるなよ……っ」
ぐしっと情けなく袖で涙を拭う。
こんなみっともない姿、見せたくなかったのに。
「死ぬなよ、親友……!」
グレゴリーの言葉が胸に沁み込んでくる。
そんな涙と鼻水だらけの顔をして……汚いんだよ……
「う、う……うああああっ!!」
俺は耐えきれず、子どものようにわんわんと大声を上げて泣いてしまった。
死にたくない。強がっていたって、本当はめちゃくちゃ怖い。
首にガシッと手を回されて、グレゴリーと一緒に大泣きをする。
ジェイムズも、ランソンも、エリーゼも。他の仲間たちも。
次々に俺を囲んで、俺のために泣いてくれた。
さっき、売国奴と俺を罵った奴も。俺に死んでほしいと思って言ったわけじゃなかったんだ。
泣き叫ぶ俺たちに注がれる、暖かな陽光。
空高く舞い上がる鳥たちは、おいおいと泣く俺たちに不思議そうな視線を向けながら、風を切って飛んでいく。
俺はかつて、死んで喜ぶ者がいても、悲しんでくれる人は誰もいないと思っていた。
だけど今は違う。
こんなにも多くの仲間が、死んでほしくないと願ってくれているんだ。
だからこそ、俺は……みんなに生きてほしい。
俺一人の死でみんなが幸せに暮らせるなら……俺は、それでいい。
やがて俺と……みんなの泣き声が落ち着き、少し冷静になると王都帰還部隊を編成した。
全員を帰還させるわけにはいかない。もしも父上を説得できなかった場合に備えて、ある程度は人を残しておかなければいけなかった。
怪我の少ない騎士と炊事部隊にはこのままとどまってもらい、怪我人と医療部隊とその護衛。あとは元気な騎士数名も護衛として一緒に帰還することになった。
王都に帰還する間中、俺たちは笑っていた。
エリーゼも、グレゴリーも、ジェイムズも、ランソンも。
世の中にはこんなに楽しい時間があったのだということを、生まれて初めて知った。
だけどこれが最後になるのかと思うと、涙が滲んできそうで。
俺はそれを誤魔化すために、グレゴリーをこれでもかとからかって笑った。
そんな楽しい時間はあっという間に過ぎる。
俺は、一緒にいた仲間と別れ、父上に会いに行かなければならない。
久しぶりの王城に入ると、身を清めさせられた。
謁見用の服を着て、待たされること二時間。
俺は国王陛下である父上と再会した。
顔を見るのは、紛争地への出征を言い渡されて以来だ。
俺はことの成り行きをすべて隠さず話した。
国土を明け渡す約束を取り付けた。これで紛争は終わると。
どうかこれで戦闘は終わらせ、和平条約の締結へと動いてほしいと懇願した。
「確かにこれで紛争は終結するが……あれだけの国土を失うか……痛いな」
「責任を取る覚悟はできています」
情けないことに、言葉にしながら声が震えている。
断頭台を思い浮かべて、ぶるっと体に怖気が走った。
俺の命は、残りわずかだ。
そう思うと、たくさんのことが脳裏をよぎった。
グレゴリーたちと笑いながら過ごしたこの数日。
可能なら、死ぬ前にもう一度会って、美味しい店に連れて行ってやりたい。
エリーゼ……笑った顔が、嬉しそうな顔が愛おしかった。
もっと笑わせたかった。ずっと一緒にいたかった。抱きしめられたとき、抱きしめ返せばよかった。
死ぬ前に、一目でいいから顔を見たいよ。
そしてエレシア。
謝りに行かなきゃな。
手紙をありがとうと伝えたい。
あの手紙は俺の宝物だったと。
何度もエレシアの名前を呼んで、あの手紙に勇気をもらっていたんだと。
会ってくれるだろうか。
あんな酷いことをして傷つけた、この俺に。
「責任は取ってもらう。それは王族としての使命だ」
父上の声がして、俺はゴクッと唾をのんだ。
処刑を言い渡される……そう思った瞬間、父上は誰かを入室させた。
「これ、ここへ」
「はい、陛下」
透き通るような美しい声に、俺は目を広げる。
流れるような栗色の髪。しなやかに伸びる手足に、優しい瞳。
「ど、どうしてここに……」
俺は思わず声を上げた。
さっき一目見たいと願っていたエリーゼが、目の前にいる。
「聖女なのだから当然だろう」
父上は、なにを言っているのかと言わんばかりに顔を顰めている。
「そ、そうですが……聖女が二人もいれば、王城に混乱をきたすのでは……!」
「なにを言っている。彼女がエレシア・ニンフリバーではないか」
「……え?」
俺はもう一度彼女に目を向ける。
いや、どう見てもエリーゼなんだが……!
「まぁ、お前がいなくなってからエレシアは、急に成長を始めたからな。驚くのも無理はない」
「急に……成長を……?」
「上から抑えつける者がいなくなり、精神的にも解放されたからではないか?」
「……」
なんてことだ。エレシアが成長しなかったのは、俺のせいだったらしい。
というか……本当にエリーゼがエレシアなのか……!
「陛下、お言葉ですが私はメディオクラテス様に抑えつけられてなどは……私がメディオクラテス様の前で、勝手に萎縮してしまっていただけなのです」
「そうか、そういうことにしておいてやろう」
俺のことをクラッティと呼ばず、メディオクラテスと呼ぶエリーゼ……いや、エレシア。
本当に、同一人物だったのか……。
「全然、気づかなかった……」
「ふふ、そうだと思いました」
「俺がポンコツだからか?」
「メディオクラテス様のそういうところが、魅力だと思っております」
ポンコツを褒められてもな……釈然としないんだが。
「どうして戦場に来た時、偽名を使った?」
「私の名は聖女として知られてしまっています。もし戦場に聖女がいると噂になれば、私は敵に攫われる危険もありました」
「それで偽名を……いや、そもそも聖女は戦場には来てはいけないだろう! 国の宝である聖女があんな危険なところに行くなんて、どうして……!」
「どうしてもメディオクラテス様のお役に立ちたかったのです……! 迷惑、でしたでしょうか……」
「どうして俺に、そこまで……」
エレシアは俺を見ると、天使のような微笑みを見せながら言った。
「メディオクラテス様を、お慕いしているからです」
理解不能な言葉。慕う? 俺を?
「政略結婚でしたが……私は、メディオクラテス様のちょっとうっかりしたところや、それを補おうと努力されている姿が好きでした。本当は卑屈なのに、それを隠すように横柄に振る舞おうとする姿も、なんだかかわいらしくて……」
「……え、俺、卑屈?」
「卑屈だな」
「卑屈でしたわ」
エレシアと父上、二人に突っ込まれてしまった。
知らなかった、俺、卑屈だったのか!!
「お前は学問も剣術も上位クラスにできるというのに、トップと比べてできぬできぬとウジウジしておったろう」
「それに被害妄想も少々おありで……誰もメディオクラテス様のこと、無能だなんて思っていませんわよ? ちょっとうっかりさんだなとは思っていますでしょうけれど」
どうしよう、恥ずかしくて消えてしまいたい。
すべて俺の被害妄想だったとか……!!
しかも五歳も下のエレシアにかわいいと思われていたとか……ああ、叫びたい。
「さて、これでわかっただろう」
「なにがですか、父上」
「……そういう察しの悪いところがポンコツなんだがな。まぁ、それもお前の個性だ。かまわん」
首を捻る俺に向かって、父上は言葉を放った。
「先ほどの責任を取ると言った言葉に嘘はないな」
ガチンと体が硬直する。
ああ、とうとうか。とうとう処刑を言い渡されてしまう。
俺の声は出てこず、仕方なく首肯した。
「メディオクラテス。お前は王太子としてエレシアと結婚するのだ」
「……え?」
「国家の安寧を保つため、二人で協力しあい、全力を傾けよ。それがそなたの取るべき責任である」
続けられた予想外の言葉に、俺の目は今までになく広げられていたと思う。
「しょ、処刑は……」
「死なせるより生かした方が、お前は使い道がある」
いや言い方。
「俺を死なせるために紛争地帯に行かせたのでは……」
「お前の剣術を見ていれば、そうそう死なんのはわかる。それに紛争問題もお前ならばなんとかできるかもしれんという目算はあった。わしは立場上、国土を簡単には手放せんからな」
父上は国土を簡単には手放せないと、思ってはいたが……。
なんだ。俺は、父上に信頼されていたのか……。
「しかし、王太子とは……俺はもう王位継承権は剥奪されていて」
「継承権を譲渡したいと申し出る者がおった」
父上が合図をすると、今度は俺の弟……第二王子が入ってくる。
「やっほー、兄貴ぃ!」
「イグナティウスグリム……どうして、お前……」
「俺、継承権とかマジいらねぇし? 兄貴が王様になってくれるもんだと思ってなんにもやってないし? 兄貴が継承権を剥奪されたって聞いて、マジ焦るし。俺の継承権、もらってくれよな!」
「俺よりもイグナティウスグリムの方がよっぽど社交的で、見目も素晴らしいじゃないか! 俺なんかよりもよっぽど王としての威厳が兼ね備えられていて、俺なんか足元にも……っ」
「出たよ兄貴の卑屈」
「出たな」
「出ましたわね」
「え、今の卑屈?!」
三人にこっくりと頷かれてしまった。
どうなっている。
「はぁ。あのなー、兄貴も華があるってもんよ? 社交性? 兄貴も十分やれてるっしょ! 威厳は絶対兄貴の方が出るし!」
「そうだな」
「そうですわね」
「ぐさ! ちょっと傷つくぅ!」
自分で擬音を放ちながら、それでも笑っているイグナティウスグリム。
俺はこんな明るい弟に憧れて……でもどれだけ頑張ってもなれなくて。そして卑屈になってしまっていただけなのか。
「じゃあ俺は……」
「今言った通りだ。王太子となり、エレシアと結婚してもらう。それが聖女エレシアの望みでもある」
「エレシア……」
頬を染めるエレシア。俺はゆっくりと彼女の前へと歩みを進めた。
ああ、ずっと会いたかったエレシア。エリーゼとしてそばにいたとは、思いもしていなかったけれど。
俺は彼女に伝えなきゃいけないことがある。
「ごめん、エレシア……」
「メディオクラテス様?」
「今までひどいことをして……くだらない嫉妬をして、君を傷つけて……本当に申し訳なかったと思っている……!!」
俺の謝罪を聞いて、目の前の聖女は女神のように微笑んだ。
「大丈夫です。あの時は悲しかったけれど……そんな風に流されてしまう残念なメディオクラテス様も、私、大好きなんです」
「エレシア……」
ごめん、ちょっと喜べないけど……。
でも、そんな俺の短所まで好きと言ってくれるエレシアを……間違いなく、愛おしく感じる。
「ありがとう、エレシア……それはそれとして、君」
「なんでしょう?」
「俺が処刑されないこと、知ってたよな?」
「あら……気づかれました?」
ふふっと笑うエレシア。
やっぱり知ってたのか! そうだよな!
「ど、どうして処刑されないって教えてくれなかったんだ……!」
「いえ、言おう言おうと思っていたのですが……それはもう、皆さん大盛り上がりをされていましたので、タイミングが……」
「エレシアも大泣きしていなかったか?!」
「私も思わずもらい泣きを……」
「っく、かわいいから許す……っ」
処刑を覚悟したこの数日間の苦しみが、全部浄化されるような聖女エレシアの笑顔。
ああ、これが真実の愛……ってやつなのかもしれない。
「エレシア」
「はい」
「今までつらく当たった分、俺は君を愛するよ。もう俺の胸の中では、君への愛が溢れて止まらないんだ」
「メディオクラテス様……」
「クラッティと呼んでくれないか。親しみを込めてもらえるようで、嬉しいんだ」
「はい……クラッティ様……!」
クラッティと呼ばれると、さらに胸が熱くなるようで。
「絶対絶対、大事にする……もう一度俺と、婚約者からやり直してほしい……!」
俺がエレシアに懇願すると、エレシアは「はい!」と聖女の光を放つような笑顔を見せてくれた。
もう二度とエレシアにあんな悲しい顔はさせないと。
俺は膝をついて、聖女の手の甲にキスをした。
あとで聞いた話だが、レイラは婚約した男に「真実の愛を見つけた」と言われこっぴどく振られて、未だ独身らしかった。
まぁどうでもいい話だったが。
***
バーソル族とノヴェリアの民が見守る中、俺は和平条約にサインをし、バーソル族のリーダーと握手を交わした。
和平条約の締結式だ。
そこには聖女エレシアもいる。
グレゴリーとジェイムズ、ランソンも。
処刑されないと伝えた時、三人は笑いながら怒っていた。そして泣いていた。
俺は、幸せな男だ。
心からそう思う。
「よかったなぁ、クラッティ! 無事に締結式が終わってよ!」
グレゴリーたちは、俺が王子だとわかった今も、変わりなく話してくれる。それが何より嬉しい。
隣にはエレシアが寄り添ってくれている。
「みんなのおかげだ。みんなが俺を支えてくれたから……守りたいと思える仲間に出会えたから……」
俺が声を詰まらせると、グレゴリーが「泣き虫め!」と俺のセットされた髪をぐちゃぐちゃにする。
ジェイムズとランソンが便乗し、それを見てエレシアが楽しそうに笑った。
俺はこの平和を維持するために、全力を傾けるだろう。
大切な友と、愛する人を守るために。
ポンコツな俺を、みんなが助けてくれるから──
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