アンボセリの夜
「バチン!」暖炉にくべられた薪が大きな音を立てて爆ぜる。炎がアンボセリ国立公園のガイド、カリイの顔を照らし彫りの深い顔を陰影鮮やかに浮かび上がらせた。
「昔は、ずっと昔は君の国も俺の国も同じように炎で暖を取り、肉を焼いていた。いつから、そして何故こんなに差がついてしまったのだろうか…」彼は大きなため息をついた。日中公園内の動物達をランドクルーザで追い、冗談と身振り手振りで彼らの生態を詳しく教えてくれる彼とはまるで別人のようだった。ゆっくりと抑揚のない口調は彼の悲しみが深いことを示している。僕は後悔した。
きっかけはキリマンジャロと富士山の自慢合戦だった。そこからマラソンは我々の独壇場だ、短距離は日本の方が強い。ブーゲンビリアの花の美しさは世界一だ、周りの風景と一体となった桜の散り際の儚さといったら…。僕のiPadにある写真をめくり、ケニア産のタスカービールを何本も空けながら互いのお国自慢に花が咲いた。
ところが新宿や丸の内の高層ビル街で彼の手は止まってしまった。暫く黙り込み、ようやく口にしたのが冒頭の台詞だった。
僕は言葉を探した。真っ先に浮かんだのは「すまない」という謝罪だったが口にするのは憚られた。それは彼と彼の愛するケニアという国を傷つけること思ったからだ。会話は途切れ僕達は黙ってグラスを傾けた。
炎が立ち上がる力を失った頃、彼は「俺の生きているうちは無理だろうが息子が大きくなる頃になれば…。おやすみ」と言いその場を離れた。僕は暫くの間炭化した薪から上る煙をじっと見続けた。
旅の最終日、空港で自分の双眼鏡を指差す彼に「息子さんに。彼は君が見て僕が見られない風景も、その逆も両方見られるよ。その役に立ててくれると嬉しい」と言って双眼鏡を押し付けた。彼は笑顔で受け取ってくれた。
「さようなら」
「お元気で」
ナイロビの空港は小さく飛行機の窓から彼が手を振ってくれているのが見えた。
「お元気で」僕はもう一度、心の中で呟いた。