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真昼のトウキョウ

 次元連結カタパルトの逆探知は出来ず、そこから現れた黒いステゴロオーの行方は不明となった。

 一号再来という災いの日に起きた更なる災い、一連の事件を計画戦闘都市トウキョウを運用する防衛機構タカアマノハラは不明の次元連結カタパルト接続から始まった“次元連結事変”と呼称。

 黒いステゴロオーをテオドール二号とし、続いて現出した特殊戦闘機からなる三機編隊の戦隊をそれぞれ赤い三号、青い四号、黄色い五号と認定。敵性と見なした。


 そして同じようにカタパルトから出現した二機の不明機であるが、これはそれを操っていたと思われる所属不明者の供述によりテオドールとはまた別の存在である事が判明され、解析に於いても同様の結果が示されたために~号との呼称対象から除外。

 そして彼女らからの証言により機体はそれぞれ金銀の機体を“機身騎士(ブレイバー)”、純白の機体を“キャヴァリエ”と判明。これらもまた全く別の存在である事が分かった。


 それから戦闘にて損傷したとされるステゴロオーことハマノタケキイクサノカミであるが、被害は軽微。機体に搭載されているナノマシーンにより修復が可能だとのことで現在はトウキョウ所有の次元連結カタパルト内に格納されている。

 負傷し、意識不明とされたパイロット、道明寺落雁であるが――


「……見てるだけで太りそー」

「食わなきゃ痩せる一方だぜ。オレはやせっぽちで枯れ木みたいな女は好きじゃねえからな」

「おあいにく様~、アタシはアンタに好かれたいなんてこれっぽっちも思ってないから~」

「つれねえな、ぶっちゃけ好みだわ」

「貴様このバカたわけがっ」

「イデェエデデデッ!?」


 そこは特殊兵装運用要員兵舎の共同食堂。

 現状数名しかそこに配属されているものはいないので規模は小さく設備も並みで、出てくる料理も到って普通である。

 一応衛生管理は当然、使われている食材、作られる料理の栄養面などちゃんとした管理がなされているものの防衛軍の他所の兵舎の方がよっぽど規模も大きく設備や出てくる料理の質は高い。


 ここに送られてくるのはつまりワケありの存在なワケであるが、元死者にして超弩級の兵器“ハマノタケキイクサノカミ”を運用できる“唯一”の存在である道明寺落雁がそうだ。


 彼は結局打ち身などステゴロオーからの影響による負傷こそあれどいずれも軽傷で重症はなく、先の戦闘で意識を失ったのもあくまでステゴロオー運用の疲労が極限に達したことで起きた失神――つまり“寝落ち”だったらしい。


 現在の彼の超人的身体能力により怪我はほぼ完治し、疲労も充分な睡眠を経て、そして今彼が目の前にしている山盛り山積みで大量の料理たちにより復調傾向にあった。

 それらを次々に口の放り込み、咀嚼して喉へと通し、胃へと落として皿を空けて行く落雁を呆れた顔で見ているのは金髪碧眼をした少女――フレア。


 彼女は暴飲暴食を行う落雁と、しかしどうやらある程度打ち解けているのか言葉を交わす。

 彼女の手元にあるのはサラダとパスタがそれぞれ乗ったトレイのみ。落雁の食べる量と比較すれば余りに微々たるものに過ぎず、戦うのにそんなことで力が出るのかという彼の言葉が発端であった。


 ――が、問題はそこではない。

 突如として落雁の背後に飛び付いたのは鹿子であった。

 彼女はリーゼントの代わりに落雁がしているちょんまげを鷲掴みにするとそれを力強く引っ張り彼の首を強引に上向かせる。

 落雁が上げた悲鳴の原因だ。


「ダァアッ!? 何しやがるこの、クソババアッ」

「どうして其方は妾というものが在りながら他の女子などに色目を使うのじゃ!? 妾の何が不満だというのじゃ!? 細いからか!? 細いからなのかっ!? 乳だけでは不満なのかっ!?」

「イテェんだっつの! オレはまともな女が好きなんだっ」

「妾とてまともじゃろう!? そこな女子に比べればよっぽどまともであろう!? 髪だって黒いし、妾は日の本の――」

「ウゥゥッゼェッ! そういうとこがまともじゃねえってんだ! ンだよワラワって、ノジャって、ヒノモトってェ!? そんなうさんくせえ言葉喋るのなんざちゃんちゃらおかしいってんだ。比べりゃフレアのがずっとましだわっ」

「そんなこと言っちゃ嫌じゃあ~っ」


 びぇぇぇんと遂にはおいおい泣き出した鹿子は落雁のちょんまげこそ手放すが、代わりとして彼の頭へと飛び付きその顔面を両手と足で覆ってしまう。

 急に重くなった頭と閉ざされた視界に、それが鹿子の仕業と分かっていて更に怒りを露わにする落雁。


 二人の口論を前に呆れ返る所も極限に達し、疲れさえ覚えたような気がしたフレアはハイハイご勝手にと見切りを付けて、そんな騒がしい二人の隣でよくも平然としていられるものだとコウタに声を掛けた。


 コウタとは純白の機体に乗っていた少年であり、彼もまた金髪碧眼をしているがフレアとの接点は皆無だ。そもそも金髪碧眼と一括りにしたがフレアの瞳が緑を示す“碧”なのに対し、コウタのそれは正真正銘の青を指す“碧”だ。


「……え? ってうわっ!? え、えっ? ラクさんたちどうしたんです、コレ」

「はぁ……アンタも大概ね。そんなケータイが嬉しいワケ?」


 どうやら平然としてたわけではなく、二人が陥る事態に気が付いていなかっただけのコウタ。

 彼はずっと注視していたスマートフォンから目を離すと隣で起きている惨事に椅子から立ち上がってしまうほどに驚愕し、彼らを指さしながらフレアに訊ねる始末であった。


 そんな彼にすら呆れなければならなくなったフレアは遂に溜め息を落としながら、コウタがずっと夢中になっている携帯端末を彼女は自らが着ている若草色のジャージのポケットから取り出すして軽く振りながら示す。

 どうやら一応浮世離れしているフレアもスマートフォンは特別珍しいものではないらしい。


 彼女の指摘にコウタは苦笑を浮かべると頬を僅かに赤く染めながら言うのだった。


「いやァ……ボクって所謂“異世界転生”して地球というか、現実とは違う世界で過ごしてきたんです。だからこうして、僕の知ってる東京とは少し違うけど現実らしい世界にやって来てケータイ触って、インターネットとかするとえらく感動しちゃって」

「ふーぅん……イマドキ男子なワケね」

「うーん、それ、ちょっと違う気がするけど……でも嬉しくて」

「良いことじゃない、ケータイ如きで感動できるなんて羨ましいわ」


 ですよね――どうやら落雁すらこの世界の人間でありながら何処か人と違う様相がある中で、結局フレアが一番現地人らしい反応でいることにコウタは愕然としつつ彼女の皮肉にはしかし返す言葉も無かった。

 コウタはこの場に居る三人をそれぞれ見ると、とんでもないことになったのだなと改めて思うのだった。

 それは現在の状況もそうであるし、自分にとってもはやここが現実ではないと思い知らされたからでもあった。


「だからコウタって如何にも日本人な名前なワケかよ。日本生まれのアメリカ人かと思ってたぜ」

「日本生まれの日本人だよ、前世はね」

「おいコラ、ババア! よく見やがれ、こーゆーのがフツーの日本人ってんだよっ」

「転生だの前世だの言っとる金糸頭の如何なるが日の本の男子(おのこ)だと言うのじゃ!? こんなのとなら妾のがやっぱりまともではないかあっ」

「オレたち日本人はサベツしねえんだよ! やっぱりテメェはまともじゃねえっ」

「キィィイ~ッ! 妾を愚弄するかァッ! ばかっ、ラクのばかっ! 大ばかうつけの薄情者お~~っ」


 その金糸頭と結婚してしまえ――それはもう滝のように涙しながらそう吐き捨て落雁の頭から飛び退く鹿子。

 報復しようと自由になった落雁が席を立った時にはもう彼女は食堂を出て行ってしまっていて、やり場のない怒りだけを残した落雁は両手の指をわなわなと震わせるともはや箸も使わず獣の様に残る料理を食してその怒りを発散する。


「食べものに当たるとかバチ当たりね」

「……フレアさん、あなた本当に外国人……?」

「正確には異星人ね」

「え……?」


 餌を横取りされそうな猫のように唸り声を上げながら暴飲暴食を再開した落雁を呆れた眼差しで見るフレアと唖然とするばかりのコウタ。

 すると落雁の今の様子を見てぽつり呟いたフレアの実に日本人な台詞にコウタがつい思った事を口にしてしまう。

 そして互いを見合った二人。それから飛び出したフレアの更なる暴露にコウタは開いた口が塞がらなくなるのだった。



 計画戦闘都市トウキョウ――そこは人類とテオドールによる、人智を超えた戦争を行うための戦場である。

 つまりそれは戦い、破壊される事を前提としているのだ。

 一般市民のシェルターへの退避は迅速、遠隔無人で要塞として運用されるトウキョウの建物たちはその地下に無数の予備を備えている。


 荒れた街並は瓦礫や廃墟を撤去し、地下から失われた建造物の予備を補充。展開していた道路や建造物を元の形態へと戻すことであっと言う間に元通りになってしまう。

 それを寂しく思うのは、姿形こそ元通りでも、そこに詰まった思い出までは元に戻らないからだろうか。


 しかしそれでも人々は日々を生きる。

 空っぽの街に住み、見えない明日に向けて歩を進める。

 待ち受けるものがなんであれ、生きるとはそう云う事だから。

 一時のものであっても取り戻された平穏を生きて行く。


「ふぐぅぅ……あんまりじゃ、あんまりすぎるのじゃ、ラクゥ」


 そんな健気にも生命という歩みを進める人々の中を彼女もまた、めそめそとぐずりながらも歩いていた。

 黒髪に和服とそこ前では“らしい”といえる様子。しかしそれらから覗く肌は褐色で、そのせいかどうにもちぐはぐ。

 “かぶれ”と通り掛かる人々に思わせる何かがあった。


 落雁と喧嘩別れし、食堂を飛び出した勢いで兵舎からも飛び出した鹿子は一人、休日のトウキョウを歩く。

 涙する彼女を人々は気にはしつつもワケを訊いたりしない。

 罠かもしれないし、面倒ごとかもしれない。


「薄情者、ラクの薄情者ォ……」


 それを薄情と思うのは当然のことだ。

 しかし人は皆一人。いつだって自分にしか分からない困難に突き当たり、それと立ち向かいながら必死に生きている。

 だからそんな時に更なる困難に対処する余裕は無いのだ。

 故に、自ら問題を招き寄せるような真似はしない。

 人が持てる賢しさとは、そういうものなのだ。


「何故じゃ、なぜ妾にもっと優しくしてくれぬのじゃあ~~っ」


 あるいは、人目を憚らず声を上げて泣く鹿子。彼女がもっと幼い子供であれば人は手を差し伸べてくれるのかもしれない。

 賢しさを越える優しさは母性である。そして母性はその両腕で覆い隠すことが出来て、そして壊すことが出来るほど小さく弱い存在にこそ発揮される。男女関係なくに、だ。


 しかしお生憎様。

 鹿子は確かに人の感覚からすれば美しいし愛らしくもあるのだろうが、子供と言うには些か過ぎていた。


「第一、第一何故にババアなどと……戦い以外でも名前で呼んでたもれえーっ」


 無論、年寄りと呼ばれるほどに過ぎてはいない。それでも、子供ではない。中身は兎も角として。

 今の彼女を見る人は思うことだろう。


 ――きっと関わってはいけない、地雷のような女だ。


 喋り方さえまともならとか、かぶれ感が無ければとかそう云うのではなく、賢しさが警告するのである。

 関わってはならない、きっと後悔するぞと。


 欲求を伝える本人が居ないために、清々しく澄み渡る青に輝く空を見上げながら、その広大で雄大なる無限の空に彼女は鼻水なんか出して想いを叫ぶ。


 空に賢しさは無い。しかし、そこには母性もまた無い。

 星と共に生命の誕生と成長を見守り続けてきた如何な大空と云えども、その心を癒す術は持たない。


 ……だが、人は賢しさを越えるものをもう一つ持っている。


 それはあまりにも原始的で、野性的で、獣性に過ぎる。

 しかしそれは生命の起源であり、人が所詮は母なる大地の背に縋り付く一つの獣に過ぎない証拠でもある。

 人は賢しさを身に付けたが、失ったものは何も無いのだ。

 ただ、賢しさとかモラルで覆い隠しているだけであって、獣の一つに過ぎない人にもそれはしっかりと備わっている。


 けれども多くの人がそれを汚らわしいと感じるのはそれが賢しいからであり、そして賢しさと獣性が混ざり合ったが故の当然の反応である。


 もしも人が失ったものがあるとすればそれは――純粋な獣性。


 人が抱える獣性は賢しさと混ざり合い、酷く歪で汚らわしい、醜い獣へと既に変わり果てているのだ。人は、人でしかない。

 人は人だから人には美しく、獣は獣だから人はそれを容認出来る。

 だが一度それが混ざり合った時、人は人を人と見なさなくなってしまう。人でも獣でもない、醜い獣となる。


「ねぇねぇ、お姉さん。な~に、泣いてんの?」


 おいおい上がっていた鹿子の泣き声がぴたりと止まる。

 彼女の耳に街のがやがやとした喧騒が返ってくる。

 出ていた鼻を啜り、喧騒の中自分に向けられたと思われる声の方角へと顔を向けた鹿子が見付けたのはタンクトップなど着てこんがり焼けた肌を曝したシルバー多めな男たち。


 チャラチャラと正しく、音にすら出ている彼らから漂うデオドラントの香りに鹿子は鼻を揺らした。

 金色と黒のグラデーションがかった頭とか、腕にいれられたタトゥーだとか、そんな格好ばかりの彼らは胡散臭い。


「……なんじゃ、其方ら」

「泣いてたからほっとけなくてサ、どーしたの? 迷子?」

「誰が迷子じゃっ」

「あははっ、ごめんごめん。それはそうとして、一人?」

「ふんっ、一人だと何か文句あるのか?」

「ないないない! じゃあさ、今からちょっとオレらと遊び行こうよ! お互い暇ならさ。ねねっ?」

「遊びィ〜……?」


 如何にも不埒そうな輩の申し出に不審な視線を向ける鹿子。そしてちらと周りを見てみれば一向による囲いが完成しようとしていた。

 にやついた顔をして、中心人物であろう金髪の青年が彼女へと歩み寄る。合わせて鹿子が下がると、その背が別の青年にぶつかり肩を掴まれる。


 放せと身を捩り青年の手を振り払った鹿子は青年たちに気を付けつつ言った。


「妾に触れて良いのはラクだけじゃ、其方らはダメじゃ」


 さっと両手で己の身を庇いながら青年らを見て放たれた鹿子の言葉に、青年たちはキョトンとして静まり返る。

 どうやら分かったようだと満足感に鼻を鳴らした鹿子だったが、直後に青年たちからゲラゲラと笑声が上がる。


「なっ、何が可笑しいっ」

「ひひひっ……何がって、何がっても〜キミ、ホント最高だわ。面白いよホントにホント、ウケるウケる」

「貴様らァ……っ」

「ひはははっ! ソレソレッ、マジウケるからホントっ」


 訳もわからず嘲笑された事に屈辱的な感覚を得た鹿子の顔は見る間に赤くなり、眉間に寄ったしわやつり上がった眉尻が彼女の怒りを表す。

 今まさに食って掛かろうとする鹿子。だがそんな彼女の肩を強引に掴まえた青年らは彼女を囲ったまま何処かへと向かおうとする。


「おいっ、だから触れてはならぬと――」

「大丈夫大丈夫、カレシなんてバレなきゃ平気だから」

「何処に連れて行く気じゃっ」

「だからソレ笑っちゃうからダメだって反則ー」

「貴様ら、余りにふざけておるようじゃと……」

「平気だって! チームの集まりがあるから招待してあげるだけだから。同じくらいの娘も居るからさ」


 楽しいよ――と笑いながら言う金髪の青年の目に灯る光は如何わしい。

 どうせ連れて行かれてもろくな事にはならないだろう。如何な鹿子でもそれはすぐに理解できた。

 彼女は逃げ出そうと身を翻すが肩を抑え込まれてしまってはそれもままならず、いよいよマズいかと落雁の事を彼女は思い浮かべた――


「――あれあれ〜? “ゆり子”ちゃんじゃないの。奇遇だねェ〜……」


 青年たちの歩みが止まる。

 何事かと彼女が前を見ると、そこには黒く焼けた肌をしたブロンズ髪の男性が佇み彼らの行く手を阻んでいた。


「……オジサンさ、誰?」

「え? オジサン? 僕のコト?」

「え、えっと……」

「他に居ます?」

「あー、やっぱり僕のコト? 若者は手厳しいなァ」


 明らかに凄んで威嚇している金髪の青年に対し男性はとぼけ、自らの両脇に居る白髪と黒髪の女性にわざわざ確認を取る始末。

 そして結局やはり“オジサン”が自分のことだと分かると彼は頭を掻きながら高らかに笑うのだった。


 男性は青い目を青年へと向けると、彼らが囲う鹿子を指差しながらそれは申し訳なさそうに苦笑しながら言う。


「そのコ、ゆり子ちゃんって言うんだけど僕のトモダチでねェ。悪いんだけど、あんまりキミたちのようなコを近付けたくないんだよ。だから――」


 彼が言い終わる間際、右手を振り挙げた青年がその先に作り上げた拳を振るった。

 しかし青年の拳は男性に届く前に、迅速に合間に割り込んだ、眼鏡をかけた短い黒髪の女性が受け止めいなし、彼女はそのまま青年の手首を捻って腕を巻き込み関節を極めてしまう。


 そんな早業を前に若者のグループからは動揺からどよめきが上がり、腕から来る痛みに悲鳴の後呻き声を発する青年。

 流石にこの騒動となっては通行人も気にしだし、ざわめきは瞬く間に広がりを見せた。


「あらら……だから止めようって」

「い、言って無い……ですっ」

「あれェ? 言って……無かったかっ」


 わっはっはっと側に残る長い白髪の女性の訂正に笑い声を挙げた男性は、未だ青年を取り押さえ続ける黒髪の女性に話してやるようその肩に手を置き告げる。


「あんまり痛くするとかわいそうだよ、ルカ。放してあげなさい。キミも、ゆり子ちゃんを返してくれるね? まさかこの街の大通りで乱闘なんかするつもりじゃないんだろう? すぐにお巡りさんが飛んでくるよ。なんせここは日本一騒動には敏感な所なんだからね」


 ルカとそう呼ばれた黒髪の女性が青年を放すと、彼は男性からそう諭され後退る。

 そして周囲の仲間に目配せをし、彼らから撤収の意見が多く出ると舌打ちを鳴らすと共にそそくさとその場を去ろうとするが、しかし――


「オイオイ、まさかタダで帰れるとか思ってんのか? おら」

「なん――テメェ……道明寺!?」


 彼らがそうして踵を返した時、その先で待ち構えドスの利いた低い声でそう告げたのはなんと落雁であった。

 彼は食堂に居た時と変わらぬ無地のTシャツにジャージのズボン、そして穴あきサンダルという出で立ちで、自慢のリーゼントも相変わらずちょんまげのままだ。


「ラクゥッ」

「ラクって……道明寺のことだったのかよ……」

「馴れ馴れしいんだよなァ、どいつもこいつもよォ……オトモダチでもねえのにタメ口とか、常識知ってんのか? ああ?」

「お、おい……はは、待てよ。もう俺ら帰るだけだからさ。お前と揉める気は――」


 落雁の登場と同時に笑顔を咲かせ彼の相性を叫んだ鹿子にギョッと青い顔をしたのはグループの青年たちだ。

 明らかに彼らは畏縮している。


 そんな彼らに対し、不機嫌さを隠そうともしない落雁。

 彼は気怠そうに金髪の青年へとそう告げる。青年は引きつりながらも愛想笑いすると、なんとかこの場から逃れるための弁明を図るがそうしている合間にも彼に詰め寄った落雁が胸ぐらを掴み上げた。


「馴れ馴れしいって……言ったよなァ?」

「あ……や……そりゃ……」

「テメェとオレはトモダチか? テメェはオレを知ってるみてえだが、オレはテメェを知らねえ。つまりそれって他人だよな? 赤の他人にいきなりタメ口はよォ……シツレーなんじゃねぇかなァ~? 違うか? 違いますかァッ!?」

「ッ……がっ……そういうっ、テメェはどうなん――」


 額を押し付け合い、鼻先が触れ合う距離からの落雁の問い。

 その迫力に青年は顔面蒼白し、問答とは名ばかりの一方的な落雁からの言葉にしかし遂に恐怖が怒りに触れ、連鎖的に爆発を起こした青年が声を荒げた直後、落雁の振りかぶった額が彼の鼻先を押し潰した。


「こちとらクソババアのせいで何から何まで機嫌悪ィんだよ! テメェらの為にこんなとこまで出張って来させられて……」

「あああッ……い、いだいっ……いでぇ……っ」

「鼻だけで済むと思うなァァアッ」

「いっ、ヒィィイッ」

「やったれラクゥ!」


 鼻を潰され、勢いで倒れた後青年は自身を襲った激痛に硬い地面を流血する鼻を押さえながらのたうち回る。

 そんな青年をそれこそ虫でも見るかのような目で見下ろした落雁は徐にまた、己の血で赤く染まった青年の胸ぐらを掴み無理矢理に起こす。


 そして青年にあった怒りを遙かに凌駕し、上から叩き潰す勢いで怒鳴りながら彼は右拳を振り上げる。

 悲鳴を上げてなんとか逃れようと顔を逸らす青年であるが、そんな彼に脅かされそうになっていた鹿子はノリノリで落雁を彼に焚き付ける。


 そもそもの原因である鹿子の調子付いた声に落雁の怒りは更に燃え上がり、丸く剥かれた両目に小さく浮かぶ黒い瞳が揺れる。

 胸ぐらを引き寄せながらそして振り下ろされる右拳。

 青年が恐怖に戦き、涙する両目を固く閉ざし闇に逃避する。

 来たる痛みと衝撃は、しかし待てども訪れなかった。


「そこまで、やり過ぎは良くないよ……坊や」


 おずおずと開かれた両目。青年が見たのは躊躇いなく振り下ろされた落雁の右腕を掴み、拳を止めた件の男性の姿であった。

 そして落雁は割って入ったその男性に苛立ちを覚え、眉間に青筋を立てる。

 向けられた目の眼光鋭く、上げられた声はとても低かった。


「オッサン……アンタ、なんだよ」

「またまた……僕悲しくなっちゃうな」


 オッサンなんて呼ばないでくれ――白々しくも嘆いてみせる男性に苛立ちを加速させる落雁。

 彼の左手は青年を放し、自由になった彼は脱兎の如く、さっさとその場を逃げて行くのだった。

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