SCENE6 - 3
「夢?」
「リンドが、僕の眠ってる間に、じゃあな、ってどこかに行く夢」
思わず、息をのんだ。
「それで……それで、しばらくしたら、何か大変なことが起こって。それで、みんな滅茶苦茶になって……!」
夢を思い出したのか、少年は涙ぐむ。
「――二度と、会えなくなるんだ」
リンドにも、友達にも。お父さん、お母さんにも。
少年は、不安に押しつぶされそうな顔で。リンドに問う。
「そういうことに、ならない?」
答える言葉が、見つからなかった。
彼が寝ている間に別れを告げる。
大変なことが起きて、親や友人と会えなくなる。
それは夢なんかではなく、リンドの。リンドの世界の有樹にとっての、現実だった。
隕石が落ちなかったから、起きなかった。それだけの。
彼は、そんな事を夢に見ていたのか。
それはただの夢なのか、何かのリンクなのかは分からない。
だが、そのような夢に彼が不安を抱いているのは、まぎれもない事実だった。
「リンドと一緒になれるって、喜んでいました」
つい数時間前に聞いた言葉が、頭をよぎる。
ユウキは、自分と一緒に居る為に力を欲しているのだろうか。
少年の元を離れたあの夜の決意は、良いものだと思っていた。
現実。FHの気配を感じて、巻き込むのを恐れた故の行動だった。
だが。
傍に居て、守ってやるだけではダメなのだろうか?
傍に居れば、そのような事は考えないのだろうか?
「……そう、だな」
頷いた。
「そうしよう。ユウキ。お前が傍に居て欲しいと願う限り、俺はお前の傍に居よう」
約束する、と前足を差し出す。
「……本当に?」
今の言葉を確かめるような声で、彼は問う。
その声は。
本当に、“この”自分の傍に居てくれるのか?
そう問うているような気がした。
みあは、この世界にとって自分達は異物だと言っていた。ここは本来の居場所ではない、と。それならば、本来ここに居るべき「リンド」が居るのだろう。
だが、今ここには居ない。ここ数日過ごしていて、一度も出会わなかった。
不在の理由があるのだろうか。それは分からない。
探して連れてくれば良いのかもしれない。しかし、彼を一人にはしたくない。本来隣に居るべき者が、戻ってくれば良いのだが。
自分にとって、世界の歴史が揺らいでいる事に興味はない。
ただ、ユウキがオーヴァードを目指すこの世界は好きではない。だから、そうならない世界であって欲しい。それだけだ。元居た世界がそれに最も相応しいのなら、元の世界に戻したい。
守らなければ、ならない。
あの時の決断は間違っていたのかもしれないし、渋谷での一件は、避けられないものだったかもしれない。
それでも。
ふるり、と小さく首を横に振った。
「――何かが俺らを別つまでは、という条件付きだ」
「なんだよそれ」
「俺は、お前を守りたい。だが、その為にお前を一人にしなくてはいけない事があるかもしれない」
それでも、とリンドは差し出した前足をもう少しだけ、前へとすすめる。
「俺はユウキを守る為に、傍に居る。姿が見えなくても、ちゃんと守っているから安心しろ」
「ん……」
有樹はその言葉の意味を少し考えるような顔をして。
「分かった、やめるよ」
ようやく、小さな笑顔を見せて前足を取った。
「よかった」
涙の残るその微笑みと手の暖かさに、安心とはほど遠い感情が過った。
こっちの世界のリンドは、一体何をしているのか。
出会ったら一度、きちんと話をしなくてはならない。
もし、“そいつ”が乗り気でなければ――その時は。
そんな事はさせない。させるもんか。
そんな決意を込めて、少年と猫は微笑み合った。
「……帰ろっか」
「そうだな」
頷き合って、ベンチから立ち上がった、その時。
「――お話は終わりかな?」
薄暗くなった公園に、声が響いた。
その声に顔を上げると、公園の入り口に人影があった。
「――誰だ!」
言うが早いか、有樹の前に出て身構える。
男は、そんな問いを鼻で笑った。
「ふん。俺の事を知らんとは、まさしく野良猫だな」
教えてやろう、と男は一歩前へと踏み出す。
ぱりっとしたスーツとコートに身を包み、ひたすらに他者を見下した、鋭い眼光の男。
“ディアボロス”――春日恭二。
彼の唇の端が、残忍な形につり上がる。
「教えてやろう。私は春日恭二。今はFHの日本支部長なんぞやっている」
「春日恭二……あの時の男か。一体何をしにきた?」
「分からんのか?」
その問いに、身構えたまま首を振る。
「だが、想像と違っていたら困るからな。確認をしておこうと思ったんだ」
「そうか。曲がりなりにもオーヴァードたる者が馬鹿でなくて良かった」
話は分かっているな、と彼の目が光る。
「大人しくその小僧を渡せ」
「断る」
「貴様の答えは聞いてない」
間髪入れない返答に、春日も一歩を踏み出す。
ポケットに入れられたままの彼の左手が、もぞり、と動いたように見えた。
あの中に入っているものが何か分からないが。
嫌な、予感がした。
「ユウキ、走れ!」
自分はその場で身構えたまま、後ろの少年へと叫ぶ。
春日の出現に釘付けになっていた有樹の身体が、その一言でびくりと震え、こくりと頷いて後ろへと駆け出した。