SCENE5 - 4
「リンドは浅島家に帰るんだっけ?」
軽く声をかけると、リンドはちらっと視線を上げ、すぐに落とす。
「まずはそうだな。そこからユウキを探しに行くつもりだ」
そうかそうか、と頷くと、みあが「それじゃあ」と口を開いた。
「リンド」
「何だ」
「何を、とは言わないけど。ここから先――覚悟だけは決めておきなさい」
リンドはその言葉に何か言いたげな視線を向けたが、すぐに「ああ」と小さく頷いた。
「みあちゃんと河野辺さんはこれからどうするんですか?」
霧緒も傘と刀を傍に寄せながら、問いかける。
「あたしはこの辺りでもう少し情報収集するつもり。何かあったら呼んでちょうだい」
「んじゃ、俺は研究所帰って調べ物でもやるかねえ……で、霧ちゃんは?」
「私は……水原さんを探しに行きます」
「ん。何かあったら手伝うよ」
「……はい。その時はよろしくお願いします」
「というか」
ぺこりと頭を下げた霧緒が、続いた司の言葉に疑問そうな顔を上げる。
「みあ。そういうの分かんないの?」
「……司はあたしを何だと思ってるのよ」
「え。よくわからないもの?」
正直に答えたのに、とても不満そうというか不可解な顔をされた。
「まあ……少し時間があれば分かるかもしれないけど、霧ちゃんもあれから姿を見てないんでしょ?」
「え……うん」
それは難しいわね、とみあは考え込む。
「本格的に蒸発状態だし、そんな人物を当たり前に探す手段は無いでしょ?」
「そりゃそうか」
「そうだね……うん」
頷く二人を前に、みあはもう一つの疑問について考えていた。
本当はもっと早く考えておくべきだった事かもしれない可能性。
この世界は、自分達が居たそれとは異なる。
たとえ知っている人物であっても、同一人物ではない。
果たして、自分達はその居場所に“戻ってきた”のだろうか?
もしかしたら。
ここには、この世界で生まれ育った“自分達”が居るのではないだろうか?
居るとするなら、一体彼らは何をしているのか。
これまでに得た情報や、自分の持つレネゲイドウイルス。この世界に点在する他の“書き記す者”(たんまつ)――。
と、突然思考にノイズが走った。
それに気を取られた瞬間、左目に見知らぬ光景が混じり、流れる。
目を凝らすと、その映像は少しだけ明瞭になる。
高い所から見下ろすような街並。遠くを行き交う人々と、その中を誰かに連れられて歩く男性。
これは誰かの視界、だろうか?
そう感じた途端、彼女の元に何か大量の情報が流れ込んできた。
記録。人々の声。映像。感情。良いものも悪いものも全て、洪水のように一気に流れ込んでくる。それは自分の持っている“記録”と良く似ていて――違う。
「――っ!」
あまりに似ていた性質だったが為に一瞬受け入れそうになったそれらを、全て拒絶する。
これは、あたしの“記録”ではない。他の誰かが持っている物だ。
咄嗟に思考を押さえ込んだものの、ウイルスは身体の中でざわつく。まるで、ここが己の居場所ではない、みあが本来の端末ではないといわんばかりの反乱。そして、過去があまりに異なってしまった事による、トレースと思考の失敗。それらの余韻が頭痛となって残る。
「ミア?」
どうした? とリンドの声が少し遠く響く。
「大丈夫かみあ、顔色悪いぞ?」
次いで届いた司の声に、霧緒も頷いているのが見えた。
「ええ、大丈夫よ」
眩む頭を軽く振り、頭痛の残滓を追い払いながら、残っている景色から情報を少しだけ拾い上げる。人混みの中に見えたあの男性。あれは水原だ。
何故彼の姿を捉えたのかは分からないが、意識のどこかでその情報を求めていたから、なのだろう。
「霧ちゃん」
「うん?」
「水原さんの状況、分かったわよ……詳しい情報ソースとか、考察は省くけど」
「う、うん」
霧緒はこくりと頷いて、みあの言葉の続きを待つ。
「水原さんは今、東京中を走り回ってるわ。誰かと一緒にね」
一応無事みたい、という少しだけ楽観的な口調に「そっか……」と安堵の息が漏れる。
「でも、彼の移動先は特定できなかったわ。どうも、水原さんの意志とは関係ない――その、同行者の意志なのでしょうね」
どこに居るのかは分からない、という言葉に霧緒の表情が少しだけ曇ったが、「一つだけ」と続けた言葉にぱちりと瞬きをした。
「分かる日時が一つだけあったわ」
「……! それは」
彼女の目に期待がこもる。
「明後日。F市の覚醒技術研究所」
「おい、それって」
挟まれた司の声に、こくりと頷いて肯定する。
「覚醒試験の試験日と、その会場ね」
「そう、ですか……」
霧緒はそれだけ言って、黙ってしまった。
視線をテーブルに落とし、結んだ口に指を当て。何か考えているようだ。
それが、彼が現れるという日時の意味なのか、はたまたそれ以外か。
と、司がカップに少しだけ残っていたコーヒーを流し込んだ所で、ようやく彼女は視線を上げた。
「河野辺さん」
「何?」
その目は真直ぐにこっちを見ている。
「河野辺さんは、その研究所を知ってるんですよね」
「うん、まあ……職場だけど」
その真剣な目。言おうとする事は、何となく分かる。
「私も、そこに行ってもいいですか?」
そらきた。
「……はあ。良いけど、FHの研究所に来るってのも勇気あるね……独房にでも入る?」
少しだけ声のトーンを落とし、こちらも真剣に彼女を見返すと、小さく呻いて眉を下げた。
これはこれで、彼女なりに考えた結論なのだろう。
ただ、覚醒技術研究所はFHの施設だ。
相対する組織の。しかもその中でも捕獲に失敗したとあるUGNのエージェントが、ほいほいとやってきていい場所ではない。
良くて捕獲。悪ければその場で始末。だ。
良かった方でも、末路はきっと一緒だろう。
要は、行けば殺される。
霧緒は「それはそうですけど……」少しだけ怯んだような顔をしたものの、それもすぐ真面目な表情へ戻った。
「ええ、独房でも構いません」
その声に見える決意は固いようだ。
思った以上に頑固らしい。これ以上言っても、きっと譲らないだろう。
はあ、と視線を外して溜息をつく。
「後で末利に話を通しておく」
せめて独房監禁で済むように。
そんな呆れたような声に、彼女はありがとございます、と微笑んだ。