SCENE4 - 5
「俺が見つけた限りだけど」
そこに表示されたのは、霧緒の簡単な経歴だった。
名前。コードネーム。当時テロ組織として追われつつあったUGNに入ってすぐ、足取りが掴めなくなっていること。
だが、FHの構成員が殺害されているいくつかの事件に彼女が関わっているらしい、という事。FHが体制側、という意味ではまさしく“テロリスト”のような行動だった。
「今は東京に帰ってきてるらしいけど、どこに居るかは分からない。――だ、そうなんだけどね?」
と、肩をすくめる。
「そうなんだけどね、と言われても」
霧緒も困惑気味に呟く。
東京に帰ってきている霧緒とは、“砲撃手”が取り逃がしたという、目の前の彼女の事だろう。
とはいえ、みあから入った情報だと、彼女が匿われていた家は特定されている。
情報が古いのか、はたまた――。と、思考を止めて彼女に意識を戻す。
「やー。でも、霧ちゃんって相当物騒な人だったんだねえ」
「な」
我ながら良い笑顔をしていると思ったその一言に、彼女は言葉を詰まらせ。
「わ、私そんな事してませんよ……!」
身を乗り出す勢いで反論が来た。
「おおう。落ち着いてくれ」
まあまあ、と宥める。が、ナチスと戦ってたあの彼女ならやりかねない。そんな気もする。
口にも、表情にも出さないけど。
彼女は少しだけ拗ねたように「大丈夫です。落ち着いてます」と椅子に深く座り直した。
「さて。俺が調べられるのはこれが限度」
と、端末の電源を落とす。
「事件の真相とかはそうだな。身近な人間とかに聞いてみると良いんじゃないか?」
知り合いとかさ。と言うと彼女は視線を落として口を結んだ。
「どした?」
首を傾げると、彼女は「それが」と小さく口を開いた。
「事情を知ってるかもしれない人、と言いますか、事故の事を教えてくれた人が居たのですが」
「が?」
「いなく、なってしまいまして……」
どこか厳しい目をして、彼女は俯いた。
「は? 何で?」
思わず問いかけると、「分かりません」と首を振り。その言葉を否定するようにもう一度首を振った。
「分からないというより、確証がない、と言いますか」
「確証、ねえ」
どんな? とカップに口をつける。
「可能性として考えてるのは、FHが関わってるのではないか、という事です」
ええと、と彼女は少しだけ考えをまとめるように首を傾ける。
「昨日、私がお世話になっていた方――水原さん、と言うのですが。彼の家に、みあちゃんが来たんです」
と、彼女は少しずつ話す。
みあがFHの情報網で家を特定してやってきた事。
その時に家を出て以来、その人が帰ってこない事。
一晩探したが、見つけきれなかった事。
「彼自身の意志で帰ってこない理由というのも、分かりません。一番可能性がありそうなのは――」
「君を匿ってた事がバレたから」
彼女の言葉を継ぐと、「はい」と肯定して俯いた。
「私、巻き込んじゃいけないって分かってたのに……」
「ん。とりあえず確証のない後悔は後ね」
泣きそうな声をさらっと受け流すと、彼女は俯いたままこくん、と頷いて顔を上げた。
「なるほどねえ。みあが辿り着いたって事は霧ちゃんの情報は流れてるってことになるから、そろそろそこを撤退した方が良いかもね」
「ええ。そのつもりです」
「そう、それならいいんだけど。――その後はどうするつもり?」
椅子に背を預けて尋ねると、そうですね、と彼女はちょっと考えるような仕草をして。
「私が住んでた所は他の人が住んでるようでしたし、家に帰るという訳にもいきませんから……どこか探すつもりですよ」
「そっか。じゃあ、場所決まったら教えてよ」
「ああ、はい」
その時は、と彼女が頷いた所で、司は溜息をついた。
「? 河野辺さん?」
どうかしましたか? と彼女が不思議そうに首を傾げる。
この人は、未だに気付いていないのだろうか。
そうだとしたら鈍い。鈍すぎる。大丈夫かUGN。
「……霧ちゃん」
「はい?」
「信じてくれるのは嬉しいけどさ。不用心すぎないかい?」
「え?」
返ってきたのは疑問そうな声と瞬き。
その視線は何を言われたのか分からない、という所だろうか。
「うん。着信残したのは俺だし、霧ちゃんはかけ直しただけかもしれないけどさ」
「?」
「指図された場所にノコノコ現れて」
「……はい」
「自分の情報殆ど握られて」
「…………はい」
「今後の居場所まで教えてくれる約束なんて」
ねえ? と笑いかける頃には、彼女は事態を理解したのか青ざめた顔をしていた。
「やあ。やっと気付いてくれた?」
「……」
ひらりと上げた手に、何か言いたいのか口を動かす。が、声は出ない。
「……こ」
「?」
「こ、河野辺さんって、……その、ふぁ――あいたっ」
やっと出た言葉の中、丸めたスティックシュガーの空袋が彼女の額に飛んだ。
びし、と音が立つ位の紙弾に言葉を切られた彼女は、額を押さえて不満げな視線を向けた。
「…………痛いです」
「うん。俺はコーヒーが甘かった」
「関係あるんですか?」
「ん。無いよ? 俺はコーヒーならブラック派ってだけで」
彼女の視線が痛いが、無視して息をつく。
「と、言う訳で。これまでそんなの関係ない事態だった、ってのも手伝ったとはいえ、さすがに鈍い霧ちゃんでもいい加減気付いてくれて何よりだよ」
な、と口を開いた言葉に被せるように「俺も」と続ける。
「立場上は“君達の敵”だからな。これが罠で、俺が指一つ鳴らしただけで囲まれたりする可能性だってあるんだぜ?」
額を押さえたまま、苛立ちとも困惑とも取れる表情で言葉を詰まらせる彼女に「もっとも」と言い足す。
「そんなの、全然興味ないけど」
「……興味なし、ですか?」
さっきまでの困惑が全てすとんと抜け落ちたように、きょとんとした顔で反芻する。
「うん。全然」
こくりと肯定すると、彼女は少しだけ疑問そうな顔をした。言葉にはしないけど、視線はその理由を知りたそうだ。
普段の自分なら、ここは適当にはぐらかしていた事だろう。
だが、自分の所属をようやく話せて少し気が楽になったのか、少し位なら、話しても良いような気がした。
「俺はね。ただずっと『日常』ってのを手に入れたいだけなんだよ」
「日常」
ぽつりと反芻されたその言葉に、そう、と頷く。
「誰もが持ってそうなそれが、今まで手元にあった事無いんだ。俺が一番欲しいのはそれだけ。だから、組織がどうとか立場がどうとか。そもそも興味ないんだよね。今は居場所がここにしか無かったから居る。それだけさ」
霧緒は何も言わずに視線を向け、数度瞬きをしてから、少しだけ笑った。
「なんと言いますか。何となく、ですけど……河野辺さんらしいといえば、らしい感じがします」
「そりゃどーも」
簡単に返事をして、コーヒーをすすった。
砂糖が上手く溶けていなかったらしいそれは、さっきより少し甘かった。