SCENE4 - 3
「ダンデライオン・クロック……ね」
確かめるようにその名前を呟く。
彼の話を総合して考えると、あの石が歪ませ、移動する物とは――歴史だ。
過去へ。未来へ。時間という風に乗って種を運び、その先で誰かに取り憑いて歴史を歪ませる。
なるほど、相応しい名前かもしれなかった。
「――君は」
ふと、紅月の声がかかる。
顔を上げると、彼は縁側に座りながら問いかけてきた。
「アレについて、何か知っているの?」
みあも、これまでの彼と同じように首を横に振る。
「分かってる事なんて、そう大差ないけど――名前がついてる分、貴方の方が進んでるかもしれないわね」
「そっか」
掠れた声から、その一言に込められた感情は分からなかった。
「それで、あたしはその歪みを正す方法を探しているのだけど」
貴方は何か知ってる? と首を傾げる。
紅月はうーん、と少し考えたようだった。
「そうだな。そいつは……もうすぐ、見つかるかも、いや、生まれるかもしれない」
「……生まれる?」
その意味を問いかけた声に、彼は「何とも言えない」と曖昧に答えた。
「もしかしたら、てんで的外れのことを言っているのかもしれないし、しているのかもしれない」
だから気楽に聞いて、とでも言いたいのか、彼の目が少しだけ笑う。
「君をその“ダンデライオン・クロック”に例えた話をしよう。もし、君が親からお金を貰って、とにかく電車で遠くへ行きなさい、と言われたとしよう。出発は――適当に東京駅にしとくか。さて、君はどうする?」
「そうね。とりあえず、買える中で一番遠い所の切符を買って、電車に乗るわね」
その答えに紅月はうん、と頷いて話を続ける。
「ではそれで仮に八王子まで行ったとしよう。そこに一晩泊まった君は、朝起きたらお金を持っていた」
「魔法の財布ね」
「そう。魔法の財布」
彼は冗談めかして笑おうとし、いて、と痛みに顔を歪めた。
痛みを堪えながら半端な苦笑いをして、彼は続けて問いかける。
「それで、親の言うことはとにかく聞きたい君は、その駅からどっちに行く?」
「親の言うことを聞くのなら、東京駅とは逆方向へ更に行く、かしら」
その答えは満足のいく物だったらしい、うんうん、と彼は頷く。
「そうだよな。そうするのが普通だ。――つまり、君が八王子や奥多摩、行く先々で悪さをしたとしても、その被害者は君について行く限り君の親に文句を言うことは出来ない」
「そうね」
「でも、彼らは親に文句を言いたいなら、君について行くしかない。だって、君からしか親の事を知ることは出来ない訳だからね」
君が居ないと話にならない、と彼は小さく溜息をつく。
「それは確かにその通りね」
歴史を元に戻すには、紅い結晶が不可欠だ。
だが、たとえそれがあったとして――果たして改変元となる場所へ戻れるのだろうか?
「でも」
紅月の話に今度はみあが問いかける。
「あたしについて行ったところで、あたしは親の居場所を言うのかしら」
「君なら言うかい?」
「そうね……親を慕ってる――もしくは親の人形のようなものであれば、言わないでしょうね」
紅月は「俺もそう思う」と深く頷いた。
紅い結晶はタンポポの種――これまで戦ってきた敵達だろう。
元の世界。過去の世界。これまで見てきた結晶に取り憑かれた者の末路を思い出す。
親の居場所を問いただす。それは、説得したり力尽くで屈服させて「元の歴史に戻しなさい」という命令をするようなものだ。それがどれだけ滑稽なことか。
「そこが悩みどころでね。そのタンポポは今現在、親元を離れてしまっている。運良く親のことを知っている人に出会える可能性――と言うのもあるけど、それはとても低いだろう。だから色々考えてる」
――どうすれば、未来が守れるのかを。
小さく呟かれたその声は、みあの耳には届かなかった。
今の例えにあった、悪さをして別の場所へ行く――歴史を歪め、更なる歴史を歪めに行く。
仮に、都合良く元の世界へ向かう機会が来たとして……改変を幾度繰り返したか分からない、狂い果てた世界で一番最初に居た場所へ戻る道はあるのだろうか。
自分ですら、本当は幾度も改変された世界に居たかもしれない。それは、もう誰にも分からない事だ。
ううん、と過った不安を払拭するように心を強く持ち直す。
あたしは、あたしの記録を肯定する為に、ここに居るんだから。
「さて、俺に答えられる話はこんなところかな」
「なるほど。だから見つかるかもしれない、なのね」
よく分かったわ、と頷くと、彼も「それはよかった」と小さく返してきた。
そのまま彼は、じっとこちらを見ている。
みあがその視線に気付いて顔を上げると、彼は「あのさ」と話を切り出した。
「何かしら?」
「うん、情報提供ついでにさ、少し頼まれてはくれないかな」
どうかな、と言う紅月にみあは頷く。
「私に出来る事なら、頼まれましょう」
「ありがと――痛てて」
彼はにっこりと笑おうとしたのだろうが、すぐに顔をしかめた。
それから立ち上がり、庭へと足を向ける。
「もうすぐ一人のオーヴァードが暴走する。そいつを、斃して欲しい」
みあに背を向けたまま、彼はそんな頼み事をした。
「それは――紅い結晶に憑かれたオーヴァード、かしら?」
「――そう。そいつが暴走したら、俺達は……いや、世界は終わる。そいつが引き連れている仲間もろとも、斃してくれ」
「そう言う事なら、お安いご用よ」
みあはその背に頷く。
「“ダンデライオン・クロック”。どうせ奴らを赦すつもりなんて、あたしには無いんだから」
「ああ。そうだね。決して赦してはいけない」
彼の声は、どこか決意を秘めたように響く。
「そいつは……会ったらすぐに分かるよ。ああ、こいつの事なんだなって、一目でね」
そうしたら、と彼は少しだけ言葉を切って。
「君の仲間と一緒に、そいつらを一切の容赦なく抹殺してくれ」
そして彼は一度もこちらを振り返る事なく、庭を出て行った。
ひとり残った庭で、彼の言葉を小さく反芻する。
少しだけ何かが引っかかったが、その疑問は掴み所の無いまま消えてしまう。
風が冷たくなってきた。
縁へと上がり。最後にもう一度だけ、彼が立っていた辺りへ視線を送った。
「――約束ね、紅月」