SCENE4 - 2
「庭、って言ってたけど……」
どこかしら、とみあも部屋から顔を出す。
左右どちらも廊下が続いていたが、石乃の姿はもう無い。
外から見ても十分広かったこの屋敷だ。庭もきっと広いに違いない。
一体どっちが外なのか、と見回すと、廊下の角から仄かな明るさが見えた。
「あっち、かしら」
明かりを頼りに進めば、きっとどこかに辿り着くだろう。
ダメなら出会った誰かに聞けば良い。
「うん。そうしましょう」
一人頷いて、部屋を後にした。
□ ■ □
「……?」
しばらく廊下を歩いていると、何か声がしたような気がして足を止めた。
耳を澄ませば、どうやらそれは歌声のようだと分かった。
その音を頼りに、みあは惹かれるように足を進める。
少しずつ近付くその声は、どうやら少年のものらしいが、何を歌っているのかは分からない。そもそも、あまりに掠れた声のせいで、うまく判別が出来ない。
音も、上手くとれていない。音階が外れているとか。テンポがずれているとか。そんなのではなく、本当に「上手く歌えていない」声だ。
それを聞きながら進み、広い庭へ出ると、そこには歌声の主らしき人物が居た。
少年。
年は司くらいだろうか?
短めに整えられた髪は白く、何となく霧緒を思い出すが、それ以外の特徴はよく分からなかった。
顔の大半をガーゼと眼帯で覆われていて、判別がつかない。
ガーゼが無い部分にも傷や痣が多い。上を向く事でちらりと見えた首にも、袖から覗く掌にも包帯が巻かれて、痛々しい姿をしている。
掠れた声を一生懸命に出して歌おうとしているその姿が、更に痛々しさを増す。
どれだけの事をすれば、こんな大怪我になるのかしら。と過った時。
ふと、その声がやんだ。
眼帯のない方の目が、こちらを向く。どうやら来客に気付いてやめたようだった。
「や。お客さん、かな?」
掠れた声で問いかける。
「ええ。それなら貴方が珍しいお客その一ね。あたしはその二よ」
よろしく、と挨拶をすると、少年もよろしく、と笑いかけ――いてて、と顔をしかめた。
どうやら傷がひきつったらしい。
「さっきから歌ってたのは貴方だったのね」
手近な縁に腰掛けると、少年は傷が痛まない程度に微笑んだようだった。
「歌うのが仕事だったんだが、ご覧の有様でね。あまりの情けなさに逃避行中」
でも、と少年の目が細くなる。
「放っておいたら正しい歌い方を忘れそうでね――ねえ」
「?」
「良かったら、何でも良いんで歌を聴かせてくれないか?」
ぱちり、と意図を計りかねたように瞬きをして少年を見ると、彼はどうだろう、という風に首を傾げた。
「歌をお仕事にしている人に聞かせられるようなモノはないけど――そうね。どんな曲がお好みかしら?」
立ち上がって少年から少し距離を置いた所へ移動する。
「出来れば、君の一番得意なやつで。こう、人生が感じられるような」
「そうねえ……」
考えるように、息を整え、歌にする。
自分の中にある記録達からメロディーを。歌詞を紡ぐ。
声変わりをしていない少女の声が、庭に広がる。
たった一人の観客である少年に語るように、響くように。
童話のように、史書のように。
みあは歌う。
長い長いその歌を、少年は黙って聞いていた。
目を口も結んだまま、じっと聞いている。
その表情が感動なのか、憤りなのか。はたまた傷が痛むだけなのかは分からない。
ただ、内にある何かを押さえるような表情をしていた。
そして歌が終わり、みあがぺこりと一礼すると、少年はひどく精一杯に拍手をしていた。
「ありがとう。この歌が聴けて、本当に。――本当に良かったよ」
頷きながら、少年はそう繰り返した。
「気に入っていただけたなら良かったわ。――そういえば名乗ってなかったわね。あたしは紅月みあ」
貴方の名前は? と首を傾げる。
「そりゃあ奇遇だ。――俺もね、紅月というんだ」
紅月。
ぱちり。と瞬きをしてその名前を反芻する。
それは、とうに途絶えた名前ではなかったか。
その名を名乗る少年は、みあを真似るように一礼する。
「俺は紅月。姓は無い」
一体何のつもりでその名前を名乗るのかは分からないが。彼に悪意や敵意は見られない。
「――そう」
名前にはそれだけの感想を返して、「そういえば」と彼を見上げる。
「貴方が珍しいお客その一なら、聞きたい事があるの」
紅月はなんだい、と瞬きをする。
「貴方、紅い結晶についてここのご当主に聞いたそうだけど」
「ああ」
「何かを知っているの?」
軽く相槌を打った彼は、「と、いうと」と小さく呟いた。
「君も興味があるの? アレに」
ええ、とみあは頷く。
「あるわ。アレが一体何なのか」
紅月はふむ、と少し考えたようだった。
「アレが何処から来たのか、そして“何”なのか。正しい事を知ってるヤツは居ない。ただ……そうだな。ある特殊な性質を持っていて、それは、あってはならないものだって事は知ってる。あれはね。俺は、一種の生物だと思ってる」
そう言ったものの、少しだけ考えるような仕草をした。
「ん……生物というか……動物とか植物とかは……どちらとも言えないな。俺の知る限りだけど、あれはどちらの性質も持っている。あるモノを歪めることで移動し、根付いた先でまた歪める」
「その、あるモノ、って言うのは何のこと?」
ちらりと視線を上げ、彼に問いかける。少年はその視線を少しだけ見下ろし、目を伏せて首を振った。
「それは――分からない、と言うと良いのかな。残念ながら、俺はそれを目の当たりにしたことはないんだ」
みあを見下ろすその視線はどこか遠く。みあはこれ以上追求する事なく「そう」とだけ答えた。
「それで。そのあるモノを歪ませたり移動するのは、それの意思、と言う訳ね」
確かに生き物ね、というみあの言葉に紅月は頷いた。
「そう。そして、移動した先で根付いて育つのは植物みたいなものさ」
「で、その……生態、というのかしら。それに目的はあるの?」
紅月はまた首を横に振る。
「目的は分からない。もしかしたら、無いのかもしれない。ただ、その性質から俺は奴らをこう呼んでる――“ダンデライオン・クロック”と」