SCENE3 - 5
「……ところで末利さんや」
代わりのように話を切り出したのは司。
いつの間にかその手には、何か半分程が黒く汚れたくしゃくしゃの紙切れがあった。
うん? とその紙に視線を向けた彼女は、少しだけ顔をしかめる。
「そのお受験の内容を、個人的には知りたいなあ、って」
この切れ端と関係あるんでしょ? と紙をぴらぴらと振ってみせる。黒く汚れた部分は固まっているらしく、少しだけぎこちなく揺れる。
「勿論関係はある……けど、汚いわね。血塗れの受験票なんて飲食店でひらひらさせないで」
末利は顔をしかめたまま、司を軽く窘める。
言われてみれば確かに、その黒い汚れは固まった血液のようだった。
「俺のデリカシーの無さはよく知ってるだろ」
司は軽い口調でそれを折り畳んで、ポケットへしまう。
末利は「そうだったわね」と小さく溜息をついた。
「猫さんの話とも関係ある事だし、絡めて話しましょうか」
そう前置きをして、彼女は司とリンドを見渡す。
「さて問題。覚醒試験とは何をするものでしょう?」
「んー。その覚醒試験ってのは、オーヴァードの適格者が受ける試験という認識でいい?」
ひらりと片手を上げた司の疑問に、末利はそうね、と頷く。
ふむ。と小さく呟いて、末利を見上げる。
「適格者と分かっているのに、敢えて試験にかけるのは解せないな。知識を問うてどうにかなるものではないし。強制的に覚醒させて、失敗したら処分でもするのか?」
「半分以上正解。文で分けたら66点ってとこかしら」
では次の問題、と彼女は指を組む。
「今あなた達の言った“適格者”――私達が適正有り、って判断する基準はなんでしょう?」
その問いに、二人とも黙る。
「――分からない」
リンドがふるりと首を振った。
「さっきのようなチェッカーにでもかけるのか?」
「それもやるわね。まあ、発想としてはほぼ正解」
じゃあ、三つ目。と彼女は続ける。
「これも猫さんの口にした疑問。解せないと思わないか? ね。何故強制的に覚醒なんてさせるのか。私達はオーヴァードの優位性を守るために、ジャームという危険性は確実に隠蔽する必要があるのに」
「……確実に隠蔽する為に試験で強制的に覚醒させ、市井で覚醒するのを防ぐ。予防措置と言う事か?」
ふむ。と司も小さく呟く。
「リンド。それならそんな事しなくても、隔離施設に放り込むだけで問題無いんじゃないか?」
「――そうね。東京を第二の魔街にする事をよしとするなら、それで問題無いわね」
魔街ねえ、と司が小さく呟く。
それは日本のどこかにある街だという。何らかの理由で市民の多くがオーヴァードとなった、レネゲイドウイルスに侵蝕された街の通称だ。その原因は今でも不明だが、それ故に閉鎖・隠匿され、地図からも抹消された幻の街。
東京が、そうなる可能性を孕んでいるとでもいうのだろうか?
末利はリンドにちらりと視線を向け、その瞼を伏せた。
「一年くらい前かしら。私達はこの世界を手に入れる為に、ある力を使ったわ。それは、レネゲイドを任意に活性化させて、市民全体にオーヴァード化を促す物だった」
「それは、どうなった?」
「成功だった、と言えるわね。――多くの市民を一気にジャーム化させてコントロールできれば、それはとてつもない戦力として使えるわ」
「あー……」
一年前、市民のオーヴァード化……司が口の中で呟きながら、何かを思い出すように頭を掻く。
「それってさあ。“クイーン・オブ・ブルー”?」
そして、確認するように名前を口にした。
「そ。司だって同じ組織なんだからそのくらい聞いた事あるでしょ?」
「ん。まあね」
ちょっと気になっただけさ、と一度頷き。あれ、と小さく声を漏らした。
「青い雪が降ったのもその日だっけ?」
「なにそれ」
末利は疑問そうな顔で首を傾げる。
「ん。いや。何となく。多分、青ってだけでどっかで見たのと混ざったんだ」
脱線して悪いね、と司は続きを促す。
「ま。いいけど。で、“クイーン・オブ・ブルー”――青きジャームの女王、なんて名前で呼ばれる事もあるけど。それは全ての人を覚醒させる事までには至らなかった」
でもね、と彼女は組んだ指を動かす事なく続ける。
「その因子は今でも残っている。それまで“ただ何となく”一般人だった人が、突然暴走する危険性は、以前に比べたら遙かに高くなったでしょうね」
「……ああね」
司がどこか納得したような声を上げた。
人を任意にジャーム化させる能力を持った“クイーン・オブ・ブルー”。彼女がその力を無差別に使用した日。それがきっと、この世界が大きく分岐した日だ。他にも条件はあったのだろうが、決定的な一日とするならきっとそこだ。
末利はそれを“UGN内部でのクーデター”と言っていたが。きっとUGNに紛れ込んだFHのエージェントが起こしたもので間違いないだろう。
クーデターは成功したが、末利の言う通り、その一件でウイルスに感染した人数は未知数だ。いつ覚醒、最悪暴走するか分からない。
そんな危なっかしい状況の中でFHの目指す世界――オーヴァード優位の世界を作るならば。ジャームや侵蝕率は知られては不味い単語だ。きっと、リンドの言っていた教本とやらにはそんな単語載ってないに違いない。
「そんな力使ったんだったら市民全員を放り込む事になるな――それで?」
「当然、それを早期に発見する技術が求められたわ」
末利の声は続く。
「ずっと昔から人が覚醒するさま、暴走するさまをサンプルデータとして持っている人間を技術者として選んでね。研究するのよ。――あなたの世界でその子がどうなっているかは知らないけど。その子は近いうちに、確実に覚醒するわ」
そして、と小さく。溜息のように彼女は続ける。
「それがどんな結果になるのか。確かめるのが私。対処するのが司の仕事、ってわけ」
後半の言葉は、どこか諦めたような声にも聞こえた。