SCENE3 - 4
それ以上彼女は話をする事なく、喫茶店に到着した。
外見はどこにでもある、普通の店。
入ってみても、おかしく感じる所は何もないが、リンドを肩に乗せたまま店に入ってきた司が咎められるような事はなかった。
「私はコーヒーで」
「じゃ、同じのもう一つと……お前は?」
「ホットミルク。思いっきりぬるめに」
店員はテーブルの上に行儀よく座った猫が喋った事に何も言わず、三人分の注文を書き留めて戻っていく。
「本当に猫大丈夫なんだなこの店」
どこか感心した様子の司に、末利は「そう言ったでしょ」と相槌を打つ。
「うん。でも実際目の当たりにするとこう、な」
「まあ、そうね」
そう話してるうちに、二つのカップと一つの皿が並べられる。
「――で。覚醒試験の事を知りたい、だっけ?」
どうしてかしら? と、口をつけたカップを皿の上に戻して、末利が切り出した。
「知り合いがその試験を受けようとしているんだ」
リンドはミルクに視線を落とし、だが、と続ける。
膜が張ってない白い水面に、難しい顔をした自分の姿が見える。
「俺の知っているレネゲイドやオーヴァードにまつわる知識とは、些かズレがあると感じている。少なくとも、“俺達の世界”では、試験だの高給だの、そんな立派なもんじゃなかった」
「……恐ろしく直球だなあお前」
司が呆れた顔でコーヒーをすする。が、それ以上何も言わずに、続きを待つ。
末利もカップに口をつけ、そうね、と口を開いた。
「その世界ならざる“私達の世界”は、オーヴァードがオーヴァードのまま市民権を得ているから。まあ、能力のある方がより重要なポストに就くのは自然な事じゃない?」
「能力のある者……それはジャームでも、か?」
「ジャームは“いない”わ」
末利は静かにその存在を否定した。
「……へえ。“いない”のか」
司はどこかとぼけたような調子で口を挟んだ。
ジャームは居ない。でも、それを示す単語は存在する。
――さて。その意味は何だろう?
そんな事を考えながら、司は二人の会話に耳を傾ける。
「確かに、俺が見た教本に記載は無かったが――世俗との関係を失ってもなお生きるものを、お前達はジャームと呼ばないのか?」
「仮に」
末利の瞳が真直ぐリンドを向く。
「あなたの知識の中にあるジャームという物がこの世界に存在していたとして。彼らは知性を失った訳でも、心を失った訳でもないわ。他者という存在が心に一切の影響を与えなくなっただけ。それによって日常を見失った存在のことよ」
彼女の言葉は続く。
「それによってあまりの孤独に暴走するか、初めから他者と接触をしなくなるか、はたまた意味も分からずそれまでの生活の“ふり”を続けるかは人それぞれ」
司は机に肘を突いて、何も言わずに耳を傾けている。
「そして、社会を破壊する――ルールを守らなくなれば、相応の罰を与える。社会に影響を与える権利を剥奪する。表に出す行動が重要なのは、あなたの世界でもそうだったんじゃない?」
「――違う」
首を振って末利の言葉を否定する。
「社会は何より人と人との関係で成り立っている。人と関わりを持ちえない者は、社会から自然と弾かれる。それが摂理だ。能力の有無で社会にいることを決定するのは、人間関係の有無で社会にいることを決定するより危険な考えだと思う」
とはいえ、と再び首を振る。
「俺はそんな事を議論しに来た訳じゃない。最も近い試験の日程と、場所について教えて欲しいんだ」
パンフレットに書いてあるならそれでも十分だ、と言い添えると、末利はハンドバッグから小さな冊子を取り出して机の上に置いた。
「はいどうぞ。ご父兄の立ち会いは出来ないルールだけど」
リンドは爪でページを捲る。
最初のページにあった開催日と場所のお知らせには、四日後の日付と、F市覚醒技術研究所の文字があった。
ふむ、とその日程を見下ろしていると、「けど」と声がかかった。
視線を上げると、末利がこちらを見ていた。
「それを知ってどうするつもり?」
「……大方お前。爆破でもしにくるんだろ?」
司はにやりと笑いながら、そんな事を言う。
「爆破は猫の手に余るね。もっと頭を使わないと」
言い返してやると、司は少しだけ肩をすくめて「……馬鹿ですいません」とコーヒーをずずずとすすった。
「それにしても四日か。――その間に、受験するのをやめさせるつもりだ」
「ふうん。それがその友達のため?」
彼女のどこか重い視線で投げかけられた問いに、こくりと頷く。
「この世界でたとえ幸せになっても、そんなヤツは見たくないんでね。それが俺のエゴだというのは分かっている」
それでも、と言葉が途切れた所で、末利は何か言いたげな目のまま首を傾げる。
「そんな……とは、どんな?」
「――“この世界”で、オーヴァードとして覚醒した状態、かな」
「試験をやめさせたら、そうはならない?」
末利の声音は変わらない。どこか優しく、柔らかく問いかける声に、リンドは小さく首を振った。
「分からない」
だが、と末利を見上げる。
「少なくとも、自らの意思でなって欲しくは、ないんだ」
彼女はそれには何も答えなかった。ただ、少し冷えたコーヒーに口をつけた。