SCENE3 - 2
次の日の昼を過ぎた頃。
みあは教えられた住所にあったアパートの前に立っていた。
階段を上がり、インターホンを押すと、ピンポーン、という良くあるチャイムがドアの向こうから聞こえてきた。
少しだけ待つと、部屋の奥から足音がした。
そして「はい?」と小さくドアが開く。
出てきたのは青年だった。一瞬だけドアの向こうの相手を見つけきれなかったのか、瞬きを一つして、視線を落とした。
「どなたでしょう?」
みあは彼に、ぺこりと挨拶をする。
「初めまして。紅月みあと申します。深堀霧緒がここに居ると聞いてきました」
ああ、と小さく頷く彼を真直ぐ見上げ、言葉を続ける。
「彼女に用があるのですけど、出していただけますか?」
問いかける声。だが、その声が向かう先は彼ではなく、部屋の中に居る人物。
ドアから入る冷気に乗せて、家の中へと声を通す。
と、すぐさま部屋の奥からこちらへ向かう足音がした。
その足音に視線を向けた青年が、その相手にドアの前を譲ると、彼に頭を下げたのか、長い白髪が揺れたのが見えた。
「みあちゃん?」
そしてドアから少しだけ顔を覗かせて、やっぱりそうだった、という顔をした。
少しだけ外に警戒はしているようだが、元気そうだ。
「よかった。まだ無事なのね」
そう言って笑うと、「うん、おかげさまでね」と苦笑いが返ってきた。
それからハッと気付いた様子で、みあに青年を手で示す。
「ああ、紹介するね。この人は水原さん。あの日に助けてもらって。それから、お世話になってる人」
霧緒の紹介に、青年が初めまして、と小さく会釈する。
みあも会釈を返して、彼を見上げる。
「水原さん」
「うん?」
「立ち話もなんですし、上がってもいいですか?」
突然やってきて家主を追い出そうという、まるで侵略のような一言。
彼は少しだけ躊躇った様子を見せたが。
「深堀君のお友達……かな? どうぞ」
と、少しだけドアを大きく開けてくれた。
ありがとうございます、と礼を言って、玄関で靴を脱ぐ。
靴を揃えて立ち上上がると、廊下で二人がみあを待っていた。
「とりあえず、霧ちゃんに話があるんだけど……」
そう呟いて、水原の方をじっと見る。
彼はオーヴァードではない、ただの一般人のようだった。霧緒を匿っているとはいえ、それ以上この話に巻き込むわけにはいかない。
だから彼にはこの場に居て欲しくない、というのが伝わったのだろうか。
「じゃあ、僕は夕飯の材料でも買ってこようかな」
ゆっくり話しててよ、と彼は部屋の奥へ一度引き返して財布を持ってきた。
「紅月君、だったね。君も食べて行くかい?」
穏やかな問いかけに、みあは小さく首を振った。
「ありがとうございます。でも、お構いなく」
長くお邪魔する訳にもいきませんから、と夕飯を辞退すると、彼はそっか、と頷いて出掛けて行った。
「……えっと」
それまで二人のやり取りを見ていた霧緒が、やっと状況に追いついたかのように口を開く。が、それを遮るように彼女を見上げた。
「ごめんなさいね。家主追い出しちゃって」
それだけ告げて、廊下の先にある部屋へと移動する。
「ううん、多分、巻き込んじゃいけない話だから……」
後で謝っておくよ、と霧緒も後に続いて部屋へ入った。
「それにしても、みあちゃん」
「うん?」
二人分のお茶を前にして問いかけた霧緒に、瞬きをして答える。
「ここ、よく分かったね」
「FHの情報網調べたら……ね」
見つかるのは時間の問題だったのよ。という回答に、彼女は少しだけ青ざめて「そっか……」と呟いた。
「霧ちゃんのその白い髪、目立つから余計に――と、そう。今日は別に安否の確認に来た訳じゃないの」
と、本題を切り出す。
霧緒も下げていた視線を上げて、続きを待つ。
「実はあたしね、この世界――ああ、あたし達の居た世界とは別物だからそう呼ぶわ。この世界について、色々調べたの」
と、これまで手に入れた情報を掻い摘んで話す。
司が居た事、リンドにはまだ会えていない事。
今の世界の事。
ここ百年の歴史と一年前のクーデターの事。
末利に聞いたIFと、それらの出来事に影響を与えたと思われる葛城家と、紅月家の事。
「あれ、紅月って……」
紅月の名前が出てきた所で、それまで頷きながら聞いていた霧緒が少しだけ不思議そうな目を向けた。
「そう、あたしの名前ね」
その視線に頷く。
「でも、紅月の家系は途絶えてる。紅月の名前を持った最後の人が、桜花さんの婚約者ね」
なら、とみあは言葉を繋いで、口の端を上げる。
「この身体は、誰なのかしらね?」
「……」
「……ちょっと霧ちゃん。そこで神妙な顔しないでよ」
思わず黙り込んで難しい顔をしていた霧緒は、え、と顔を上げた。
「あたしはあたし。それ以上でも以下でもないわ。そんな事より、コレよ」
と、みあは自分の手首にあった結晶を見せる。
最初からそこに埋め込まれているかのようなその石は、今でも静かに脈動している。
「あたしはここが、歴史を変革された世界だと思ってる。霧ちゃんはどう? 何も変わらない?」
その問いに、霧緒は目を伏せて、ただ小さく横に首を振る事を答えとした。
「そう。その違い、原因はこの結晶で間違いないと思ってる」
そうだね、と霧緒が頷く。
「でも、これが何か分からない。どうすれば良いのかも」
だから、とみあは袖を戻した。
「あたしはこれから葛城の家を訪ねに行くつもり。そこで何が分かるかは分からないけど。桜花さんの家だから――何かしらの手掛かりが掴めるんじゃないかと思ってるわ」
でも、と言葉を繋ぐ。
「桜花さんが行方不明になって、紅月が途絶えて。今残る葛城家は随分と閉鎖的だという話もあるから、何か。葛城との繋がりがある物を持って行った方が良いと思うの。それで――霧ちゃんが桜花さんから預かってた物を貸して欲しいわ」
「桜花さんから預かったもの……それなら」
ここに、と霧緒は部屋の隅に置いていた鞄からそれを取り出す。
はい、と渡されたものは、狐の意匠が施された守袋。
「ありがとう」
受け取って鞄へとしまうと、話はそれでおしまいだと示すように、立ち上がった。
「じゃ、あたしは行ってくるけど――」
霧ちゃんはどうする? と視線を向けると、彼女は首を横に振った。
「私も、ちょっと調べたい事があるから、残ってるよ」
でも、と彼女は少しだけ不安そうな顔になる。
「ここがもう見つかってるなら、この家は出るつもり」
水原さんにもこれ以上迷惑かけられないしね、と少しだけ不安そうな顔のまま笑った。
みあはそう、と答えて玄関に向かうと「あ、ちょっと待って」と呼び止められた。
足を止めると、追いかけるようにやってきた彼女が一枚のメモを差し出した。
「これ、私の連絡先。何かあったら呼んで」
「ああ。ありがとう。後で折り返しておくわ――あと、これ」
と、鞄からメモを取り出して彼女に渡す。
「これは?」
「司の連絡先。あげるわ」
「え……っと。あ、ありがとう?」
礼を言いつつも、メモに落ちたその視線は「勝手にもらって良いのかな」と不安そうだ。
「大丈夫でしょ。司だもの。心配なら後で言っておくと良いわ」
その言葉がちょっとした後押しになったのか。彼女はそうか、と頷いてメモを受け取った。
「じゃあ、気をつけてね」
見送る声に、みあは背を向けて答える。
「あたしはこの今を認めないわ。だから元に戻す……少なくとも、近い状態にする為に動く」
うん、と霧緒の頷く声がした。
「霧ちゃんが知ってる人も……きっと同じだけど。それでもやっぱり違う人なんだと思うから」
「……うん」
そうだね。とみあの言葉を肯定するその声は、少しだけ寂しそうに響いた。
「心に、留めておくよ。この世界は嫌じゃないけど――ちょっとだけ、落ち着かなくて」
「そう。じゃあ、あたしが戻ってきた時にもう一度聞くわ。霧ちゃんはどうしたいのか、考えておいてね」
そう残して、みあは水原家を後にした。