SCENE2 - 6
「うん? だいぶ久しぶりだよね。ここ一年くらい忙しげでさ」
避けられてるのかと思ってたよ、と冗談っぽい言葉と共に、どこか安心したような顔をする。
「い、いえ! 避けるなんて、そんなこと……!」
首を振って否定をしてみたものの、ありません、とは言い切れなかった。
確かに、オーヴァードになって一年余。訓練と任務でとても忙しい毎日だったのは確か。
ただ、それよりも前。彼の事を諦めると決めた日から、極力会わないようにしていたのもまた、事実だった。
そんな霧緒の複雑な心境に気付いていないのか、彼は「でも、無事でよかった」と微笑んだ。
その言葉に少しだけ違和感を覚えて瞬きをする。が、水原はそれに気付かず言葉を続ける。
「君は怪我したり辛かったりすると、親しい人からまず離れるクセがあったからね。とんでもない事に巻き込まれてるんじゃないかって心配したよ」
そう言いながら伸ばされた彼の手が、頭に軽く乗せられる。
「こんな――髪の色も変わってしまって。ごめんね、何も気遣ってあげられなくて」
そう言いながら、真っ白になってしまった髪を優しく梳く。
彼と会う時はいつも姉の一歩後ろに居たから、こうして触れられるのは初めてで、どうすれば良いのか分からない。
髪を梳くその手は、思ったよりも大きくて暖かい。それに、なんだか頬がすごく熱い、気がして。顔どころか視線すらも上げられない。
そうだ。これも。ほら。霧緒は妹だから、きっとそんな。そう言う事だよね! という合理的に見える逃避の気持ちと。目を閉じた彼は今、自分を通して姉さんを見ているのかもしれない。となんだか悔しいような痛いような安心するような気持ちがぐるぐると渦巻いて、正直訳が分からない。
「え、っと……いや。そんな……水原さんが。その、気に、病む事では……っ!」
言葉も上手く出てこない。
ああもう、どうすればいいのかな……!
自分がものすごく慌てているのがよく分かった。
「ん、ごめんよ……ほんとにごめん……」
水原の声が小さく震えている。
その声はきっと、心からの懺悔。
でも。小さく呟くその声は、自分に半分だけ残してどこかへすり抜けて行ってしまいそうな。そんな感じがした。
ふと、彼の手が止まった。
それから、何かに気付いたようにぱっと手を離し、少し下がるように距離をとる。
「と。とと、ごめん! ちょ、ちょっと近すぎたね」
ごめんね、と申し訳なさそうな顔をする。
「あ……いえ。そんなことありませ……じゃなくてっ。えーと。その。この髪だって……」
と、髪をつまんでふと言葉を切る。
この髪は、オーヴァードとして覚醒した時に白くなったものだ。
覚醒のきっかけは、姉さんだった。
家を出て以来一度も会っていないが、彼女はどうしているのだろう?
そんな事を、思った。
「あの、話は少し変わりますが……姉さんは。元気、でしょうか?」
「……え?」
その台詞に、穏やかだった水原の表情がぎょっとしたものに変わった。
「な、何を言い出すんだい? 君の姉さんは、紫君は……」
忘れたのかい? と彼は焦った様子で言葉を続ける。
「一年前の、事故。いや、僕も直接見たわけじゃないけど……」
「一年前の……事故?」
つまんだ髪もそのままに、鸚鵡返しに呟くと、彼はうん、と頷いた。
「大きなトラックに轢かれて。酷い状態だったって。首が――」
と、言いかけて口を噤み、ごめん、と目を伏せる。
「失言だった。僕も偉そうに言っておいて実感できてないらしい」
そう謝る彼の顔色は、あまり良くない。
姉を失ったショックが、まだ実感できない程に大きいのだろうか。
「いえ……私も……その。あんまり覚えてなくて。嫌な事思い出させてすみません……」
霧緒も手と視線を落とす。
「いや……こちらこそごめん」
君が一番辛いのに、と水原が首を振りながら呟いて、沈黙が降りた。
覚えてない、と咄嗟に言ったものの、霧緒自身にその記憶は無かった。
食事を進めながら、考える。
一年前の事故? トラックに轢かれて? 首が?
と、いうことは。姉さんはもう――?
疑問は多々ある。でも、それ以上に、この世界に姉が居ない、という衝撃は大きかった。
身体のどこかがすっぽりと空いたような、そんな感覚を覚える。
一年前に、一体何があったのだろう。
それをきっと、知る必要がありそうだ。
「そ、それより、さ!」
沈黙に耐えきれなくなったのか、水原が声を上げた。
どこかぎこちないその声に顔を上げると、顔色は良くないものの、明るく努めようとする彼が居た。
「深堀君は何かしたいこととか、欲しいものはない? あと、うちに泊まってるって伝えなきゃならない人とか居るかな」
昨日の今日だと、なかなか出掛けるって訳にもいかないだろうけどさ、と少しだけ困ったように言い足す。
「えっと……いえ、特に、これと言った事は……」
んー、と首を傾げながらそう答える。
やりたい事はいくつか思いついたが、どれも彼を巻き込む訳には行かない事ばかりだった。
「そ、それよりも! 水原さんはお仕事、いいんですか……?」
質問を返すと、水原はああ、と小さく答えた。
「今日は休みを取ったからね」
じゃあ、何か思いついたらいつでも言ってね、と彼は立ち上がり、食べ終えた食器を片付け始めた。
霧緒も「はい」と頷き、ハッとして立ち上がる。
「あ、食器は私が洗います……!」
ぱたぱたと彼の後を追うようにして、自分も食べ終えた食器を手に、流しへと向かう。
ふと。思った。
さっきの「ごめん」は、姉さんに向けられたのかもしれない。
水原さんは何か、姉さんに対して後悔している事があるのかもしれない。
そんなふとしたきっかけ一つで、彼の行動は全て姉のため――自分に姉を投影しかけた結果のように見えた。
涙は出ないし、表情だって変わらない。
けれども。なんだか、胸が痛む。
彼の背中を見ていると、隣に姉さんが居る姿しか思い出せないのだってそうだ。
霧緒はいつまでも「深堀君」から抜け出せない位、どうしようもなく「妹」なのだろう。
心配はしてくれる。気にもかけてくれる。
でも。
やっぱり、姉さんには敵わないんだ。
「――いいなあ、姉さんは」
ぽつりと、そんな事を思った。