SCENE2 - 3
「葛城……ね」
その苗字に心当たりがあるのか、末利はその名を繰り返す。
「葛城、桜花……桜花……ちょっと名前には聞き覚えはないわね」
少し待って、と彼女はソファを立ち、自席のパソコンをスリープモードから復帰させる。マウスを動かし、キーボードを叩いて、「へえ」と小さく声を上げた。
「葛城……やっぱりこの葛城か。あなたの好きそうな家系ね?」
きぃ、と椅子に背中を預けて、視線だけでみあを呼ぶ。
ソファを降りて末利の隣へ行くと、司も椅子を器用に操って、その画面を覗き込める位置へと回ってきた。
「葛城っていうのは、いわゆる陰陽師の家系ね」
そんな言葉と共に指し示された画面には、その家系についてまとめたらしいページが表示されていた。
末利はマウスホイールでページをスクロールしながら言葉を続ける。
「オーヴァードの能力を直接的に政治とか……場合によっては戦争とかにも使っていたかもしれないわね。この国の政治にも割と深く関わってた家系で、随分信頼されてたみたい」
言葉を切って、ページをスクロールする。
「葛城山を降りた狐が先祖とか、自分達では言っていたらしいし……ずっと天皇の側についていたようね。だから江戸時代辺りになってかなり勢力が落ちて――」
ああ、とスクロールが止まった。
「百年くらい前に、政府の高官の息子に取り入って勢力を取り戻そうとしたみたいだけど……その政略結婚に使った娘が結婚を嫌がって出奔」
そのまま行方不明、と言葉を繋ぐ。
「……で、この娘の名前が桜花ね」
「……行方不明、ねえ」
司がぽつりと、カップに口を付けて感想を漏らす。
何か思う所がありそうだが、それ以上は何も言わない。
きっと、ヴェネツィアで出会った彼女の事を思い出しているのだろう。
彼女のあの朗らかな笑顔に、政略結婚からの解放感があったのだろうか。
そこは本人に聞かなくては分からないが。
彼女の真意はどうであれ、彼女はあの地で行方不明――死ぬような事はなかったはずだ。
もし彼女が生きていたら。密偵としての任務を無事に終えて、日本に帰ってきていたら。
歴史はどうなっていただろう?
「ねえ。彼女が結婚を嫌がった理由とか、そのまま戻っていたらどうなっていたか、とか分からないかしら」
その問いかけに、末利は「そうねえ……」と少しだけ眉を寄せる。
司は質問の真意に気付いているのだろう。何も言わずにケーキを口に運ぶ。
「……私はそういうイフって嫌いなんだけど」
思案げに俯きながら、彼女は推測を口にする。
「言ってしまえば、葛城は私達よりもっと前からオーヴァードの力を総合的に運用することを研究してた集団ね。これで百年前の結婚が上手くいって、日本政府にオーヴァードの知識と警戒心が根付いていたら……」
少しだけ呆れたような、不安そうな。そんな表情を一瞬だけ覗かせたが。
「一年前のクーデターは、あれ程簡単には成功しなかったかもね」
さっくりと、そう言った。
「葛城は抱き込めれば強い味方かもしれないけど、FHではなくてUGNの味方になるかもしれないし」
と、彼女は冗談めかして笑う。
「なーるほど」
どこか納得したように呟いたのは司だった。
「だから俺達がこうなった訳か……」
聞こえるかどうかの小さな声を、口に運んだケーキで打ち消す。
彼のその表情から、何かを読み取る事はできない。至っていつも通りの、どこか興味なさそうな顔だった。
が、きっと彼は気付いているのだろう。
末利が今口にした「IF」――この世界の「冗談」が、自分達の居たあの世界では「事実」だった可能性がとても高いという事に。
それが冗談になるのがこの時間なのね。と、みあも小さく呟く。
「――ありがとう」
と、末利への礼を口に乗せる。
「なら、約束通りにあたし達の話をしましょう」
その言葉を区切りとして、みあも自分の“記録”にある百年を語る。
末利が語った歴史と同じ流れを。
異なる史実を。
書き記す者が見てきた現代と、百年前の欧州を。
それらに関わった人物や、自身の感じた事は全て省いて、“記録”だけを語る。
末利はじっと、その話を聞いていた。
みあが語り終えると、末利は一つ溜息をついた。
「――感想を言うのはやめておきましょう」
あなたがそれを排したなら、私もそうするのが礼儀でしょう。
そう言って、視線だけがみあへと向く。
「あなたは」
末利の眉が、少しだけ寄せられる。
「ここが歴史を変革された世界だと、そう言いたいのね?」
どこか厳しい視線を受け止めて、みあは頷く。
「えぇ、少なくともあたしの主観においてはそうなるわね。あたしの“記録”とこの世界は合致しないわ」
その答えに末利は「そ」と短く答える。
目の前のディスプレイへと視線は戻され、表情も髪に隠れて見る事はできない。
そのままキーボードで何かを入力し、最後に中指でエンターキーを叩く。
隣のプリンタから出てきた紙を手に取り、そのままみあへと差し出す。
受け取ったその紙に記されていたのは、住所と地図。
「……京都」
ぽつりと、その紙に記された住所の文字を読み上げる。
それは、京都にある現在の葛城についての情報だった。
「私には、ここでこれ以上の答えは出せないわ」
その声には、微かな諦めと苛立ちが混じっているようだった。
「これからどうしたいのか、そこへ行って決めたらどう?」
もっとも、と彼女は続ける。
「没落してからだいぶ閉鎖的らしいから、話を聞きたければ、何かしら信頼を得る為の材料を集めた方が良いかもね」
その言葉に、瞬きをする。
末利の表情は相変わらずよく見えないし、声色には相変わらず複雑な感情が見えた。
きっと。最後の一言は友人としてのよしみ、なのだろう。
「ありがとう。行ってみるわ」
それじゃあ、今日の所はお暇するわね、と席を立った。