SCENE1 - 1
FH日本支部。
ビルの表札にはそうあった。
その場所、そのビル。
ここはUGN日本支部だったはずだ。
だが、その記憶は目の前の文字列に全否定されていた。
そんな、記憶との齟齬、強烈な違和感に。
彼らは呆然としていた。
「……これはまた、ド派手に変わった未来だな」
司は素直に感想を漏らした。
「お前、余裕だな」
足元から、リンドの呆れたような声がする。
「余裕というか……あんまり興味ないからな」
しかし、と改めて看板を見て言葉を繋ぐ。
「これはちょっと凄いな」
UGNだのFHだのというあれこれに興味は無いのだが。
堂々と組織名を出してる上に、それがFHの看板なんて。そうそう見る事は出来ない。
そんな事を思っていると、リンドが首を振りながら溜息をついた。
「……俺にはさっぱり何がなんだか分からない」
「うん。俺も俺も」
頷いて同意を示す。リンドの言う通り、何がどうしてこうなったのか、さっぱり訳が分からない。
それは隣の二人だってそうだろう。と視線を向ければ。二人は予想通り、目の前の看板に呆然としていた。特に霧緒は、目の前の光景を受け入れるのにもうしばらく時間が必要そうだ。
ビルの看板は大きく変わっていたが、街行く人々はそこに何も感じていないらしい。
それが――このビルが「FH日本支部」である事が、さも当たり前のように通り過ぎて行く。
ビルの名前なんて、大した興味も持たずに通り過ぎていく事は良くあるが、この組織名はマズい。
なにせFHだ。
オーヴァード優位の社会を作る事を推し進めるこの組織。そんなものが表に出てきた日には、その存在が世間に公表されていてもおかしくない。
マズくない訳がない。
だが。
どこまでも現代日本のように見える“この世界”では、FHが公になっている事が普通らしい。
OK、それは一旦認めよう。
そうなると疑問が湧いてくる。
UGNはどうなっているのだろうか?
元から存在しない。なんて事はないだろう。
こんなにも現代で溢れ返っていて、FHがある。それならばオーヴァードは存在するだろうし、UGNだって存在するはずだ。
そうなると、組織の関係もきっと変わらないだろう。敵対組織のままだとすれば、一体どこに行ったのか。
完全に消滅した、なんてこともないだろう。多分。
FHは消し去る事に関して定評があると常々思っているが、あんなに大きな組織を丸ごと消せるかどうかは怪しいものだ。
ああ、怪しいと言えば。と司は背後の通行人に意識を向ける。
こうして固まって看板を見ているこの集団は、さっきからちらちらと視線を集めている。
怪しい人として通報されて、ビルから人が出てくるのも時間の問題。
「とりあえず、さ」
と声をかけると、全員が視線を看板から外した。
「状況から察するに、霧ちゃんはどっかに隠れてた方が良いかもしれない」
最悪、UGNは存在してないかもしれないけど、と小さく付け足した声はしっかり届いていたらしい。ショックとも抗議ともとれそうな微妙な視線が返ってきた。
「……見た目でUGNだと分かる訳じゃないでしょう」
そう言う声は、みあのもの。
呆れた響きを持つそれが消えないうちに周囲に視線を走らせて、それよりも、と言葉を繋ぐ。
「――不審に思われてる。ここから離れた方が良いわね」
「だな」
各々が頷いてその場を離れ、ビルの前にある交差点に並ぼうとしたその時。
小さな音がした。
「――ん?」
何の音だ、と足を止める。
小さな、風を切る音。
それは少しずつ近付いてくるようだ。
一体どこから聞こえるのだろう?
司が足を止めて耳を澄ますと、答えはすぐに見つかった。
前を歩いていた三人が足を止め、音のする方向を――上を見上げた。
「……へ?」
つられるように、上を見上げる。
正直、何も見えなかった。
分かったのは何かが真横に落ちてきた、という事だけだった。
全ての音が一瞬聞き取れなくなる程の轟音と、崩れて不安定になった足元を掬う衝撃に、受け身を取る間もなく吹き飛ばされる。
「ば……! 司! 何してるのよ!」
「ツカサ!」
「河野辺さん!?」
焦る声を聞きながらきりきりと舞った司は、ずしゃー、と音を立てて舗装された歩道に叩き付けられた。
「ああ、人って空を飛べるんだな……」
あと、冬の石畳冷たい。と。地面に伏したままでそんな感想を抱く。
どうやらあの衝撃に吹き飛ばされたのは自分だけらしい。
なんだか空しくなったこの気持ちを見なかった事にして立ち上がった。
もうもうと上がっていた砂埃は、ビル風に吹かれてゆっくりと晴れていく。
少しずつ明らかになる、陥没した歩道と、その中心に立つ人影。
上から降ってきたにも関わらず、乱れ一つない、整えられた前髪。
神経質そうな印象を与える、眼鏡。
隙無く着こなされたスーツ。
彼の名は――春日恭二。
FHエージェント“ディアボロス”として名高い男だった。