CLIMAX - 5
時折電気のはじける音がする、濡れた甲板。
そこに散らばる、兵士、異形、マストの残骸。
ワンフレーズを歌いきろうとしている少女と、水の刃を次々に生み出す猫。
それから、首だけを狙って鎌を翻す少女と、無表情でそれを避ける青年。
「……うわぁ」
船に乗り込んだ司は、そんな光景に思わずそんな声を上げた。
なんというか、スゴイ光景だな……。という感想を抱く。
とはいえ、これは絶好のチャンスだと、司は銃を構えた。
狙うは――鎌と水の刃を避け続けるバルト。
引き金を引くと、その声に反応するかのように、バルトの右目がこちらを向いた。
間違いなく急所を穿つその銃弾も、この距離ではバルトの元へ届くまでに僅かな時間が生じる。
その隙間を逃さないかのように、船の甲板から網のような電気の壁が立ち上がった。
バチバチと白い光を放ちながら、司の放った銃弾を一つ残らず捉える。
――が、それはこの船にとって動作の許容量を大きく超えたものだったらしい。
銃弾が甲板に転がる音に混じる、ぶぅん、という小さな機械音。
そしてそれきり、アイゼンオルカは沈黙した。
「お。システムダウンしたか――じゃあトドメ、誰か頼むぜ」
「――任されよう」
そう答え、マストの残骸を飛び渡る影は、リンド。
システムダウンしたとはいえ、まだ電流が残っているような気がする。と、リンドは金属の隙間を縫うようにしてバルトに駆け寄る。
「少佐……」
リンドは少しだけ悲しげな顔をして、空振りをした霧緒の刃を足掛かりに距離を一気に詰めた。
『死ぬ時を逃すというのは、哀れなものだよな』
バルトの目とリンドの視線が合う。が、彼の目はただ猫の存在を認識しただけで、何の感情も見られない。
リンドもそれに何かを返すわけでもなく、水の刃を走らせる。
『せめて安らかに眠れよ、な?』
勢いよく飛び出した刃は、バルトの身体を切り刻む勢いで吹き荒れる。
その刃を受け止めようとしたのか。彼が翳した傷だらけの左腕が、がしゃん、と音を立てて甲板へと転がった。
バルトは落ちた腕と足元に着地した猫を一瞥したが、それ以上のことはしない。
ただ一言。
『安らかさ――理解不能』
無機質な声が響いた。
リンドがその言葉に反応を示すより先。僅かに風が動いた。
潮風とも、みあの風とも違うそれは、振り上げられた鎌の動き。
見上げたリンドからは逆光になっていて、彼女の表情は見えにくい。が。彼女がとても嬉しそうに笑っている。それだけは判った。
リンドは跳ねるように距離をとる。
鎌を引いた霧緒は、一瞬たりともバルトから――その首から目を逸らすことなく一歩を踏み込んだ。
がきん! と硬い音を立てて、ようやく鎌が首を捉える。が、その一撃でもまだ彼の首を落とすには至らない。
「あら。まだ落ちないのですか……」
霧緒は鎌から手を離すことはなく、どこか残念そうな目をする。
バルトはそれに答えず――ぐらりとよろめき、膝をついた。
首に刺さったままの鎌が、彼の喉元をぎちりと引き開く。
霧緒は、傾いたまま乗りかかっている首に視線を落とす。
その表情から読み取れるのは、純粋な疑問。
どうしてこの首は、落ちないのだろう?
鎌の切れ味が足りない訳ではない。
ただ。彼の硬度が遥かに上回っていた。それだけだ。
だが。
半分以上が裂けたその首。もう一度でもその鎌を受ければ落るだろう、というのは容易に想像がついた。
今度こそ。そう。今度こそは。霧緒が紫電走る鎌を引き抜くと、その首が少しだけ下を向く。
「ふふ……さあ。さあ、今度こそ。その首を落として、壊れてお終いなさい」
膝をついたバルトは、振り上げられた鎌に目もくれず、自分の胸に手を押し当てる。
『……個体名:コルネリウス・バルトは、死を前にした兵士は“総統閣下への忠義”を示さねばならないと常に思考していた』
大量のノイズに混じる声が無機質に流れ、その手が、すぶりと沈むように突き立てられた。
走る電流。爆ぜる火花。
そんな中から、彼が取り出しのは。
掌に収まる程の、機械の心臓。
霧緒の鎌が、首を狙って真直ぐに振られる。
『“総統閣下に栄光あれ”――』
ただ無表情に、無感情に。ノイズのないクリアな声が響く。
そして。
刃が届くその前に、その心臓が閃光を放ち――爆発した。
爆風に乗って飛んでくる小さな螺子や金属片に混じって、司の足元に傘が転がってきた。
煙の合間に見えたのは、白い髪を散らして倒れる霧緒の姿。
「――お姉ちゃん!」
「大丈夫か!?」
ばたばたとみあが駆け寄っていく。
司も傘を拾い上げてそれに続く。
煙が薄れ、見えてきた爆発の中心地は大きくへこみ、焦げた金属片が散乱している。そこにかつて人だったものが居たとは、俄には信じ難かった。
爆発の至近距離に居た霧緒は、それを真正面から受けたようだった。爆風で吹き飛ばされて甲板へと叩き付けられたらしく、意識は無い。ただ、服や髪はあちこちが焼け焦げていたものの、傷は既に治り始めていた。
「しっかりして! お姉ちゃん!」
みあが小さな手で彼女を引き起こし、その肩を揺さぶると、力の抜けた首ががくがくと揺れる。
「おい、ミア。そんなに揺さぶっては……」
「――う」
止めようとしたリンドの声に応えるように、小さな声が漏れた。
「あ……ゆ、揺さぶらない、で」
そう頼む小さな声は弱々しかったが、そこに先程まであった暴走の色は無い。いつもの彼女の声だった。
「よかった。大丈夫みたいだね――よし」
その声と反応に満足したのか、みあは肩を支えていた手をぱっと離して立ち上がった。
気が付いたとはいえ、まだ前後不覚だった彼女は、そのまま後ろに倒れこむ。もう少しで床に頭をぶつける、という所で司は手を差し出して支える。
「おっと。大丈夫?」
「あ……すみません」
そう言いながら身体を起こすも、まだ頭がふらふらしているらしい。彼女は深く目を閉じ、深呼吸をしている。
「みあ、いきなり離したら危ないぞ」
「あ。安心しちゃってつい」
軽く窘める声にごめんね、と答えるみあの目は、警戒の色を残したまま甲板を見渡している。どうやら残りの敵が居ないかを確認しているらしい。
「あの白いのは、もう居ないみたいだね……」
彼女の言う通り、甲板は静かだった。バルトがその動作を止めたからか、白い異形はいつの間にかすっかり姿を消していた。
開け放たれた船内への扉も、小さな明かりが揺れるばかりで、気配は一つもない。
「お姉ちゃんも無事で良かったし、あとは有樹君を探さないとね」
有樹、という名前にリンドが反応した。
焼け焦げた床から弾けるよう視線を外し、頷く。
「そうだ。早く探さないと……手伝ってくれるか?」
リンドのそんな言葉を断る理由など無い。
「ああ」
「そうだね…….探しにいかなきゃ」
全員が頷いたその返事に、リンドはくるりと背を向け、「では、先に行くからな」と船内に飛び込んでいった。
「……それにしても」
司が船内に飛び込んでいくリンドの背を視線で追いかけると、ふらつきながらも立ち上がった霧緒の呟きが聞こえた。
「酷い有様ですね……」
「ソウデスネ」
間髪入れずに答える。視線は絶対に合わせない。絶対に。
その返事をどう受け取ったのか、彼女は「すみません」と視線を落としたようだ。
「ん?」
何が? と聞いてみると、「私、何もできないで」と小さく返ってきた。
気付けばこんな状態で、と彼女は言う。
なるほど。と司は心の中で納得をする。彼女はどうやら、あの大暴れを覚えていないらしい。
「まあ、異形達も倒したし、いいんじゃないかな……」
うん。いいと思うよ。と言葉を切って、リンドを追うように足を進めると、数歩後ろを追ってくるブーツの音が聞こえた。
霧ちゃんはやってくれたよ。色々と。十分に。
なんて言ないな! と背後の靴音に小さな溜め息をつく。
「まあ、世の中知らない方が幸せな事もあるよな……」
彼女に聞こえない声で呟いて、船の中へと乗り込んだ。