CLIMAX - 4
霧緒は手すりも、床も、積み荷に砲台、水の刃さえも、途中で鎌に触れた物は全て斬り捨てながら、バルトに向けて鎌を振り上げる。
幾度も躱され、腕で受け止められて銃弾を撃ち込まれようとも、彼女は鎌を翻す。それが一体、幾度目か分からなくても。船の上という足場の悪さも、本来採るべき戦術も。理性も感情も。感覚すらも。なにもかもを忘れ去った後に残った、ただ一つの動作のように。ただひたすらに一点を――首を狙うべく鎌を振るう。
それはもしかしたら、それだけの為に作られた機巧人形のようにも見えるかもしれない。
しかし、衝動の暴走にただ突き動かされる今の彼女はまさにその通りの存在と成り果てていた。
バルトもまた、鎌を。水の刃を。蝕む風を無表情のまま躱し、受け止める。向けられる戦意に応えるものの、そこに、それ以上の何かを感じ取ることはできない。
そして、また空振りに終わった鎌が翻るその上で。機械的な音が響いた。
それは、マストが変形を始めた音。
見向きもせずに攻防を続ける彼らの上空で。
それがこの船の意思であるかのように、先を尖らせ、向きを変え、あっという間に数本の槍と化したマストが、隣のスクーナー船へと照準を定めた。
「おいマジか……」
勘弁してくれよ。と司は苦笑いで呟いた。
見上げた先には、変形してこちらを狙うマスト。
攻撃がこちらに向くだろう、という予想はしていたものの、そこはオーソドックスに砲台が向く物だとばかり思っていた。
まだまだ常識が捨てきれていないらしい、と過ぎる位、苦笑いしか出ない光景。
とはいえ。アレが命中すれば、沈没という未来が簡単に見えた。
さすがにそれは、避けなくてならない。と司が銃口をマストに向けたのとほぼ同時に、高速の槍となってマストが襲いかかってきた。
「大体マストとか新しすぎるし、なんでそんな捨て身なんだよ……!」
思わず叫ぶ。その間にも飛来するマストの軌道が算出され、この船に致命的なダメージを与えそうなものに狙いを定めて連射する。
空いた手を鞄に突っ込み、流れるような動作でマガジンをリロードする。
足元に大量の薬莢と空になったマガジンがばらまかれたが、狙い通りに飛んだ銃弾は、槍と化したマストにヒビを入れる。己の速度に耐えきれなくなったマストはそこからへし折れて、船の横ギリギリの水面に盛大な水柱を立てた。
衝撃で大きく揺れた足元を気にしつつ、司は息をついて銃を下ろす。
上がった水飛沫が雨のように降り注いで濡らす甲板には、致命傷にならないと判断されたマストが、生えたように突き刺さっていた。
そこから浸水してくる様子はなく、今すぐ沈む事もないだろう。けれども、そう長く放って置いて良さそうな物ではなかった。
「この穴は……後でなんとかしよう」
うん、そうしそう。とひとつ頷き、視線をアイゼンオルカへと向ける。
先程まで溢れるように見えた異形の姿は殆ど見えない。
どんな様子かは見えないが、みあの歌声と、多少の水飛沫。それから金属のぶつかり合う音が断続的に聞こえてくる。
「――そろそろあっちに決着つけに行くかね」
それまで沈んでくれるなよ。とスクーナー船に言い残し、司もアイゼンオルカへと駆け出した。
甲板に居たみあは、マストが大きな水柱を立てたのを見た。
一瞬だけ途切れそうになった声を息継ぎに変えて、最後のワンフレーズを歌いきる。
しかし、そのまま船の様子を確認しに行く暇はなかった。
ぱらぱらと水飛沫が甲板に降る中、船内からのそのそと出てきた影が増えていた。
その集団は、皆一様に虚ろな目をしたまま、精彩を欠いた動きで近寄ってくる。
彼らが身につけているものは、鉤十字の腕章。軍服。銃を身につけている者も居るようだが、それを手にする事もなく上司だったバルトへと寄っていく。
「――成程ね」
みあは彼らを見て、思わず苦い顔をする。
彼らは渋谷駅でも見た、“異形に憑依された”者の成れの果てだ。
それはまるで――ではなく、正真正銘の動く死体。
「先にアレらをなんとかしなくてはいけないわね――」
今ここでバルトを狙っても、きっと彼らが邪魔になる。
それならば先にそちらをどうにか――。
と、狙いを定めたその時。アイゼンオルカの発するモーター音が一層大きくなった。
連動するように靴底に感じたそれは船の振動にも思えたが、どうやら違う物だったらしい。少し離れた所に居たリンドの毛がぴゃっと総毛立ち、慌ててマストの残骸へ飛び乗ったのが見えた。
「リンド……なんか面白い事してどうしたの?」
猫の本能に目覚めた? と首を傾げる。
「……お前は今の、感じなかったのか?」
そう言うリンドは、足の裏が落ち着かない様子だ。
うん、とみあが頷くと、「そうか」とリンドはどこか神妙な顔をした。
「一瞬だが、妙な電流が走ったんだ」
「電流、ねえ」
ふぅん、とみあは軽い相槌を打つ。
船の出力が上がると同時に流れた電流とは、一体何を意味するのか。
その答えはすぐに見つかった。
霧緒の鎌がバルトの左腕を捉えた瞬間、右腕の銃口がが真直ぐに狙いを定めて、至近距離で発砲した。
鎌を左腕に捉えられたままの彼女に避ける術はなく。咄嗟に身体を捻らせはしたものの、ほぼ真正面から被弾する。
先程の電流は、攻撃の精度や威力を上げる物だったらしい。一発も外す事なく打ち込まれた銃弾は、霧緒の腕を貫き、頬と髪を灼き、コートや脇腹をを貫通し。甲板に着弾した瞬間、これまで以上の音を立て、その箇所を黒く結晶化させた。
霧緒は撃たれた拍子に身体が跳ねたが、鎌を手放すことなくブーツの踵を踏みしめている。鎌はがっちりと腕を捉えたまま。抉れた傷口から流れる血が、焦げた服を赤く染めていく。
「ふ……ふふ――。ここで倒れてしまっては。貴方を壊せな、いじゃない……です、か!」
彼女の目はもう、バルトの首元しか見えていない。そこから目を離さずに笑い、獲物に力を込めて引き抜き、再度振り上げる。
「……アレは、まずいわ」
そんな霧緒の様子に、みあは思わず苦い顔をする。
霧緒の身体は、傷の回復が明らかに遅くなっていた。
まともに防御もせず暴走し続けたならば、彼女の身体の方が先に限界に達するだろうというのは容易に想像がついた。
倒れるだけならいいけれども――最悪の場合、そのまま暴走に歯止めが利かなくなる。
早く片を付けなければいけないわね、とみあは息を吸う。
「♪――、♪。♪――」
紡がれる旋律は、細く高く。
何とも言いようのない香りを風に乗せて甲板を流れる。
旋律で語るのは、“彼女”がこれまで幾度も出会い、別れてきた、オーヴァード達が辿りし非業の物語。
緩やかに染み込んだそれは、次第に体内で毒となって彼らを蝕む。
もがき苦しんでも逃れることなど叶わない。
耐えきれず膝をつくも、地に着くより先に崩れ、風にさらわれていく。
みあの紡ぐフレーズが終わる頃に残ったのは、死体だった何かの残骸。
旋律が染み込んだのは、船と青年将校も例外ではなかった。
アイゼンオルカは船全体に電流を走らせ、唸りを上げる。バルトも足元がぐらついたものの、倒れるような事はしなかった。が、その歌によって渦巻いた己の感情が理解できないらしい。表情は変わらなかったが、何かが揺らいだような色が一瞬だけ過った。