CLIMAX - 3
「いやあ、楽しそうだな……!」
そんな事を言いながら、司は舵を手にして操舵方法の確認をする。
「えーっと。車と同じ感じで……いるわけないか」
司に操舵の経験はない。とりあえず触ってみればなんとかなるかな、くらいの軽い気持ちで舵を取った瞬間、脳裏に無数の情報が流れ込んだ。
現在の風速。風向き。潮の流れから船体の構造に至るまで。視界や指先から入る――入らない物は合理的に補完され――ありとあらゆる情報が詳細に分析される。
それらは閃くように解析、演算され、必要とする情報は即座に揃う。それがたとえ、スーパーコンピューターでも数十、あるいは数百日かかるであろう膨大な「処理」であったとしても。本人にとってそんな意識はさっぱりない。
「……んー。こうすればいいかな」
そんな感覚で舵を切ると、応えるように船は加速を始める。
「お。速度上がってきたな。よしよし。コツ掴んだかな」
舵を切る陽気な声とは対照的に、スクーナー船は速度を増し、操舵の熟練者でも到底操作不能な速度を持ってアイゼンオルカとの距離を縮めていく。
「と、そろそろか」
これ以上突き進めばぶつかってしまう、というタイミングも「勘」一つでブレーキをかける。これまでの速度から一気ブレーキをかけられた船は、ざざざざ――ごん! と大きな波と音を立てて、アイゼンオルカと接舷した。
その衝撃で船が大きく傾く。
「わ。わ……、お兄ちゃん操縦荒いよ」
バランスを崩しかけたみあが、入り口にしがみついて不満げな声を上げる。
「おお。すまんね」
でも着いたから勘弁してくれ、と舵から手を離すと、みあも「そうだね」と頷いてくれた。
「っと、そうだ。二人は……」
振り返って甲板を見れば。今の衝撃で鎌の軌道に飛び出した全てをを容赦なく薙ぎ捨てながらアイゼンオルカへ向かう霧緒と、その後を追うリンドが見えた。
「――うん、大丈夫そうだな」
思わず遠い目をした、その更に向こうに。司は妙な光沢を放つ影を見た。
それは、こちらに向けて右腕を突き出した元バルト。
以前は確か、ただの銃口だったはずの腕は、異形化して妙な光沢を放っていた。
「あの形……」
マントや袖に隠れていても分かる、黒い被筒。そこからすらりと伸びる銃身。その先でこちらを狙う、照星と思しき部品。
歪んでいて原形をとどめてはいないが、着剣金具に消炎器も、見て取ることができた。
全身を鈍く光らせてこちらを狙う、近未来的で巨大なそれは。
「どう見てもでっかく歪んだアサルトライフルです、ってか……?」
馬鹿な。とぼやいた司の声をかき消すように、銃声が響く。
腕の銃は電気式らしい。雷撃を纏い走る銃弾が、船と四人の身体を穿つ。
「危な――!」
司は咄嗟に、近くにいたみあへと駆け寄る。が、伸ばしたその手は間に合わない。
銃弾は背中から彼女の脇腹と腕を抉り、肩口の髪を散らす。
痛みに顔を歪めた彼女の手を掴み、引き寄せる――が、その腕や身体にも銃弾が降る。
数発とはいえ、自身の身体を容赦なく灼くその痛みに視界が暗転し――。
「お兄ちゃん!」
みあの呼ぶ声に、すぐさま手放しかけた意識を取り戻す。
気を失ったのは一瞬だったはずだが、その間に銃撃は止んでいた。
「痛たた――まだStG44の時代でもないってのに、何この……すごく近未来的なダメージ」
思わずぼやくほど、彼はすっかり「この時代」からかけ離れた存在となっていた。このダメージが、あの光沢が。予想はしていたけれども。彼はもうあの将校、コルネリウス・バルトではないんだ、と否応なしに認識させた。
「っと、みあ。大丈夫か?」
うん、と頷くみあに相槌を打ちながら立ち上がってみる。みあの傷はもう大した事なさそうだった。一報自分は、服があちこち破れてしまったものの血は流れていない。火傷になっている傷もじきに治りそうだったが、もう少し時間が必要そうだ。
足元を見れば、そこには身体を外れた銃弾がめり込んでいる。命中と同時に灼けたと思しきその箇所は、炭を通り越して黒く艶やかな物体へと変化していた。
うわあ、とそれを眺める司に、みあの足音が聞こえた。
「じゃ、お兄ちゃん。あたしもそろそろ行ってくるよ」
彼女はそう言い残し。二人を追うようにアイゼンオルカへと駆け出していった。
ただ一点を狙って駆けていた霧緒は、向けられた銃口に気付く事が出来なかった。
格好の的となった彼女は、真正面から銃弾を受ける。
その場に倒れる事だけは堪えたものの、痛みに思わず声が漏れる。
腕が。胸が。足が。銃弾を受けた箇所が灼けるように痛む。
「……痛い、なあ」
声に出してみると、なんだか可笑しかった。
とても当たり前の感覚であるはずなのに、それがなんだか今の自分には合わないような。そんな気分だ。
それはそうよ。と声がした。
だって貴女はもう、壊れてしまっているではないですか。
さあ。と、声は霧緒の視線を船上の青年将校へと向ける。
変異した腕。中途半端に切り裂かれた喉。そこから漏れる、紅い光。
ほら。と声は勧める。
壊しましょう。壊してしまいましょう。
狙うべきはただ一つ。他には何にも要りません。
さあ。今度こそ。
「……そうですね。今度こそ、あの首狩らせていただきましょう――」
誰にともなく頷き、アイゼンオルカへと駆け出した彼女に、もう痛みなんてなかった。
霧緒の靴音を追いかけるように走っていたリンドがその銃口に気付いたのは、銃弾が放たれる直前だった。
「――!」
最も近い距離で真正面から銃弾を受けた霧緒が、声にならない声を上げて数歩よろめく。
それに気を取られた瞬間、リンドの身体も銃弾が掠めていく。
「――ち」
灼ける痛みに意識が飛びかけるが、リンドは足を止めない。足元に打ち込まれる銃弾をくるりと躱し、そのまま一直線にアイゼンオルカへと飛び乗る。
甲板には外から見えた通り、白い異形が大量に湧いていた。
すっかり目の前は埋め尽くされていたが。後ろから飛び込んできた霧緒が鎌を振るい、弾き飛ばし、強引に道を切り開きながら駆けていく。
その後に続きたい所だが、後からあとから湧いてくる異形は、その開いた隙間をすぐに埋めるように立ち塞がる。
「お前達は邪魔だ!」
そう吼えるリンドの周りに現れるのは、冷気から結ばれた水の刃。
その刃は次々と生み出されては吹き荒れ、白い異形を切り裂いていく。
腕を上げて止めようとするモノも、そのまま為す術無く切り裂かれるモノも。次々にその刃に裂かれては倒れ、蒸発するような音を立ててながら消滅していく。
吹き荒れる刃は着実に異形の数を減らし、大半を消し去ったその時。リンドの頭上にふと、影が差した。
「――な!」
慌てて一歩飛び退くと、リンド目の前――異形との間を遮るように落ちてきたのは、アイゼンオルカの帆。
自身の設備を押しつぶすように落下してきた大きな支柱は、甲板から伸びた電流を絡めて地面をへこませる。残りの異形を狙うはずだった刃がその帆を切り裂き、電気に反応して大きく弾けながら霧散した。
「なんかすごい音がしたけど――って、あら。随分と減ったわね」
後ろから聞こえたその声は、みあのものだった。
「多少討ち損ねたがな」
新たな刃を生み出しつつも不満げなリンドの返答に、みあはくすりと笑う。
「一度でこれだけなら十分でしょ」
そう言って、残った異形とその先に立つバルトを見据えたみあの髪を風が揺らす。
その風はみあを中心に渦を描き、不思議な香りと共に甲板を包み込む。
「じゃ、残ったご褒美に――絶望を教えてあげる」
すう、と小さく息を吸い、小さな旋律が紡がれる。
「――♪ー、♪――」
船に、異形に。染み込むように広がるその声は、風に乗って広がり、彼らを蝕む。
たとえ水の刃に耐えたとしても。次いでやってくるのは音と香りの苦しみ。外から。中から。切り裂き、蝕まれる異形達はその姿を保てず消滅していていく。
青年将校の姿をした影にも、その風は届いていた。
振るわれる鎌を無表情で避けるバルトは、服を軽くはためかせた風に左腕を翳した。それが何かのスイッチだったのか、足元から電流が壁のように立ち上がる。
電流は瞬く間に傍らのマストを駆け上がり、その支柱を焼き切って落とす。
あちこちにロープを引っかけながらもバルトを隠すように落ちたそれは、みあの歌声と風を受け、蝕まれるように崩壊した。
布屑となった帆と支柱の向こうに立つバルトの左腕に、鎌が突き立てられる。が、彼は何の影響も受けていないような表情で、ただ無機質な目を二人の方へ向け。
『絶望……理解不能』
一言、そう答えた。