CLIMAX - 2
船が近付き、甲板の様子が分かるようになってきた頃。
アイゼンオルカ側も、接近する船に気がついたようだった。
船に立ち向かう如く並ぶ四人。
彼らに対峙するように、甲板に人影が現れた。
金色の髪。四人を見据える青い瞳。きっちりと着込んだ軍服。
それから、大きく切り裂かれた喉から漏れる、紅い光。
『お前達は――我らと敵対するのか。一度は生存を優先したというのに』
金属音のようなノイズが混じるその声は、あの青年将校、コルネリウス・バルト、だったもの。だ。
不明瞭に聞こえるのは、彼が母国語としていたであろうドイツ語の他に、いくつかの言語が同時に発せられている為らしい。
その声に真っ先に吼えたのはリンドだった。
「ユウキを返せ!」
威嚇も混じったその声に、バルトの動きが止まる。
リンドの鋭い視線に返ってきたのは、どこか無機質な視線。
『――』
何も言わない彼に、リンドが今一度口を開いたその時。
『固有名詞:ユウキ』
ノイズ交じりの声が響いた。
それは淡々と、何かを読み上げるかのように紡がれる。
『――識別失敗。それは如何なる存在か?』
「な、に……?」
リンドが怪訝そうな顔をする。
「お前の船に居るだろう。十歳くらいの人間の男が」
『十歳――誕生から十年間、人間の同一個体を観測した例はない。“十歳くらい”とはどのような状態か?』
その問いかけに、リンドは気を削がれたらしく、大きくため息をついた。
「――あんた相手に問答をやるつもりは、ない」
話にならない、と首を振る。
そんなリンドとバルトの問答を見ていたみあは、ふむ、と息を漏らした。
「見た目だけじゃなくて、中身も機械みたいね……」
「だなあ……。しかし、十年間観測した例がない、か」
色々不可解だ、と司は複雑な顔をした。
「大体あの紅い光……そもそもさ、あの石と異形……何なんだろう?」
な、とみあに向けて軽く話を振るが、みあはその声にちらりと視線を向けただけで、視線をすぐアイゼンオルカへと戻した。
まだ船の上には居ないけど、と彼女は厳しい目つきで甲板を見上げる。
きっとこの間と同様に白い異形が湧くのだろう。
渋谷駅での例もある。もしかしたら、中の人達も危ないかもしれない。
そんな、この時代の“記録”には存在しない、自分達が連れてきてしまった“あれ”は一体。
「――一体、何かしらね」
少しだけつり上がった口元は、髪の陰に隠れて誰にも見える事はない。
彼女は「さて」と小さく繋いだ。
「リンドが心配してる有樹君もきっとあの中でしょうし、さっさとこいつ壊して探しちゃおう?」
「そうだな、そうしよう」
全員がその言葉に頷き、敵対の意思を示すようにアイゼンオルカへと向かい合う。
無感情に向けられていたバルトの視線と、全員のそれがぶつかった。
『――敵対行動の準備行動を検出。“アイゼンオルカ”、は反撃行動に移行――』
響いたその声が合図だった。
アイゼンオルカは重い音を立てながら船首の向きを変え、小さなスクーナー船と並走を始める。
並走した事で見通しが良くなった甲板に、次々と湧き出る何かも見えた。
「あれは……」
思わず呟きが漏れる。
獲物を求めるようにゆらゆらと蠢き、あっという間に甲板を埋め尽くしたそれは、予想した通り、白い異形達だった。
それらを背にして甲板に立つバルトは、空を仰ぐように顔を上げた。
見上げるような首の動きに、喉元の傷口が開く。
それはまるで、何かの話に出てくる箱の蓋のように。
開く喉から広がる紅い輝きは、息をつく間すら与えずに、海を、空を禍々しく染めていく。
波のように押し寄せる紅い光。それに惹かれ湧くように、体内のウイルスが急激に活性化した。
「――ちっ、《ワーディング》か!」
司が思わず毒突いたその間に、耐えきれなかった船員が次々と倒れていく。
活性化するウイルスは、彼らの衝動を沸き立たせ、騒ぐ。
全員が衝動の波を抑えた――、と思った瞬間。
ふら、と隣の白い髪が揺れた。
傘の先が甲板に当たる音が響く――が、支えようとした手は崩れた膝に耐えられない。
そのまま傘を抱き込むように、彼女はずるりと座り込んだ。
「――お姉ちゃん?」
抑えきった衝動の残滓を振り切って声をかけてみるも、反応はない。
ただ、傘を抱きしめたまま。彼女は震えながら蹲っている。
息苦しそうな彼女の様子を、司とリンドも覗き込む。
「霧ちゃん?」
大丈夫か? とかけられた声に返ってきたのは、離れて、ください。という絞るような声と。前髪から覗く、話しかけた相手の方向すら捉えきれない虚ろな目。
それもすぐに、乱れた呼吸で揺れた髪に隠されてしまう。
呼吸の合間に、何かに抗おうとする声はするが、それは途切れ途切れで弱々しい。
「……これは」
二人ともちょっと離れて、と後退るように距離を取ったのとどちらが早かったのか。
苦しげに漏れていたその呼吸が、少しだけ大きなうめき声に変わり――ぴたりと止まった。
そして替わりのように漏れたのは、くすくすと笑う小さな声。
「キリ!? ……これはもしや」
焦るリンドの声を、静かに肯定する。
「……負けたわね」
それは、さっきの《ワーディング》で急激に沸き立った己の衝動。
彼女の衝動が何なのかは分からないが、このままでは彼女の暴走は免れない。
みあは二人の方を振り返る。
「このままじゃ危ないわ。二人とも早――」
言いかけた言葉を遮るように、背後から風を切る音が割り込んできた。
直後、みあの髪と頬を鋭い風が掠め過ぎていく。
「……」
思わず黙る。
「ねえお兄ちゃん」
「なんだい」
「あたしの後ろ、今どうなってるの?」
「うん、良い質問だな」
司はみあの背後から目を離さずに答える。
「霧ちゃんが鎌持って笑ってる」
やっぱり! と振り返ると、そこには言われた通りに霧緒が立っていた。
「……ふ。ふふ……」
さっきまで確かに傘だったモノは、いつの間にか大きな鎌になっていて。
くすくすと笑いを漏らすその表情。前髪の隙間から船を見回すその目。
どれをとっても、彼女はすっかり正気を失っていた。
紅い光と波の音の合間に、楽しそうな声がする。
「ふふ……素敵。まだまだ壊れていないんですね……。ならば私が、みーんな壊して差し上げましょう――」
そんな言葉と共に背を向けた彼女が鎌を振るえば、海と船を隔てる手すりが波間に落ちていく。そのまま楽しそうにくるりと振り返った彼女は――次の獲物を捉えようとしていた手をぴたりと止めた。
ぱちり、と瞬きをするその目に映るのは――自分達三人の姿。
「――ああ」
失礼しました、と霧緒は声を納めた。
「そうですね。モノには順序というものがありました」
替わりのようにふわりと笑みを浮かべるが、彼女の目は狂気のそれ。
すい、と静かな動作で獲物を構える。
「ええと。皆様――覚悟の方は」
「よろしくねえよ!?」
叫ぶように答えたのは司だった。素早くホルダーに銃をしまい、背を向けて駆け出す。その先は、ワーディングに倒れた船員が転がる船の舵だ。
「やるなら後ろの奴からやってくれ!」
舵の前に倒れている船員をどかした司が、そう言いながら舵を握る。
霧緒は「うしろ」と一つ呟いて、振り返った。
その視線の先に居たのは、切り裂かれた喉から紅い光を漏らす青年将校。
ぱちり、と瞬きをして「彼」を認識する。
「――あら」
あらあらあら、と霧緒は楽しげに呟いて獲物を構え直す。
「そうね。そうですね。それが良いです。まずあれから落としてしまいましょう!」