SCENE6 - 2
家族を助けたいという自分と、守るべき誰かの所へ戻りたいという霧緒。
そんな二人の言葉を聞いて、桜花は思案しているようだった。
あの悪魔の船に挑むという事。それがどれだけ大きな事か、知っている故の思案なのだろう。
きっとそれは、世界情勢だって含んだ事なのかもしれない。
しばらくの沈黙の後、彼女は大きく息を漏らした。
「――分かりました。船を、貴女達にお貸ししましょう」
ただし、と彼女は二人を見据える。
「辿り着くだけです。あのような悪魔の船に敵うような武器は、何一つ積んでいません。それで、構いませんか?」
「ああ。それだけでも十分有り難い」
感謝する、とリンドが頭を下げると、桜花は何も言わずに目を伏せた。
「こちらで用意できるのは一隻。お貸しできる水夫も、船を動かすぎりぎりの人数ですので、戦闘になっても協力は出来ません」
本当に、それで構いませんね? と桜花は上げた視線で問う。
それには霧緒が頷いた。
「ええ、ありがとうございます。こちらから頼んでいる話ですし……十分すぎるほどです」
桜花はそうですか、と頷いた。
「皆さんが出発した後になるとは思いますが、私も人を集めて追います」
だから、と言葉を切った桜花の目に不安の色が混じる。
「どうか無理をなさらないで」
心から身を案じている顔だった。
「気安く返事は出来ないが――」
それに答えるように口を開いたのはリンドだった。
桜花の視線がリンドへと向く。
「分かった。俺達も死んだり捕まったりするのは本意では無いからな」
そう言いながら、溜め息をつくように軽く首を振る。
「リンドの言う通りだね。――そうだ。桜花さん」
霧緒の呼びかけに、桜花が視線を戻す。
「急なお願いでしたが、本当に。ありがとうございます」
丁寧に頭を下げると、白い髪がさらりと落ちた。
顔を上げた霧緒に、桜花は静かに首を振る。
「いえ、私がお手伝いできるのは、きっとこのくらいですから」
そう言って彼女は袂から取り出した何かをテーブルの上に何かを置き、差し出した。
「霧緒さん。これを」
揃えられた指が離れたそこにあったのは、お守りのような袋だった。
文字が書かれている場所にそれはなく。代わりに刺繍されていたのは、見た事の無い文様。
狐の意匠が施されたそれは、家紋のような印象を与える。
だが、それはお守りに描かれるようなものだっただろうか。
「……これは、お守り……ですか?」
霧緒も首を傾げてテーブルのそれに視線を落としていた。
「これを見せて葛城からだと言えば、船を出してくれます」
それから、と彼女が言葉を繋ぐ。
「彼らに立ち向かうというならば、きっと、力になってくれましょう――」
どうぞ持って行ってください、と手のひらで勧める。
「ありがとうございます……では、お預かりしますね」
霧緒はその守袋をそっと手に取り、鞄へしまった。
それを待つ間に、リンドは問いを投げかけてみた。
「……一つ聞いていいか?」
「なんでしょう?」
答える桜花の声はいつも通りのもの。
「どうしてオウカは……そこまでしてくれるんだ?」
「どうして、ですか?」
疑問そうな声に、ああ、と頷く。
「ドイツは友邦国だろう? 俺達みたいな流れ者に与して。味方を敵に回すかもしれない事に、手を貸していいのか?」
この頃の日本は、ドイツと協力関係にあったはずだ。
自分達は、異邦人――日本人と認識されながらもドイツの持つ戦艦に戦いを挑もうとしている。
下手すれば、両国の関係を壊してしまいかねないのに。
桜花は、止めるばかりか人を集めて後を追うとまで言っている。
本当にそれで良いのだとすれば、彼女の意図はなんだろうか?
「――友邦国であるからこそ」
桜花の返事は静かなものだった。
「最初に我が国に牙が突き立てられるのを座して待つ訳には参りません」
そう答えながら、静かにリンドの目を見据える。
真摯な眼差しでリンドの問いに向き合い、「彼らを追う貴方は、ひょっとして見たのではないですか?」と折り重ねるように問いかけた。
「機械に身体を替えられた兵士。これから替えられてゆこうとする誰か。そして、彼らによって涙を流す、咎無き民の姿……私は、日本がそうなる事を、決して許す訳にはいかないのです」
「なるほど……日本の為、か。オウカみたいなのがいるなら、日本は大丈夫さ」
リンドは少しだけ笑った。
「ありがとう。そう、祈っております」
そう礼を返した桜花は目を閉じて、微笑んだ。
何処か遠くに思いを馳せるような。何か大切なものを思う顔だが、その声は決して楽観したものではないように感じた。
桜花の答えに満足したのか、リンドはテーブルを飛び降りて尻尾を向けた。
「じゃあ、俺達は行く。――キリ、いこう」
「あ、うん」
呼ぶ声に頷いて、席を立つ。
ドアの前で待つリンドに追いついた霧緒がノブに手をかける。
と、その手を離して部屋の方へと振り返った。
「桜花さん」
「はい?」
「本当に、ありがとうございます」
鞄に入れたお守りの位置を手でそっと確認して、頭を下げる。
リンドも振り返り、桜花へと視線を上げる。
「また会おう」
その言葉に、桜花は少しだけ微笑む。
「ええ」
その言葉に満足したようにリンドはドアへと向き直り、ドアを開けてくれと尻尾で促す。
霧緒が少しだけドアを開けると、その隙間からするりと廊下へ出た。
霧緒は部屋を出る直前、もう一度だけ振り返った。
桜花は数歩だけ間を置いて立っている。
少しだけ心配そうな目をした彼女に、大丈夫ですよ、と微笑む。
「それでは、また」
どちらとも無く交わしたそんな数文字にたくさんの言葉を詰めて。
霧緒もその部屋を後にした。
□ ■ □
部屋に残る桜花は一人、遠ざかる足音を聞きながら二人が出ていたドアを見つめる。
「やはり……お話してはいただけませんでしたね」
ぽつり、とそんな言葉が漏れた。
突然現れた二人の少女。人の目をした猫。きっと同じような境遇であろう少年。
彼らが何を追っているのか。
何故私の事を知っているのか。
きっと、自分にはどうしても話せない理由があるのだろう。
「まあ……いいか」
小さく漏れたその呟きはほんの少しだけ、寂しげなものだった。