SCENE5 - 1
悪魔の船から逃げた一行は、霧緒とみあが取っていた宿へと戻ってきていた。
残念ながら空き部屋は無く、宿の主人は「祭りじゃなければねえ」という言葉と共に毛布と枕をもうひとつずつ用意してくれた。
「うーん……やっぱりあの白いのが気になる」
「気にしても仕方ないだろう」
奥のベッドに腰掛けてぼやく司の隣で、リンドは尻尾を振りながら言葉をぴしゃりと投げた。
そんな不機嫌そうな猫に対して、司は「気になるさ」と口を尖らせる。
「だって俺達がこんな時代に来てしまった元凶にも等しいんだぞ? 帰る手掛かりをみすみす失うような事は避けたいんだよ」
「気持ちは分かる」
だがな、と続けようとしたリンドが、何かに気付いたように窓際へと目を向けた。
窓に近い椅子に腰掛けていたのはどこか難しい顔をしたみあだった。
「ミア?」
声をかけると、彼女は瞬きをひとつして、リンドの方を振り向いた。
「何?」
「いや、お前、なんか様子が変じゃないか?」
その言葉に、みあは「そう?」と軽く首を傾げた。
その仕草を見たリンドはベッドから飛び降り、窓際へと移動する。
「そうだ。何か考え込んでるような顔をして」
どうしたんだ、と目の高さを合わせる。
覗き込んだ深緑は昼間見るよりも一層暗く、何かを抱えてるように見えた。が、それが何かと考えるよりも先に、その目がふと、笑った。
「最後に見た“アレ”がね」
そう言ってみあは椅子に座り直す。
「あたし達に“恩”があるって言ってたの」
どういうことか分かる? とみあは視線だけで問いかける。
「恩?」
強調されたその単語を、確認するように繰り返すと、彼女は「そう。恩よ」と繰り返した。
「“アレ”を、あたし達がこの時代に運んできた、という事」
それが彼の言う恩だと、みあは言う。
「私達が、この時代に運んできた?」
温かい飲み物が入ったトレイをテーブルに置きながら、霧緒は彼女の言葉を繰り返し、司も「どういうことだ?」と首を傾げた。
「言葉通りの意味よ」
と、みあは受け取ったマグに口をつける。
「あたし達はこの時代へ飛ばされてきた。その時に石も一緒に運んでしまった。それらは私達の身体にまだ残ってるわ」
そう言ってマグを持つ自分の右手首を示しながら、「ただ」と呟いた。
「――一つを除いて、ね」
そうよね? と問いかけるみあの視線。その先で、リンドは揺らしていた尻尾をぱたりと止めた。
みあの視線につられるように尻尾の先を見た司が、あれ、と声を上げる。
「リンドお前、あの紅いのはどうした?」
「無い。お前と別れた時には既に消えていた」
「ははあ。成程」
「俺の石が消えて。アイツは石を手に入れた。……俺達がこの時代に運んできたとはつまり、アイツについていたあの石が、俺についていた物だという事か」
「そう言う事になるわね」
原因も理由も分からないけど、とみあは小さな溜め息と共にリンドの言葉を肯定した。
「石とオッサンの因果関係は分かったけど……理由とか原因、なあ」
うーん、と考え込むように天井を見上げた司は、大した間も明けず「そういえば」とリンドに視線を戻した。
「あのオッサン、逃げ出したお前を必死で追いかけてたな。それも石が……って訳じゃないか……」
「うむ。俺がアイツに追われていた時はもう、石は無かったからな」
「でも」
そう口を挟んだのは霧緒だった。両手を暖めるようにマグを包んで、リンドの方に視線を向けた。
「リンドが追われた理由なら察しはつくよね?」
「……異邦人、だろうな」
そう、と霧緒は頷くように目を伏せた。
「異邦人?」
なにそれ、と首を傾げた司に、霧緒は「この時代に飛ばされた人達の事です」と答えた。
「“虚空から現れた異邦人”と呼ばれているようですが、私達がこの時代に落ちた頃から、その目撃証言があるんですよ」
と、手に入れた情報を掻い摘んで伝える。
「その異邦人達はドイツの船――アイゼンオルカに集められているといいます」
「へえ……あの船に異邦人」
そうなんだ、と呟きつつ、司はベッドに仰向けに倒れこんだ。
「そんな噂になるって事は、割と大規模に飛ばされてる?」
「そうですね……そこは人によってまちまちですが、私が聞いた範囲では二、三十人といったところでしょうか」
「へえ。そんなに」
「ええ。思ってた以上の人数ですよね。多分、あのホームに居た人達は巻き込まれたと見て良いのではないかと……って、河野辺さんも同じ船に居たのでは?」
霧緒が首を傾げると「うん、居たけどさ」と怠そうに答える。
「俺はずっと独房生活だったからね。……そっか。他にも居るなんて気付かなかったなー……」
東洋人は一人だけ見たけど、と司はぼやくように思い返し、手近にあった枕を抱き寄せて寝返りを打つ。
お日様の香りがする、という訳ではないが、清潔に保たれた枕と柔らかい冬用毛布は、とても心地よい。
「ぁー、布団って新鮮」
「? お兄ちゃんは布団が新鮮なの?」
問いかけるみあに、司は布団から視線だけを向けて、何とも言いようのない顔をした。
「……待て、そんな可哀想な物を見るような目をしないでくれ」
「え。だって」
「何。最近ちょっと普通に感じ始めた独房のベッドが、どんだけ質素というか冷たくて固いか説明するといいの?」
「……ううん」
いらない、と首を横に振るみあ。それを見た司は「だろう?」と言いながらもう一度寝返りを打つ。と、茶色く塗られた天井が窓から入る光で照らされていた。まだ電気をつける程暗くはないが、緯度の高いこの地域では、あっという間に日は落ちてしまうだろう。
「バルト少佐が異邦人をアイゼンオルカで追いかけてる、ねえ……」
言葉にしてみると、あまり良い状況でないという実感が増した。
彼らは、この時代にないものを集めて一体何をする気なのか。
それが一体、どんな影響を与えるのか。
それを判断するだけの、考察するだけの。食い止めるだけの。
材料が、足りない。
「――よし」
枕を抱いたまま身体を起こす。
その勢いでベッドから離れ、元あった位置に枕を戻し、脱ぎ捨てていたコートと鞄を手にする。
「俺、ちょっと情報集めてくる」
「集めてくる、ってお前。アテはあるのか? 」
尻尾をぱたんと 一度だけ揺らしたリンドの問いに、司は振り返って答える。
「なあに。アテなんてものはこれから探すのさ」
捕まってる間ずーっと暇だったから色々やりたいんだよ、と軽口を叩くと、リンドはため息をついてニヤリと笑う。
「成程。ツカサらしい」
「そりゃどーも」
軽い返事にリンドは答えず、代わりのように窓枠を降りて司の足元へと寄る。
「情報収集には賛成だ。……もし他に異邦人が見つかるのなら、コンタクトを取りたい」
「そうだな。話が出来ればさっきの話も裏付けが出来るだろうし」
「うむ」
頷くリンドの隣へ、コートを手にしたみあと霧緒もやってきた。
「ん? 二人も行く?」
司の問いかけに、二人は頷く。
「ええ。ちょっと言語面に不安はありますが……だからと言ってここで待ってる理由もありません」
「もちろん。異邦人もそうだけど、さっきの船にたくさん居た異形とか、気になることいっぱいあるしね」
そう答えつつ外出の準備を整えた二人を確認した司がドアを開けた。
「そうだな。――じゃ、行きますか」