SCENE4 - 3
「――ちょっとリンド。呼ばれたわよ?」
甲板の入り口に程近い荷物の影で、リンドはみあからそんな声をかけられた。
兵士達の隙をついてリンドが忍び込み、その後を追うようにして隠れ潜んだ荷物の影。
荷物の隙間から伺うその細長い景色の中には、背を向けて立つ青年と、戦艦内部への入り口からこちらを見る司の姿が見える。
自分は勿論。みあも霧緒も、司の立つ位置からは死角であるはず。
だというのに、司の声は確かに自分達へと向いていた。
視線も――交わりはしないが、こちらを向いている。
どんなカラクリかは分からないが、彼が自分達の存在に気付いているのは、間違いないようだった。
存在がバレた以上、ここに潜み続けるのは難しい。
行くしか、あるまい。
リンドは小さく舌打ちをして、少女二人に背を向ける。
「キリ、ミア。とりあえず俺が出る。二人はもう少しここに隠れてろ」
そして、二人が口を開くより先に――甲板へと飛び出した。
「お前、どうして……!」
バルトを挟むようにして着地しながら、リンドは司に向けて声を上げた。
こちらを振り向いたバルトの向こうで、司は銃を持たない方の手を軽く掲げる。
「よう、リンド。久しぶり――言っておくが未だにマグロは手に入れてないぜ?」
「見れば分かる」
まるで街中で偶然出会ったかのようなそれに、ぴしゃりと言い返す。
「こんなごつい船じゃマグロは釣れなくてね」
「だろうよ。これは何処から見てもイカ釣り漁船だ」
マグロは期待できん、と首を軽く振った。
「それはそうと……」
リンドは司から視線を外し、こちらを見ているバルトを睨みつける。
『噂は聞いたぞ。相変わらず変態だな――オッサン』
いつでも飛びかかれるように身構えると、甲板に軽く立てた爪が小さな音を立てた。
飛び出してきた猫をまじまじと眺めていたバルトは、その声で正体に気付いたらしい。
『そうか。あの時の猫――。仲間を助けにきたか』
と、目を細め。
『この船を突き止めるとは、さすがに如才無い』
と、唇を笑みの形に歪めた。
行動の一つ一つにぎこちなさを感じさせるそれは、リンドのヒゲに言いようのない不安を伝える。しかし、リンドはそれを無視するように「ああ」と頷いた。
『あの時は世話になったな。悪いが、そこの人間には貸しがあるんだ――返してもらおう』
その言葉にバルトは唇を歪めた笑みのまま、右足を一歩引いた。
『良いだろう――受け取るが良い』
静かにそう告げながら、右腕が動く。
肩の高さまで勢いよく振り上げ、翻した反動で、その手は手首から先が折れるように外れ、パクリと断面を見せた。
そこから覗くのは赤い肉に白い骨――ではなく。
冬の太陽の光を鈍く照り返す、鉄色の砲身。
『このドイツ究極科学の申し子たるコルネリウス・バルトの力ごとな!』
そうして彼はその砲身を司へと向け、辺りに響き渡る声で笑った。
「ツカサ!」
「――全く」
早くこっちに、と司へ呼びかけようとしたリンドの声は、どこか苛立たしそうな少女の声で断たれた。
「な……!」
リンドがその声に振り返った先には。
どこか呆れたようにため息をつく、ウェーブのかかった赤い髪の少女と。
癖の残る白髪から黒いヘッドホンを覗かせた、若草色の傘を持つ少女。
「ミア、キリ……」
隠れていろと言ったはずなのに、と口を開きかけたリンドに、みあは「ちゃんと隠れてたよ?」と視線を向ける。
「でもこの状況じゃない」
呆れたような彼女の視線がさくっと刺さる。
「二人ともさっさと逃げないで呑気に漫才なんかしてるからこんな事になるのよ?」
みあが深く溜め息をつくと、霧緒も隣で「そうそう」と同意しながら司に視線を向けた。
「全くこの状況で――河野辺さんも悠長すぎます」
「いやあ、これでも全力でここまで逃げ出してきたんだけどね。そっちにも行きたいんだけど」
そこのオッサンが邪魔でさ、と肩をすくめる司に、霧緒は「なるほど」と小さく息をついた。
「それではこの状況を早々にどうにかしましょう。――リンドは、どうすると良いと思う?」
霧緒が問いかけたその言葉に、リンドは前へと向き直った。
自分達と、バルトと、司。
この船から降りる通路は自分達の背後のみ。
「俺達は兎も角、ツカサはこのまま外へは逃げられん」
アイツを倒さない限り、とリンドは呟く。
「と、言う事は?」
みあが拾い上げたその言葉を継ぎ、リンドは正面を見据えて身構える。
「奴と戦うしか、ない」
「――そうね。そうと決まれば」
そう言いながらみあはリンドを抱えた。
「おい、お前……何するつもりだ」
抱きかかえられたリンドは、思わず身体を硬くする。
思わぬ不安に揺らいだ視線をみあは真直ぐ受け止めて。
「大丈夫、リンドなら大丈夫」
と、笑った。
何も言わずに大丈夫、じゃない。という反論の間もなく、みあはリンドをボールのように頭の上へと上げ。
「うわ。ちょ、待――!」
必死の制止も虚しく、その小さな身体は力一杯ぶん投げられた。
ぽーん、と弧を描いて飛んでいくリンドは、バルトの遥か上を飛び越えて司の傍へと――。
『させるか!』
届く前に割り入ってきた声と腕に遮られた。
突如目の前に飛び込んできたその腕に前足をつき、そのままくるりと真下へ落下する。
猫の軌道を遮ったのは、間に立っていたバルト。
脚からのジェット噴射でジャンプの高さを補ったバルトは左手を伸ばし、猫の軌道を弾いていた。
「……ちっ」
猫は突如崩された体勢でも慌てはしない。舌打ちを一つして着地した足元はやけに熱い。
「あっ。脚からジェットとかずるい!」
少し離れた所から、みあのそんな声が聞こえた。
見上げてみれば彼女言う通り、脚からジェットを噴射して空中に停滞するバルトが見えた。
成程。ジェット噴射は確かに予想外。高く狙った軌道をいともあっさりとカットされてしまった彼女は、文句の一つも言いたくなるのだろう。
だが、今のリンドにはそれ以上に見逃せない事があった。
「おいミア」
唸るように呼びかけると、彼女は「何?」と眉を上げて答えた。
「地が表に出ているのは置いといてやろう」
だがな、と続けるリンドの声に、みあが不満そうな顔をする。
「地って何よ。あたしはいっつもこんな感じだよ?」
「それが地だと……いや、それはいい。だが、お前俺を放り投げた事に関しては何も無しか!」
軽く威嚇すると、彼女は溜息と共に首を傾げた。
「リンドはお兄ちゃんの近くが良いんじゃないかっていう、ちょっとした気遣いよ?」
「……知ってるか?」
少しだけ俯いたリンドの声は、震えている。
「うん?」
「そう言うのは、余計な世話、と言うんだ……」
「余計な世話って……。お姉ちゃん、猫が心外な事を言う!」
「えっ」
突然話が飛んできた霧緒は困ったような声を上げたが、すぐに「それよりほら」とみあの背中に手を添えて前を向かせた。
「二人とも仲が良いのは良い事だけど。ケンカの続きは」
言葉を切った霧緒は、腕に抱えていた傘を手に持ち替え、前を見据える。
「河野辺さんを、助けてからね」