SCENE4 - 1
何仙姑との話から三日。
あれから特に何か変化もなく、捕虜としての日々が続いていた。
しかし、今日は朝食が運ばれてきただけで、呼び出される事もどこかに連れて行かれる事もなく、司は部屋でぼんやりと暇を潰していた。
と。
ごぅん、と響く重低音と、軽く部屋全体を揺らす衝撃が伝わってきた。
「お?」
むくりと起き上がり、様子を窺う。
音も衝撃も一度きり。
どうやら船がエンジンを切った――どこかに泊まった音、らしい。
「泊まった、のかな?」
ベッドから離れてドアへと向かう。
『おーい看守。どっか着いたのか?』
と、ドアを軽くノックしながら尋ねる。
小さな鉄格子からは、見張り兵士の頭が見える。
壁にもたれかかる事無く立っている彼は、こちらを振り向きもせず、『貴様には関係ない事だ』とだけ答えた。
『相変わらずツレないな』
『そも、貴様に愛想を良くする理由など無い』
普段から素っ気ないが、今日は一段と素っ気がない。
どうやら機嫌が悪いらしい。と司は小さくため息をついてベッドへと戻る。
「さて……」
どうするかな、と思案する。
あの時手渡されたメモには、船が到着するのは今日だとあった。
そしてそのメモの通り、船は泊まった。
今日が、脱出する絶好のチャンス。
だけど、と司は小さく首を振った。
脱出するには、まだいくつかの課題があった。
まずは、ドアの鍵。
この間調べた鍵は、ちょっとやそっとの工作でどうにかなるものではなかった。
途中で気付かれたらおしまいだし、それで仲間を呼ばれたらもっと、だ。
次に、武器と荷物。
捕らえられた際に、持ち物は取り上げられている。それらがどこかに保管されているはずだ。
「アレも回収したいよなぁ……倉庫に行けばあるかなぁ」
うーん、とベッドに腰掛けて目を閉じると、船のあちこちからざわめく声と行き交う靴の音が微かに聞こえた。
ワーディングで彼らを一斉に無力化したら、簡単に脱出できるだろうか? と過るが、いやいや、と首を振って否定する。
この船にどれだけのオーヴァードが居るのか分からない。ドアの向こうに居る彼がそうなのかすら知らない。
エフェクトを使っている所も見た事はないし、そんな話を聞いた事もない。勿論、した事もない。
あんまりリスキーな事はしたくないよね、と司は一人頷く。
「と、なると。――一時間後を待つ、かな」
一時間。
その時間が最も警備が薄い。あのメモにはそうあったはずだ。
簡単に信じて良いかどうかは分からないが、彼女が自分に嘘をつく、という可能性は考えられなかった。
彼女の事を知っている訳でもないのに、そんな気だけは、しなかった。
それからごろごろとする事、一時間余。
むくり、と司は無言で身体を起こした。
目を閉じて周囲を窺うと、さっきと比べるまでもなく、人の気配が薄くなっていた。
「船の中の人も少なくなってきたようで――っと」
ベッドから腰を上げて、ドアへと向かう。
一歩分の間を開けて立ち止まると、なにやらぶつぶつという声が聞こえた。
どうやら見張りの彼は外に出られないらしい。
耳を寄せてみると、畜生、とか、どうして、とか。不満だらけの独り言が聞こえる。
それを聞きながら、司はそっとドアの鍵に手を伸ばす。
触れる直前。軽く手を振り、袖をぎゅっと握る。
離した指に握られたのは、小さなピン。
探った鍵の作りを思い出しながらそれを差し込み、調整する。
鍵の作りは多少複雑だったが、一度分かってしまえばそこまで苦戦する物ではない。
少しだけ集中すれば尚更だ。
一分もしないうちに、指先へ僅かな手応えがあった。
あとは捻るだけで良いはずだ。と司は息を詰める。
兵士は気付いていない。
外の様子を窺いながら一気に手首を捻ると、かちん、と小さな音がした。
『全くどうして俺がこんな――』
何かが聞こえたような気がして、愚痴っていた兵士は顔を上げた。
周囲には何もない。
耳を澄ましても、何も聞こえない。
普段ならもう少し人の足音が聞こえてくるが、今はそれもない。
久しぶりの停泊で、船員の殆どが降りてしまったらしい。
だと言うのに自分はこの有様だ。交代が来るまでここを離れる事すら出来ない。
自分の現状を作っているドアを視界の隅に引っかけ、舌打ちをする。
『――ったく』
そうして再び文句を呟きかけたその瞬間。
視界の隅のドアが勢いよく開いた。
ごがん、という盛大な音と共に、胸を潰されたような濁った声が上がった。
「……なんか変な声したけど大丈夫かな」
司がそっとドアの裏を覗き込むと、為す術も無く壁とドアに挟まれた兵士が床に崩れ落ちていた。
「うん。大丈夫そうだな」
よいしょ、と司は兵士の隣にしゃがみ、彼を仰向けにする。
ドアと壁で頭を強く打ったのか、彼が目を覚ます気配はない。
そんな兵士の服装と装備をざっと見て、彼が持っていた銃に手を伸ばす。
「これ――は大きすぎ」
がしゃん、と手にしたそれを部屋の奥へと投げ込む。
「銃弾、は、いらない……ナイフ、も、別に良いや」
兵士の身につけていた武器を確認しては、部屋へと放り込んでいく。
そして次の武器を手に取った時――近付いてくる足音が耳に届いた。
さっきの物音を聞きつけたのか、それは足早にやってくる。
足音は一人。微かに聞こえる音から背丈や持ち物を推測し、そっとその銃口を向けて待ち受ける。
真直ぐここへ。どんどん近付き――兵士が角から姿を現した。
『どうした、何か……っ!?』
角を曲がって真っ先に目に入ったのは、倒れ伏した兵士。
その背後で開いたままになっているドア。
そして、銃を向ける一人の少年。
それが捕虜の少年だと認識した彼は、手にしていた銃を向ける――が。
トリガーに指がかかるより先に、少年の一撃が彼の肩を撃ち抜いた。
思わず取り落とした銃に血がぱたぱたと落ちる。
放った銃弾は関節に食い込んで止まったらしい。呼吸する度に軋む肩を押さえ、兵士は壁に凭れながら膝をついた。
血は、押さえた手袋や服をあっという間に赤く染め上げる。
荒い息で自分を睨みつける兵士を気にかける様子も無く、司は今し方自分がトリガーを引いた銃のグリップを確かめるように握り直した。
「んー。流石ドイツ軍制式採用、ってとこかな」
こんなもんか、と一つ頷き、ようやく自分が銃を向けた相手の方を向いた。
兵士は肩を押さえて座り込んでいるものの、その視線は爛々としている。
『貴、様――このままで、済むと』
『思うなって? へえ』
相手が民間人であれば簡単に制圧できたであろうその視線にも怖がる素振りすら見せず、司は兵士の前に立った。
腕を動かす事すら侭ならず、彼は血の染みを広げながらも司を睨みつけるように見上げる。
司もまた、彼を見下ろす。
落としたとはいえ、兵士の銃は、少しでも指を動かせば届く位置にあった。
それを軽く蹴り飛ばして彼の手が届かない所へと滑らせ――その踵で、兵士の肩を踏みつけた。
『――――っ!!!!』
声にならない声を上げた兵士を、司は無感情に見下ろす。
『その状態で、面白い事言うね?』
ごり、と銃口を彼の額に押当てる。
兵士の荒い息遣いと鋭い視線に応えるように、ニヤリと口元をつり上げて足に体重を乗せ――。
『それは一体、どっちの話……って、あれ』
拍子抜けしたように言葉を切った。
かけた体重を戻しても、彼はぴくりとも動かない。どうやら今ので気を失ってしまったらしい。
溜め息を一つ着いて額の銃口を外すと、がくりと首が項垂れた。
足をどけると、床へと崩れた。
「力、入れすぎたかなぁ……」
動かない兵士を見下ろして、頭をかく。
「……っと。こうしてる場合じゃないや。ぼやぼやしてたらまた人が来そうだ」
さっさと武器を回収しにいこう、と倒れた兵士達に背を向ける。
これまで得た船内の情報は少ないが、それをフル活用して倉庫として使われてそうな部屋の位置に当たりをつける。きっとそこに自分の荷物もあるはずだ、と司は人の気配を窺いながら足を向ける。
数歩進んだ所で、廊下の角を一度だけ振り返る。
そこに残るのは、昏倒した兵士二人。
しばらく目を覚ます事はないだろう、と司は改めて背を向け、駆け出した。
足音をできるだけ殺しながら、「なんつーか」とぼやく。
「久しぶりにテロリストっぽいことしたなー……」
なんて呟きを残してその場を後にした。