SCENE3 - 4
彼女達二人を呼ぶその声は、人混みの中からやってくる桜花のもの。
どうやら気が済んで戻ってきたらしい。
「あ。桜花さん――よし。じゃあここで一旦作戦会議はおしまいかな」
お祭り観光に戻らなきゃね、とみあはリンドをひょいっと抱きかかえる。
「観光って……気楽だなお前達は」
みあの腕の中で呆れたようにため息をつく。
呆れてはいるものの、再会に安堵したような柔らかさを含んだ声。みあはその声色を受け止めるようにして、リンドを抱く腕に力を込め――
「桜花さーん! 見てみてー猫ー」
人混みからちらほらと見え始めた桜花の方向へと駆け出した。
『!?』
逃がすもんか、と言わんばかりにリンドを抱きしめてダッシュしたみあに、リンドと霧緒の声にならない驚きが重なる。
「お、おい……に、にゃー……!?」
驚きのあまり声を上げそうになったリンドは、慌てて鳴き声に変える。
人混みから抜け出してきた桜花は、「まあ猫さん!」とみあが抱きかかえた猫に向けて目を輝かせる。
「可愛らしい! 抱かせてもらってもいいですかっ?」
きゃっきゃと子供のようにはしゃいで両手を差し出す桜花。
大丈夫なんだろうな? と思わずよぎった不安を視線に込めてみあへと送るが、彼女はその視線をさらっと無視して「可愛いでしょー」とにこにこしながら猫の身柄を差し出した。
気付かなかったはずは無い。しっかりと視線は交差した。
その上で、この赤毛の少女は笑顔で視線を遮断した。
桜花の期待に満ちた視線が痛い程に注がれ、手渡される。
不安を抱いたまま、リンドはみあより一回り大きな――それでも細い腕に抱かれた。
肌に触れる着物は、柔らかな生地で不快感は無い。
漂う香りも着物と良く合っていて、むしろ安心感を覚える。
しかし。
それ以上に感じるこの不安は何だろうか。
訝しげに着物の主を見上げると、期待に満ちた子供のような目が自分を見下ろしていた。
嫌な予感がした。
興味津々すぎるその視線から思わず目を逸らす。と。
「ああもうっ!」
「ぐ……っ!?」
思わず声が漏れる程に、力一杯抱き締められた。
「可愛い……! この凄く不満そうな顔っ。かーわーいーいー!」
「にゃ……くるし……うにゃ、にゃー」
艶やかな袖と、暖かなストールに埋められ、頬を寄せられる。
それはもう、思わず声を上げそうな程に全力だ。
苦しい! 誰か助けろよ! と途切れそうな視線をちらりとみあへ向けると、彼女は自慢げな笑みを浮かべてその様子を見ていた。
その笑顔は「ね、可愛いでしょ!」と全力で語る。
助けを望める気など、これっぽっちもしなかった。
その間にも腕は身体を容赦なく締め付ける。
もうこのまま絞められて気を失うのではなかろうか。
思えば長かったようで短かった、と何かが脳裏をかすめそうになったその時。
「――桜花さん、離してあげないと。苦しそうですよ?」
そんな声が遠のきかけた意識に届いた。
「あら」
ごめんなさい、と遠くに聞こえる声と共に、腕の力が緩められた。
くたり、と身体の力が抜け、肌触りの良い袖に寄りかかる。
目を閉じて息をつきながら、ちらつきかけた星を追いやり、霞んだ意識を醒ます。
霧緒の小さなため息と、ちょっとした小言が少しばかり遠くに聞こえる。
「もう、力の加減をちゃんと考えてあげないと。――みあちゃんも、あんまりいじめちゃダメだよ?」
「はぁい」
ごめんなさいー、というみあの声が耳をぴくりと動かす。
さすがだ、キリはわかっている。と、最後の小さな星を追いやりながら息を吐く。
意識も随分とはっきりとしてきた。
それに比べて……と目をあけると、真直ぐこっちを見ていたみあと視線が交わった。
「大丈夫?」
小首を傾げて眉を八の字にするその表情は、リンドの身を案じているようにも見える。
しかし、リンドはその表情に眉を寄せる。
元はといえば、彼女がこの身を差し出したから起きた事態だ。
後で絶対に懲らしめてやるからな、と視線に精一杯の感情を込めて剣呑な空気を向ける。
みあはその視線をじっと見つめた後、ぱちり、と瞬きを一つして。
「うん?」
どうかしたの? と言わんばかりに首を傾げた。
うむ、清々しいまでの笑顔。
これは、わざとだ。
「ふ、ふふ……」
ふつふつと何かが沸く感覚に、思わず笑いが漏れる。
そうして笑い合ったみあとリンドの空気は一触即発。
もう一度。どちらかが少しでも動けばたちまち大騒ぎになる――という所で「二人とも」と小さな声が割り込んできた。
ぴたりと動きを止めた二人が視線を向けた先に居た音の主は、霧緒。
なんと声をかけたら良いか迷った結果だったらしく、和らいだ二人の視線にほっとした顔をする。
「――ほら。そろそろ日も落ちそうだし、ご飯、考えよう。ご飯」
ね。と傘を持ち直して提案する。
「桜花さんも、一緒に食べましょう?」
「そうですね!」
リンドが背を向けていた桜花は、目の前で繰り広げられていた空気に気付かなかったのか、嬉しそうに声を上げて賛同する。
「先程、美味しそうなお店を見つけたので、そこにしましょう!」
「わ、ほんと?」
ぱっ、と笑顔を咲かせて話に乗ってきたみあに、桜花は「ええ」と上機嫌で頷く。
「とっても良い匂いがして、本当はそのまま立ち寄りたかったくらい――。そうと決まれば早速向かいましょう。こっちです」
付いてきてくださいねー、と嬉しそうな足取りで桜花は二人に背を向けた。