SCENE2 - 4
水の都。その港に一隻の客船がやってきた。
長かった船旅はようやく終わりを迎え、下船する人々は、長かった旅路を思い返したりこれからの生活について語りながら散らばっていく。
そんな中、荷運びや入国手続きと言った諸々の手続きや作業を終え、宿に荷物を預けた三人は、祭りで賑わう町並みへと繰り出した。
歩く道。どこか洒落た看板のカフェ。水路を渡るゴンドラ。一見そうとは見えない場所も、よく見れば至る所に鮮やかさが咲き綻ぶ。
どこからか流れてくるのは、軽快な音楽。
多くの屋台には美味しそうな食べ物や綺麗な細工。
交わされる声に混じる明るい雰囲気は、言語が分からずとも伝わる。
そんな道を行き交う人々は更に華やかだ。
細かな刺繍細工が輝く、目を引く色合いのドレスにケープ。
色鮮やかな羽根飾りが揺れる帽子と、袖口に咲くレース飾り。
顔全体を覆う仮面は、まるで命ある機械人形のようにも見える。
謝肉祭真っ最中の街は、まだまだ冬を思わせる重い空色を忘れてしまいそうな位、春のような空気に覆われていた。
「うわあああ……華やかですねえ!」
着物姿の桜花が目を輝かせて嬉しそうに二人を振り返ると、羽織ったケープがふわりと揺れた。
「本当、綺麗ですねー……」
「へえ……」
華やかさは春さながらでも、気候はまだまだ冬だ。明るく弾む声も、周囲を見回して漏れる声も白く染まって消えていく。
一通りくるりと見渡した所で、桜花は残念そうにひとつ、ため息をついた。
「ああ、これで霧緒さん達と同じ宿だったら、夜も楽しいでしょうに」
「まあ……私達は予約とかできてませんでしたからね」
そこは仕方ないですよ。と霧緒が声をかけると、桜花は「そうですね」としょんぼり頷き――すぐさま顔を上げた。
「ですが! そんな事でめげる私ではありません! さあ、一緒にお祭り楽しみますよ!」
ね! と、桜花は明るい笑顔で、手袋をした二人の手を取った。
行き交うゴンドラを橋から見下ろし、船乗りに手を振り。
路地裏の看板を覗き、並ぶ屋台を見渡しながら、みあ達はメイン会場の広場へと向かう人波に乗った。
きれいな石畳。アーチ状の石橋。水路に沈む階段。
それら一つ一つに感嘆の声を上げて、道を進む。
広場に近付くにつれ、人は多くなり、思い通りに進むのが困難になってくる。
「みあちゃん。はぐれないようにね」
霧緒がみあを振り返り、空いてる方の手を差し出した。
「うんっ。ありがとう――って、あれ? 桜花さんは?」
「え?」
思わず足を止めた二人がきょろきょろと辺りを見渡す中に、桜花の姿は見当たらない。
「もしかして。桜花さん迷子?」
「人混みではぐれちゃったのかな……」
とりあえず往来の真ん中で立ち止まってはいけないわね、と霧緒の手を引いて道の端へと寄ろうとしたその時。
「――ほら! これ、どうでしょう?」
二人の目の前に突然、真っ白な仮面が現れた。
「!?」
目から上を覆い隠す白い仮面と、艶やかな黒い髪。
みあが思わず、ぎくりと肩を強張らせて視線を向けたその人は――桜花だった。
「お、桜花さん……」
「……もうっ。居なくなったと思ったら! ちょっと心配したんだからねっ」
良かった、と胸を撫で下ろす霧緒の隣で、怒ったような声を上げると、桜花は「ふふ、すみません」といたずらっぽい笑みでマスケラを外す。
「どうでしょう。これ、似合ってましたか?」
そう言いながら楽しそうに眺める真っ白な面は、渕をなぞるように並べられた石で飾られ、花飾りと羽が華やかさを強調する。
「ふーん……確かにあちこちで見かけるけど。変わったお面つけるんだね」
どんな意味があるのかしら、とみあは仮面をまじまじと観察する。
「魔除け、とかそんな役割ですか?」
首を傾げる霧緒に、桜花は再度仮面を掲げて笑う。
「こうして仮面を付けていると、誰だか分からなくなるでしょう? ――平民でも貴族の扮装ができますし、外国人でも気にしない」
そういう開放的なお祭りなんですって、と桜花は嬉しそうに語る。
「ふふ。私達にぴったりだと思いません? 何処の、誰とだって。仲良くなっていいんですよ?」
「何処の誰とでも……、それは、素敵だね。ね、みあちゃん」
「別に、仮面なんてつけて無くても、何処の誰とでも仲良くすれば良いのに」
小首を傾げるその仕草に、霧緒と桜花は一瞬だけ視線を合わせて、そうですね、笑う。
「本当、それが簡単にできれば良いのに……どうして素顔だと仲良く出来ない人達が居るんでしょうねー……あ、アレ面白そう!」
言葉の途中でなにやら面白いものを見つけたのか、桜花はふらふらと引き寄せられるように人混みの中を進んでいく。
「あ。桜花さん……っ」
「勝手に動いたらはぐれちゃうよ!」
二人も手を繋いだまま、慌てて後を追う。
背の高い人々の隙間から見える飾り羽根と流れる黒髪を見失わないように、二人は人混みを進む。
――と。
「わ」
どん、とみあは人にぶつかった。
握った手に力を込めてはぐれないようにしつつ、ぶつかった人物を見上げる。
周囲の通行人同様にマスケラをした背の高い男は、自分がぶつかった相手と、手を繋いだままの少女を認め――。
『失礼』
と、短く言葉を残して通り過ぎていく。
違和感。
「――」
「みあちゃん?」
立ち止まって男を見送ったまま動かないみあに、霧緒の声がかかる。
「どうかした?」
「――あ、うん。えっと」
すぐさまみあは空いた手でポケットとポシェットをぱたぱたと叩き、再び霧緒を見上げた。
「お姉ちゃん。桜花さん捕まえて広場で待ってて」
「え? 何かあったの?」
うん、とひとつ頷いて男が消えた方を見遣る。
「あたしのお財布が無いから、さっきの人追いかけてくる!」
「えっ……みあちゃん!?」
言うが早いか、慌てる霧緒の手を振りほどいて駆け出した。
□ ■ □
霧緒を置いて走り出したみあは、男の背中を追いかけて人混みをかき分けて進む。
「霧ちゃんは気付かなかったみたいだけど……」
あの時、男はただ謝罪して立ち去ったように見えた。しかし、その視線を外すタイミングがおかしかったような気がした。
自分の顔と、同行者を認識して、謝るには十分――十分すぎる間。
そして、マスケラの奥で動いた視線の流れも、どこかおかしかった。
その視線の流れを思い返し、ちらりと自分の手首に視線を走らせる。
ワンピースとコートの布地。手袋。その下。
それから、みあの手を握る霧緒の手の甲。
そこにあるのは。二人が持つものは。
――あの紅い“眼”だ。
「あたしも霧ちゃんも、服の下にあるはずなのに」
どうして気付いた、とみあは男が通ったであろう道を見据えて走る。
そうして人混みがある程度切れた所で、みあは足を止めた。
息を切らして見渡す限り何処にも、あの男の影は無い。
「見失ったわね――やっぱり、この身体では色々と無理があったかしら?」
もう少し探せば見つかるのかもしれないが、みあはううん、と首を軽く振る。
「あんまり遅いと……今度は霧ちゃんが探しに来かねないわ」
とため息をついて、手を袖に埋める。
「その前に、戻らなきゃ」
仮面の女によく似た少女。紅い“眼”を見ていた男。
――不味い事にならなきゃ良いけど。
そんな呟きは、賑やかな笑い声にかき消された。