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終末の時計 Armageddon Clock  作者: 著:水無月龍那/千歳ちゃんねる 原作・GM:烏山しおん
2:Erratic Portal
28/202

SCENE1 - 4

 もうすぐ船旅が終わるからか、ヴェネツィアで行われるという祭りの先触れか。船上は明るく湧いていた。

 それは乗客は勿論、船員達の雰囲気からだって分かる。

 笑い声、噂話、雑談の声。どれをとっても軽く、明るいと感じるような空気が今、船の上を覆っていた。


 廊下でその空気を感じ取った霧緒は、少しだけ口元を緩めた。

 この船を降りたら、桜花と三人で祭りを回るという約束もある。

 気分が高揚するのも、仕方が無い事だった。

「どんなお祭りなんだろう……」

 霧緒にとってイタリア――ヨーロッパと言えばルネサンスのような華やかな文化が残る土地だ。どこかで見た写真や映像からのイメージしか浮かばないが、きっと賑やかに違いない。

 しかし、祭りの約束に浮かれてばかりでもいけないよね、と霧緒は自分の左手に視線を落とした。

 左手の半分を覆うブラウスの袖。その下にあるのは、渋谷駅で戦ったあの日以来、左手の甲に埋まったままの紅い石だ。

 痛みもなく、違和感もない。ただそこで鈍く光るそれ。

「陸地についたら情報集めないと」

 この石が何か。あの二人がどうなったのか。解らない事は山積み。そもそも、元の時代に戻れるかも分からない。

 早く目的地に着かないかなあ、と空を仰ぎ――ふと聞こえてきたざわめきに足を止めた。

「……ん?」

 賑やか、とはまた違うそれは、言い争い、と呼んだ方が近そうな鋭さを含んでいた。

 その声を追って船室から潮風吹く外へと出れば、穏やかな波の音。

 その中に混じる声に耳を傾けて、角を曲がると。その先には人だかりが出来ていた。

 

『あの、何があったんですか?』

 桜花にここ数日で教わった言語をフル稼働させて、手近な人に聞いて見ると、「喧嘩らしいよ」という返事が返ってきた。

 きっかけは不明だが、気付けばこんな状況だった、とその人は教えてくれた。

 なるほど、と頷いた霧緒は礼を言って更に中心へと進む。

 進むにつれ、その喧嘩が白熱しているのが伝わってくる。

 元の時代とは違い、欧州へ行くにも船で数ヶ月コースが当たり前の頃だ。

 きっと、長旅でのストレスともうすぐ上陸という開放感がこの状態に拍車をかけているかな、と考えながら進むうちに、喧嘩が間近に見える所まで辿り着いた。

 喧嘩をしている当事者は二人。どちらも船員のようだった。

 背も高く、ガタイも良い。そんな二人が掴み合いをしている姿に、周囲はすっかり圧倒されていた。

『あの、……止めなくて、いいんですか?』

 霧緒は再び、手近なギャラリーへと声をかける。

『いやあ、止めたいんだけどねえ』

 あれは無理だよ。と困ったように二人を見遣る人が言うに、彼らは船員の中でも力がある方だと言う。そんな二人が掴み合い――そろそろ殴り合いに発展しそうな状況では、割り込むに割り込めないようだった。

 しかし、そうですか、と片付けて放置する訳にはいかない。

 このまま放置すれば悪化の一途を辿るのは見えている。

 霧緒は一歩踏み出し、喧嘩の中心へと向かう。

「あの」

『あぁ?』

 思わず日本語でかけた声だったが、片方が反応した。

 振り返る船員の睨みつけるような視線にもめげず、霧緒は言葉を続ける。

『何かあったのなら』

 穏便に……、という単語が出てこない。

『話せば、良いと思うのですが』

 横から入った邪魔に、彼は文句でも言おうとしたのか口を開き――その隙に相手の男に力一杯殴られた。

『――ってめぇ!』

 殴られた船員は、殴られた頬もそのままに全力で殴り返しにいく。

 あ。私の馬鹿! と霧緒が焦る目の前で、更に殴り返しの応酬が続く。

 そうしてみるみるうちに、喧嘩は更にヒートアップしていた。


 片方が殴られては吹き飛ばされ、人の輪が数歩分後退する。

 周囲はハラハラと見守るように彼らを取り囲むばかり。

 このままでは周りの人まで巻き込みかねない。

 しかし、これを止められる人はきっと居ない。

 うかつに声をかけてしまっては、さっきの二の舞だ。

 これはもう、実力行使に出るしかないか、と覚悟を決めたその時。

『何の騒ぎですか!』

 と鋭い声がかかった。

 霧緒の向かい側からギャラリーを割り、輪の中に入ってきたその声の主は、桜花。

『一体、何をしているのですか!』

 日本語でなくても凛と響く彼女の声はそれなりに大きなものだったが、二人には届いていないようだった。

 興奮して聞こえていないのか、はたまた。今手を止めたら殴られるという確信があるからか。

 どちらであれ、二人はこの殴り合いを止める気はないようだった。

 桜花は小さく眉をひそめたと思うと、何の躊躇いもなく殴り合いを続ける二人の元へつかつかと近寄る。

「桜花さん! 危ないですよ!」

 そんな声を気にした様子もなく、殴り合い真っ最中の船員の肩にそっと手を置く。

 次の瞬間。

 彼の身体が一回転し、床に叩き付けられた。

 ざわめく周囲の声とその音に、霧緒の前に居た船員の拳が空を切る。

 何が起こったのか理解できず、動きを止めたその一瞬。

 隙を逃す事なく、霧緒も身を沈めて男の足元を払う。

 今度は邪魔も入らない。床に正面から倒れた船員の背に膝をつき、腕を捻り上げた。

 しかし、船員は霧緒程度ならなんとかなると思っているらしい。それを振りほどこうともがく。

『もう。落ち着いてください!』

 これ以上暴れるなら手加減しませんよ? と少しだけ力を込めると、船員はうめき声を一つ漏らして抵抗をやめた。

 桜花が床に伏せた船員も、叩き付けられた衝撃からようやく我に返ったらしく、身を起こして頭を振る。

 そうして、騒ぎはあっという間に収まった。

『全く、もうすぐ上陸だというのに少々浮かれすぎではありませんか?』

 そう言いながら桜花は、叩き付けた船員の身体を起こす。

『このような場所で乱闘など、周囲への迷惑を考えなかったのですか』

『あ、あぁ。……すまない』

 船員は、どこかすまなそうな顔をして、自分よりもずっと小柄な少女に向けて謝るが、桜花は、謝るべき相手は私じゃありません、ときっぱり跳ね返す。

『ほらほら、貴方達がするべき事は山ほど残っているはずですよ』

 ほら、貴方も、と霧緒が拘束していた船員も立たせ、仕事へと促す。

 輪の中心となっていた二人が落ち着いた事で、喧嘩騒ぎのギャラリーも解散を始める中、桜花が霧緒に声をかけてきた。

「お疲れ様でした。お怪我とか、ありませんか?」

 その声に、霧緒は「はい、大丈夫です」と答える。

「桜花さんも、怪我などは?」

「ええ、私は大丈夫です」

 と、にっこり笑って答えるその顔は、ついさっき男性を投げ飛ばしたとは思えない程に和やかだ。

「それは良かったです。というか……」

 その笑顔につられて微笑んだ霧緒は、少しだけ申し訳なさそうな顔になって息をつく。

「私があの喧嘩に油を注いでしまって。その、すみません」

「霧緒さんが気に病む事なんてありませんよ。このような場であんな事をする二人が悪いんです」

 もう、本当に周囲の迷惑を考えないんですから、と腕を組む桜花。

「それにしても霧緒さん、お強いんですね」

「え?」

「あの船乗りさんはこの船の中でも腕が立つ方でしたのに」

「そうだったんですか。――でも、桜花さんの方がずっとすごかったと思いますよ」

 褒める霧緒に、桜花は少しだけ照れたように「鍛えておりますから」と答えた。

「あのような騒ぎに巻き込まれて怪我を負うようでは、女の一人旅など出来ませんしね」

 そして桜花は「でも、良かった」と言葉を繋ぐ。

「?」

「霧緒さんがこんな所で怪我などされたら、折角のお祭りの約束が難しくなってしまいますもの」

 そう言って、桜花は心底安堵したような顔をする。

 霧緒もつられたように、「そうですね」と笑った。

「お祭りなんて――本当に久しぶりなので、怪我なんてしてられませんね」

「ね」

 そうして二人、風に髪を揺らして和やかに笑うと、桜花は「さて」と髪を耳にかけた。

「私は他の人の様子も見て回ってきます」

「あ、では私も」

「いえいえ、私一人で十分ですよ」

 任せてください、と桜花は胸を張る。

「もう少し船旅も続きますし、今日はゆっくりなさってください」

 そう言って桜花はお辞儀をして去っていった。

 

 その背中を見送りながら、霧緒は甲板の手すりに背を預けた。

 まだ海風は冷たく、春にはもう少し時間がかかりそうだ。

 少しだけ冷える指先を背中で握り込んで、霧緒はふう、と息をつく。

「桜花さん、強い人だなあ」

 でも、と呟く霧緒の目が、少しだけ鋭く光る。

 少しだけ、彼女の行動が引っかかったのだ。

 彼女は二人の船員を「船の中でも腕が立つ方」だと言っていた。

 そんな相手だと知っていたというのに。躊躇い一つなかった。

 それどころか。 

 あの短時間での状況を把握し、それを静めるための最短で確実な手段の選択をした。

 そして何より気になったのは、彼女が船員を床に叩き付けたあの動き。

「相手の重心を見定めて、固定して、そのバランスを崩すためには……きっとあれが効果的」

 でも、と考える。

「なんというか……」

 UGNで厳しい訓練を受けてきた霧緒だから感じた事。

 あの動きは、体系化された訓練の中で学ぶ最も効果的な戦術、といった印象が強かった。

 彼女は「鍛えていますから」と笑っていたが、それだけでは得られない何かがあるような気がした。

「もしかして、軍人とかなのかなぁ」

 と、あれこれ考えてみたものの、推測の域を出る訳ではない。

 何より。あれだけ良くしてくれた人だ。何であれ、悪い人ではないはずだ。

「うーん。まあ。気にしても仕方ないよね」

 後でみあちゃんに話してみよう、という結論だけ残して、霧緒は手すりから背を離した。

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