ENDING - 3
「なあ。ツカサ」
「……なんだいリンド」
みあと霧緒が船の甲板で目を覚ましたのとほぼ同じ頃。
司とリンドは街の中に居た。
童話に出てきそうなレンガ造りの家が立ち並ぶ街角。
足元から延びるのは、小奇麗な石畳の道。
空は淡く晴れ、木のざわめきが聞こえる。
ただし。
肩に猫を乗せた司を囲むのは、軍服の集団に物々しく向けられた小銃。
「誰に説明を求めたらいいんだ? あ?」
「そんなの知るか! 大体何なんだここは! 何でいきなり大ピンチなんだよ?!」
小声で言い合うその場所は、船上のように問答無用で放り出されて溺れるような心配はないが、平和とは言い難い。
「大体何だよここ……」
と、司はちらりと兵士達に視線を向ける。
「第二次世界大戦でも始めるつもりなのか?」
「はぁ?」
何を言っているんだ、というリンドに司は「だって」と目の前に立つ彼らを示す。
「あの銃、MP40だろ? 見れば分かる」
首を傾げるリンドに、「第二次世界大戦で大量に作られる銃の初期モデル」と簡単な解説を加えた。
「よくわかるな」
「まあ、銃くらいなら――それにあの服装だ」
軍帽とポケットの上に光る主権紋章は、鉤十字に鷲の意匠。
翼を広げた鷲といえば、古くからのドイツ国章だし、鉤十字といえばナチス・ドイツ。
「1940年ちょっと前って所か。はじめるつもり、というか、これから始まる――って言った方が正しいのかもな」
『――肝が据わっているな、東洋人は』
状況に予測をつけた会話を断ち切るように、若い男が進み出てきた。
欧州人らしい背丈と金色の髪。きっちりと着込んだ軍服。生真面目というより使命感に満ちた青い瞳。軍服に飾り付けられた勲章の数から、それなりの地位に居ることが分かる。
ブーツの踵を石畳に響かせて立ち止まった彼が手を軽く上げると、向けられた銃口が揃って下げられる。
代わりに向けられるのは、検分するかのように刺さる周囲の視線。
そんな状況にも怯える様子ひとつない司を一瞥し、彼は気に入らなさそうに鼻を鳴らした。
『ふん。怖気づいたか?』
司は彼の言葉に答えず、「ドイツ語、か」と小さく呟き、ぴくりと耳を立てたリンドの口元に指を当てる。
鼻をくすぐるかのように口元に押し当てられた指の意は「今は喋らない方が得策」。
口を開こうとしたリンドがその意図を汲み取り、小さくにゃぁ、と啼く。それを見た男は少しだけ眉をひそめ、話を繋ぐように「さて」と息をつく。
『貴君らは一体何処から現れた? 目的は何だ? 我等が総統閣下に敵意を持つ者か?』
男の目が鋭い光を帯びる。
『返答次第では……』
男が言葉を切ると同時に、がちゃり、と音を立てて再び銃口が向けられる。
「総統閣下――ビンゴだ」
ぐるりと取り囲み、照準を定める銃口の中。司は小さく呟く。
制服に輝く紋章。彼が口にした「総統閣下」という代名詞。
構える銃。交わされる言葉。何もかもが現在地を「現代日本」であることを否定し、第二次世界大戦直前のヨーロッパであることを肯定する。
それにしても、よりによってこんな相手に囲まれるなんて、と司は軽く溜息をついて答えた。
『知らない』
小さく首を振りながらの言葉は、男と同じドイツ語。
『今の所、あなた方に敵意なんて持ってない。大体、俺自身も、自分の置かれた状況が全く持って理解できないんだ』
『ほう。状況が分からん……か』
その言葉を信じたのか。男は唇を歪める。
――そして次の瞬間。
世界の色が塗り変わるような感覚があたりを覆った。
レンガの壁も、石畳も、全てを一色に塗り潰すようなその力は、男が放つ《ワーディング》。
その光景にも、司は顔色ひとつ変えない。「いきなり物騒だな」とぼやきを漏らすだけだ。
一方、男は相手の弱みを見つけたような笑みを浮かべる。
『このオーラにも耐えてみせるのが、お前達が只者でない何よりの証拠だ。さあ答えろ。何処の者だ? お前の国でも超人兵士部隊を編成しようとしているのか?』
こつ、とブーツが石畳を叩き、目線を上げた司を威圧的に見下ろす。
『超人兵士部隊?』
鸚鵡返しの問いかけは鼻先で一蹴された。
答えるつもりはないらしい。
司もこれ以上問いを重ねることはしない。
『日本人だ。超人兵士部隊については……編成しようとしているかなんて知らないな』
日本人、という単語を発した瞬間、男の態度が少しだけ和らぐ。
『ほう。同盟国の兵士だったか』
東洋人の顔は見分けがつかない、と冗談めかした笑みを浮かべてワーディングを解く。
それはそれは、と司も軽く笑う。
――が、交わされる笑みも一瞬のこと。『しかし』と目が鋭く光る。
『突然我々の前に現れたそのからくりが解けるわけではない』
『だろうね』
『物分りが早くて何よりだ――こいつらを捕らえておけ』
簡潔に言い残して男は踵を返した。
じりじりと迫る兵士達を睨みながら、リンドは彼らの足元に隙間を探す。
このまま二人とも捕まってはいけない。
だが、人間が逃げ出せる程の隙間を与えてくれるような隙は無い。
だが猫ならば。自分ならば。
ここから抜け出して有樹や共に戦った二人を探すことも可能ではないだろうか。
「ツカサ」
背を向けた男に届かない程の。耳元でようやく聞こえるかどうかの声で、リンドが口を開く。
「ん。了解」
短い回答は、リンドの言葉を最後まで言わせずに肯定する。同時にちらりと交わした視線も、リンドの意図を肯定する。
「――礼は言わないからな」
「おう」
「それから、マグロの事は忘れない」
「まあ、戻ったら奢るさ」
「……それまで、死ぬなよ?」
「勿論」
それが合図だったかのように、リンドは司の肩から飛び降り、兵士達の足元を縫うように駆け出した。
「何?! 逃がすな! 追え!」
猫の逃走にいち早く気付いて声を上げたのは、背を向けていた男。
しかし、周囲の兵士に猫の動きを読むことはできず、リンドはあっという間に兵士の足をすり抜け、路地裏へ飛び込んだ。
路地らに飛び込む直前、一瞬だけ振り向けば。
檄を飛ばす男と、捕らえられる司の姿。
「約束だからな」
だから、死ぬなよ。
そう残して駆け出したリンドの視界の隅で揺れた尻尾に、あの紅い‘眼’はなかった。