ENDING - 2
「あの、ありがとうございます……えっと」
薄暗い――それでも駅構内よりはずっと明るい廊下を先導する背中に、霧緒が声をかけた。
なんと呼べば良いのか解らなくて口を止めた様子に気付いた彼女は、足を止めて振り返る。
「あぁ、申し遅れました。私、葛城桜花と申します。桜花、と呼んでください」
にこり、と笑うその表情は柔らかく、その名の通り春を匂わせる。
「深堀霧緒です。こっちは――」
「紅月みあです」
ありがとうございます。とお辞儀をするみあ。
「――ぇ」
「え?」
小さく上がった声に、頭を上げたみあがきょとん、とする。
桜花はすぐさま首を振り、「いいえ、気になさらないでください」と笑いながら背を向けて歩き出す。
みあも霧緒も、ちょっとだけ疑問そうに視線を交わし、後に続く。
「あの、気になることがあるのですが」
聞いてもいいですか? という霧緒の声に、「はい、なんでしょう」と桜花は気軽な声を返す。その声には、二人を気遣うような、なんでも聞いてください、という響きが混じっている。
「この船……結構大きいようですが、一体何処へ向かっているのでしょう」
広い甲板。綺麗に整えられた船内。外側から見なくても判る程の大きさを持ったこの船は、百人は優に乗れそうな感じがする。
それ程に大きなこの船は、一体どこへ向かうのだろう?
「この船ですか? 伊太利亜です」
「イタリア……?」
行き先を反芻するみあに、彼女えぇ、と頷く。
「もっと言えば威尼斯ですね。亜得亜海を北上して、後十日もすれば到着する予定ですよ」
「ヴェニス……」
予想外の地名に、霧緒は軽くこめかみを押さえる。
ヴェニス。ヴェネツィア。それは水の都と名高いイタリア北部の都市、で間違いないはずだ。
イタリア、アドリア海という地名で、その確実性は確実さを増す。
地名が予想外だったのも大きな衝撃だったが、霧緒にはもう一つ、気になる事があった。
姿が見えない二人だ。
二人の姿は甲板になかった。彼女の。桜花の話にも、自分とみあ以外の人物は出てこなかった。
あの光に一緒に呑み込まれたならば、何処かに居るはずだろうという予測はつくが、まさか自分達の現在地が海上――しかも日本から遠く離れた海外とは。
連絡のひとつでも取れればいいが、霧緒に分かるのは名前だけだ。
無事ならばそれで良いんだけど、と二人を思い返す。
「でもまぁ、あの河野辺という人」
自分に疑いの眼が向けられた時の話の運び方や、態度にどこか引っかかる所もあるが、戦闘で見せた射撃の正確さや状況把握の素早さは目を見張るものがあった。
一緒に居たリンドだってそうだ。あの小さな身体であの車体を相手にできる程の攻撃力と、咄嗟の判断は信じて良い。
二人が一緒なのか、ばらばらになっているのかは分からないが。
「あの二人なら……大丈夫、かな」
「――ね、お姉ちゃん」
心の中で小さくついた溜息に重なるように、ぱたぱたと小さな足音と声が背中からかかる。
いつの間にかどこかで足を止めていたのか。みあは後ろから追いつくようにして横に並んだ。
「お姉ちゃん、あの二人が心配?」
下から覗き込むように見上げるその顔は、あっという間に霧緒の内面を見抜く。
「まぁ。心配ではあるけど……大丈夫だと思うよ」
みあもそれにうん、と頷く。
「そうだね。あの二人なら大丈夫だよ」
それよりもね、とみあは話を続ける。
「さっきからずっと気になってたんだけど、この船の人たちって洋服の人も着物の人もなんていうか……今とは違う感じがしない?」
「そうだね。着物はともかく……洋服もちょっと、古めかしいというか……」
そうだよね。とみあは言葉を繋いだ。
「それでね、さっきカレンダー見つけたからちょっと見てたんだ」
そうしてみあが告げたその内容は。
1938年 2月
第二次世界大戦前夜とも呼ばれる、黄昏の時代だった。