ENDING - 1
風の音と、潮の匂い。
人のざわめき。
冷たく固い地面。
ゆらゆらと揺れる感覚。
茫洋とした意識でそれらを感じていたみあは、「もし、」と控えめに掛けられた声で目を覚ました。
がば、と身を起こして周囲を把握する。
カモメの声と、波の音。
周囲には、自分達を覗き込むように集まった人々。
電車などない。異形も、渋谷も。
埃っぽかったあの空気。崩れた天井。何もかも。
代わりにあるのは穏やかな潮風と、どこまでも広がるような青。
どうやらここは海――その上を行く、船の甲板のようだった。
しかし、現在地、年代、日時共に不明、ね。とみあは状況を整理する。
「ちょっと。お姉ちゃん」
隣に倒れたままの霧緒に声を掛けて少しだけ揺らす。
揺り起こされた彼女は眠そうに目をこすり。慌てて身を起こした。
二人を囲む人々に気付いた霧緒は慌てて何かを探す素振りを見せたが、すぐに諦めてみあへと口を寄せた。
「……えっと、ここは……船の上?」
「そうみたい。だけど、それ以上はわからない」
ぽそり、と状況を把握して呟く声に、みあは小さく首を振って声を掛けた人物に視線を移す。
心配そうな顔で膝をつく、一人の女性。
着物の上に軽く羽織ったショールを前で合わせたその姿は、十代後半から二十代前半といった所。
武装している様子はない。ただただ、心配そうな顔をしている。
「あの、大丈夫ですか?」
静かに通る、鈴のような声。
――この光景を、怖がるのですか?
あの声が重なる。
彼女ほどの冷たさはないが、想起させる程によく似たその声。
それを前提に見れば、その口元や背丈も、あの仮面の女とよく似ていた。
「――貴女、どういうつもり?」
「……はい?」
小さな声で投げ掛けた問いへの返事は、軽く傾げられた首。
とぼけている様子もない。純粋な、質問に対する疑問。
やっぱりね、とみあは心の中で溜息をつく。
半ば予想していたその回答は、目の前の女性があの仮面の女ではない事の証明。
「……みあちゃん、この方と知り合いなの?」
仮面の女の顔も声も知らない霧緒は、二人のやり取りに首を傾げる。
「ごめんなさい。知ってる人と良く似ていたんです」
「そうですか」
私何か失礼でもしたのかと思っちゃいました、と彼女はほっとしたような笑顔を見せる。
「はい、ちょっとまだ頭がボーっとしてるみたいで」
ご存知だったらでいいのですが、とみあは声のトーンを少しだけ落とす。
霧緒と女性にだけ聞こえるように。周囲に内容が聞こえないように、自分達の抱える問題を吐き出す。
「今、あたし達がどういう状況なのか、教えてもらえませんか?」
仮面の女と良く似ているから信用できない、なんてことはない。
仮面の女だって、状況が状況だったからあのように見えたが、悪い人とは思えなかったし、こうして心配そうな顔をして親身になろうと身を寄せてくれている人だ。
その彼女は「はあ、その。わたくし達も良く分からないのですが……」と困惑顔で前置きして状況を教えてくれた。
甲板で外を眺めていたら、赤と銀の光があたりを照らし、次の瞬間にどさりと音がした。
音がする方向を見てみると、傷だらけの二人が倒れていて、周囲が騒然となり。
「――それで、この状況に」
「はい」
最後を引き継いでまとめた霧緒に、彼女はひとつ頷く。
「お二人とも……その、大層傷だらけでしたので。騒ぐわけにも離れるわけにも、といった感じで……」
言われてみれば、と二人はお互い顔を見合わせる。
固く纏まった髪。ぼろぼろになった服。埃と傷で汚れた顔。
「わ、みあちゃんほっぺたが……」
そう言いながら袖でみあの頬を拭う霧緒に、「お姉ちゃんもだよ」とくすぐったそうな顔をする。
「あぁ……汚れを落とすなら」
よければお湯を貸しましょう、と衣擦れの音を立てて彼女が立ち上がり、手を差し伸べる。
「さ、こちらへ」
二人はもう一度だけ顔を見合わせ、立ち上がる。
改めて自分達の格好を見ると、本当にぼろぼろだった。
霧緒の帽子はどこかへ行ってしまったし、みあのワンピースももう着れそうにない。
「――あ」
一通り服に視線を走らせたみあは、小さく声を上げた。
問いかけるような視線を向けた霧緒と着物の女性に、みあは「あの」と言葉を繋ぐ。
「先に、この船の責任者に案内してもらわなきゃ」
このままじゃあたし達、ただの怪しい二人だよ、と言うみあに、霧緒はそういえば、という顔をし、女性は「あら」と口元に手を添える。
「そうですね……では、先にそちらへ案内しましょう」
こちらです、と彼女は垣根を作っていた人々の間に道を作り、二人を屋内へと導いた。