ENDING2 - case:リンド
■ case:リンド
「う、わあああー……」
橋の上に響く子供の声。
友との別れを最後まで強がって見せた小さな子供は。
ひとりになって初めて、年相応の顔でぼろぼろと大粒の涙をこぼし、声をあげて泣いていた。
リンドはその足元に、そっと身を寄せた。
ユウキは気付くだろうか? いや、気付いて欲しい。と、何も言わずに寄り添う。
「うう……うっ、……え?」
少年の声がやんだ。
しゃくり上げながらも、袖で涙を拭う。まだ涙は止まらない。赤く潤んだ目がこちらを向く。
「……やあ」
なんだか気まずい。それでもここを離れないと尻尾で主張する。
「りん、ど……?」
「ああ」
「なんで? なんで、ここに」
有樹はぺたりと座り込んだ。酷く冷たい石畳の上。身を乗り出すように、かつての飼い猫――友人と向かい合う。
「ユウキのおかげさ。オマエは俺が言った事をしっかりと守ってくれた」
だから、とリンドは有樹の腕に飛び込んだ。
「だから、帰ってきた」
「は……かえ?」
「百年後のユウキの力を借りて、ちゃんと未来を変えて。帰ってきた」
状況を整理するようにリンドの言葉が繰り返される。その表情を見つめていると、有樹は勢いよくリンドを身体から引き離して声をあげた。
「えっ! ひょっとして……こっちに戻ってきたちゃったの!?」
「違う。帰ってきた、だ」
「そんな……」
有樹が口をぱくぱくと動かす。リンドはじっとその後に続く言葉と表情を待つ。
「――は、はは……あははははは」
彼は笑った。
「うん。オマエは泣いてるよりそっちの方が良い」
「はは……あははは――!」
有樹は改めてリンドを強く抱きしめた。
「にゃ……!」
思わず潰れそうな声があがる。それでも有樹は笑い続ける。
ひとしきり笑った所で、リンドは地面へ降ろされた。有樹の両手がその頬をそっと包み込み――むに、っと潰した。
「な! 何をする。それは反則だぞ!」
「反則なのはリンドの方だよ! 帰って来るんなら僕が泣く前に来ればいいじゃんか!」
有樹はむにむにとリンドの頬を潰しながら文句を言う。
何も言い返せずに視線を逸らすと、両手がぱっと離された。
「もう知らないよリンドなんて」
ぷい、と拗ねた有樹が立ち上がり、背中が向けられた。
「そうだよそういう奴だよリンドはさ……」
ぶつぶつと文句を言いながらリンドを置いて歩き出す。
「居なくなる時も突然なら帰ってくる時も突然だし……まったく勝手なやつだよ。猫だもんねそうだよね」
「ご、ごめんユウキ……!」
リンドは狼狽える。
「心配をかけた。その、帰って来れるって分かっただけで、浮かれてたんだ……だから――その」
「しらないったらしらなーい!」
少年の背中から、そんなうわずった声が返ってくる。
こういう時の有樹は頑固だ。飼われていた時からそうだった。
ああ、こういう時俺はどうしていたっけ――。
謝ってた? それとも後を追いかけていた?
ぐるぐると考えて動けなくなっていると、橋の向こうからリンドを呼ぶ声がした。
いつの間にか有樹は立ち止まり、こちらを振り向いていた。
「ほら」
ぐっ、と手が差し出される。指先が冷えて赤く染まっている。
「さっさとしないと本当に置いてっちゃうよ! これからしなきゃいけない事、たっくさんあるんだから!」
「――うん」
リンドは頷き、有樹の元へと駆けていく。
足元に辿り着いて見上げると、有樹もリンドを見下ろしていた。
それがなんだか嬉しくて、リンドは有樹の足元に頬を寄せた。
「ユウキ」
「何、リンド」
「うん。大丈夫だ。もう、これからは……ずっと傍に居る」
猫の寿命は人よりもずっと短い。
自分が残り何年生きられるかは分からないが。精一杯共に在ろう。
もう決して。彼を守る為にひとりにするなどという事はしない。
死が二人を別つまでは。
「うん」
有樹もにっこりと笑って頷く。その目はまだ赤く、頬は濡れていたが。久しぶりに見た有樹の、心からの笑顔だった。
「じゃあ、行こう」
「うん。頑張ろうねリンド。僕達で、みんなに未来を繋ぐんだ」
「うむ」
猫と少年。
二人寄り添い歩く影は、ヴェネツィアの雑踏へと消えた。